鹿男のメッセージ Archive
アモスの預言と5つの幻
アモス(Amos)は「重荷を負う者」の意味。紀元前8世紀の北イスラエル王国の預言者であり、南ユダ王国のテコア出身である。
第一の幻
アモス7:1主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、二番草のはえ出る初めに主は、いなごを造られた。見よ、その二番草は王の刈った後に、はえたものである。 7:2そのいなごが地の青草を食い尽した時、わたしは言った、
「主なる神よ、どうぞ、ゆるしてください。
ヤコブは小さい者です、
どうして立つことができましょう」。
7:3主はこのことについて思いかえされ、
「このことは起さない」と主は言われた。
黙 太陽も空気も暗くなった。 9:3その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。 9:4彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
黙示録にイナゴが出てきますから 北イスラエル王国の滅亡の時は思いとどまられましたが
黙示録 最後のときには 成就するかもしれません。
第二の幻
7:4主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、主なる神はさばきのために火を呼ばれた。火は大淵を焼き、また地を焼こうとした。 7:5その時わたしは言った、
「主なる神よ、どうぞ、やめてください。
ヤコブは小さい者です、
どうして立つことができましょう」。
7:6主はこのことについて思いかえされ黙9:3その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。9:5彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。 9:6その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
ここでも主はこのことについて思いかえされていますがここでの 大淵は領土 と 言う意味なのですが 北イスラエルの領土 今であれば教会の 領域と言うような意味です
新約では 畑にいるものは 山に逃げよと ありますように 最後の時では 焼き尽くされるかもしれません。畑は教会の領域で種をまき育てるところだからです。いばらしか実らなかったら 焼かれる顔知れません
第三の幻
7:7また主はわたしに示された。見よ、主は測りなわをもって築いた石がきの上に立ち、その手に測りなわをもっておられた。 7:8そして主はわたしに言われた、「アモスよ、あなたは何を見るか」。「測りなわ」とわたしが答えると、主はまた言われた、
「見よ、わたしは測りなわを
わが民イスラエルの中に置く。
わたしはもはや彼らを見過しにしない。
7:9イサクの高き所は荒され、
イスラエルの聖所は荒れはてる。
わたしはつるぎをもってヤラベアムの家に立ち向かう」。黙11:1それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。 11:2聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう
ここでは 測り縄 (下げ振り線,重錘線,錘線)ですから 何がまっすぐなのか 測られようとしておられる つまり 基準を 立て 裁く と言われているのではないでしょうか。
第四の幻
8:1主なる神は、このようにわたしに示された。見よ、ひとかごの夏のくだものがある。 8:2主は言われた、「アモスよ、あなたは何を見るか」。わたしは「ひとかごの夏のくだもの」と答えた。すると主はわたしに言われた、この箇所も恐ろしいですが ここも黙示録に同じ事が書かれています。
「わが民イスラエルの終りがきた。
わたしは再び彼らを見過しにしない。
8:3その日には宮の歌は嘆きに変り、
しかばねがおびただしく、
人々は無言でこれを至る所に投げ捨てる」と
主なる神は言われる。
8:4あなたがた、貧しい者を踏みつけ、
また国の乏しい者を滅ぼす者よ、
これを聞け。
8:5あなたがたは言う、
「新月はいつ過ぎ去るだろう、
そうしたら、われわれは穀物を売ろう。
安息日はいつ過ぎ去るだろう、
そうしたら、われわれは麦を売り出そう。
われわれはエパを小さくし、シケルを大きくし、
偽りのはかりをもって欺き、
8:6乏しい者を金で買い、
貧しい者をくつ一足で買いとり、
また、くず麦を売ろう」。
8:7主はヤコブの誇をさして誓われた、
「わたしは必ず彼らのすべてのわざを
いつまでも忘れない。
8:8これがために地は震わないであろうか。
地に住む者はみな嘆かないであろうか。
地はみなナイル川のようにわきあがり、
エジプトのナイル川のようにみなぎって、また沈まないであろうか」。
8:9主なる神は言われる、
「その日には、
わたしは真昼に太陽を沈ませ、
白昼に地を暗くし、
8:10あなたがたの祭を嘆きに変らせ、
あなたがたの歌をことごとく悲しみの歌に変らせ、
すべての人に荒布を腰にまとわせ、
すべての人に髪をそり落させ、
その日を、ひとり子を失った喪中のようにし、
その終りを、苦い日のようにする」。6:12小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、 6:13天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた
第五の幻
アモス9:1わたしは祭壇のかたわらに立っておられる主を見た。 主は言われた、 「柱の頭を打って、敷居を震わせ、 これを打ち砕いて、 すべての民の頭の上に落ちかからせよ。 その残った者を、わたしはつるぎで殺し、 そのひとりも逃げおおす者はなく、 のがれうる者はない。 9:2たとい彼らは陰府に掘り下っても、 わたしの手はこれをそこから引き出す。 たとい彼らは天によじのぼっても、 わたしはそこからこれを引きおろす。 9:3たとい彼らはカルメルの頂に隠れても、 わたしはこれを捜して、そこから引き出す。 たとい彼らはわたしの目をのがれて、 海の底に隠れても、 わたしはへびに命じて、その所でこれをかませる。天に昇っても引きおろす と言われています 。 主の道からそれたものは 天 神の領域 神の民の住むところ から 引きおろされるのです。主の大変な怒り であることが わかります。
1:4たといあなたは、わしのように高くあがり、
星の間に巣を設けても、
わたしはそこからあなたを引きおろすと
主は言われる。
救いがあるから 大丈夫と思うのはどうでしょうか?
御言葉を軽んじてはなりません 愚かなものとして 聖書では どうかかれているのか 読めば気づき
ます 又それで大丈夫かどうかは 私たちが決めるものでもなく 主がお決めになるからです。
主なる神は言われる。 8:4あなたがた、 貧しい者を踏みつけ、また国の乏しい者 ←御言葉を良く知らない人たち を滅ぼす者よ、 これを聞け。 8:5あなたがたは言う、 「新月はいつ過ぎ去るだろう、 そうしたら、われわれは穀物を売ろう。 ←穀物 は 糧 御言葉のこと 安息日はいつ過ぎ去るだろう、 そうしたら、われわれは麦を売り出そう。 ←麦 も 糧 御言葉のこと われわれはエパを小さくし、シケルを大きくし、 偽りのはかりをもって欺き、 ←御言葉を偽ること 高値で 御言葉 神の言葉を売る8:6乏しい者を金で買い、
貧しい者をくつ一足で買いとり、 ←靴を履くと地 この世と分離される贖いだと言い買い取られる
また、くず麦を売ろう」。 ←生きる糧ではない うその御言葉を 売りつける
みなさん 誰の 事か 良く考えてみれば わかるはずです。
平和を預言する預言者
エレ28:9 平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」。 28:15 預言者エレミヤはまた預言者ハナニヤに言った、「ハナニヤよ、聞きなさい。主があなたをつかわされたのではない。あなたはこの民に偽りを信じさせた。 29:8 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたのうちにいる預言者と占い師に惑わされてはならない。また彼らの見る夢に聞き従ってはならない。 29:9 それは、彼らがわたしの名によってあなたがたに偽りを預言しているからである。わたしが彼らをつかわしたのではないと主は言われる。平和を預言する預言者は最近多くいますので 少しお話しておきます。 今私が一番気になるのは リバイバルの預言です 又再臨の預言です 多くの牧師たちが これらを 預言していましたがほとんど外れています。
これらは 主から使わされた 者では無いと 聖書は語っています。
偽預言者を信じることは 災いを 招きます。
未だこの人たちは 権威のある 牧師として 活動しています。
早くきずいて欲しいものです。
ここでは ハナニヤ は バビロンの王に従うことを やめるように 預言しています。
しかしながら 主は バビロンの王に従うように ここでは言われています。
自負しないで 主からのみ言葉を よく聞きましょう
あなたのパンを分け与える
イザ58:6 わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。 58:7 また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。 58:8 そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。 58:9 また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、 58:10 飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。 58:11 主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。
58:7 また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
↑御言葉と↓は ほぼ同じ意味といえるかもしれません
マタ25:35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 25:36 裸であったときに着せ、病気のときに 見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 25:37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 25:38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 25:39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 25:40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。今 まともな 御言葉は 殆どの教会では 語られていません あなたが 真のキリストの弟子であるなら まともな 御言葉を得られず 乾いている人たちに施す必要があります。
裸であったときに着せ 神の御心をしらず 恥ずべき状態の人
、病気のときに 病んでいる人 悪霊のとりこに なっている人
見舞い、文字通りです
獄にいた よくない 事などに とらわれている人
これらの人が素直に聞くかどうか わかりませんが 少なくても 収穫を試みる
必要があります。
これらのことは 主の喜ばれることであり確かに御心であります。
火を燃やし、たいまつをともす者よ
イザヤ 50:1 主はこう言われる、「わたしがあなたがたの母を去らせたその離縁状は、どこにあるか。わたしはどの債主にあなたがたを売りわたしたか。見よ、あなたがたは、その不義のために売られ、あなたがたの母は、あなたがたのとがのために出されたのだ。 50:2 わたしが来たとき、なぜひとりもいなかったか。わたしが呼んだとき、なぜひとりも答える者がなかったか。わたしの手が短くて、あがなうことができないのか。わたしは救う力を持たないのか。見よ、わたしが、しかると海はかれ、川は荒野となり、その中の魚は水がないために、かわき死んで悪臭を放つ。 50:3 わたしは黒い衣を天に着せ、荒布をもってそのおおいとする」。 50:4 主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる。 50:5 主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは、そむくことをせず、退くことをしなかった。 50:6 わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。 50:7 しかし主なる神はわたしを助けられる。それゆえ、わたしは恥じることがなかった。それゆえ、わたしは顔を火打石のようにした。わたしは決してはずかしめられないことを知る。 50:8 わたしを義とする者が近くおられる。だれがわたしと争うだろうか、われわれは共に立とう。わたしのあだはだれか、わたしの所へ近くこさせよ。 50:9 見よ、主なる神はわたしを助けられる。だれがわたしを罪に定めるだろうか。見よ、彼らは皆衣のようにふるび、しみのために食いつくされる。 50:10 あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。 50:11 見よ、火を燃やし、たいまつをともす者よ、皆その火の炎の中を歩め、またその燃やした、たいまつの中を歩め。あなたがたは、これをわたしの手から受けて、苦しみのうちに伏し倒れる。
信仰や行いが 伴っていないと 主からの導きもなければ 祝福もありません
主を信じるものは 見た目は同じ様に歩みますが最期が違います
主に省みられるよう 衣を洗い清めましょう。
自分でたいまつをは ともし火として 道を照らしますが 苦しみの内に倒れる とありますように
信仰に立たず 己の道を 正しくするものは苦しみ倒れます。又おのずから 悪事を選んでしまいます
私の経験からすれば 本当に最期の最期に 差が出るものです。
わたしの手が短くて、あがなうことができないのか。わたしは救う力を持たないのか。
イザ 59:1 見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。 59:2 ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
とあります様に 何か自分の思い通りに成らない から といっても それは あなたの方に問題があ
ることが多いのです。
御心を知り おそれ かしこむ ものとなりましょう
人の知恵
詩篇 147:10 主は馬の力を喜ばれず、人の足をよみせられない。 147:11 主はおのれを恐れる者とそのいつくしみを望む者とをよみせられる。人の力でなしえる 業は むなしい ことです。 主を恐れ 祈り 示しを 待ちましょう そうすれば 間違った 人生を 歩むことは ありません。事業を継続させるのは大変ですが 本当に 主に示されて その事業をされるなら 苦難も 喜びに なるはずです。今一度 何をすべきか 求める必要がある人が多い かも 知れません。今の働きが主によるものか 確かめてください。ただし 自分の主ですから 間違った者に仕えていれば ほかの主 バール に 使えていることに なりますので 注意が必要です。
伝道の書 12:11 知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。 12:12 わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。 12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 12:14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。12:13は詩篇の 箇所と 同じことを言っています。 知識は必要なものですが 神を恐れ、その命令を守らなければ 馬の力 人の足の速さ に なってしまいます。むなしいことに 力を 注ぐより 主に導き求める人生のほうが 喜びがあるはずです。もちろん 肉の喜びではありませんから ご利益メッセージには 騙されないで くださいね。
ここからは 別の話ですが 伝道の書 コレヘト の 部分に 黙示録と同じ 示しがありましたので 書いておきます。
12:2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。 12:3 その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、 12:4 町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。 12:5 彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。 12:6 その後、銀のひもは切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。 12:7 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
黙示6:12 小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、 6:13 天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
いばらの木
9:7 このことをヨタムに告げる者があったので、ヨタムは行ってゲリジム山の頂に立ち、大声に叫んで彼らに言った、「シケムの人々よ、わたしに聞きなさい。そうすれば神はあなたがたに聞かれるでしょう。 9:8 ある時、もろもろの木が自分たちの上に王を立てようと出て行ってオリブの木に言った、『わたしたちの王になってください』。 9:9 しかしオリブの木は彼らに言った、『わたしはどうして神と人とをあがめるために用いられるわたしの油を捨てて行って、もろもろの木を治めることができましょう』。9:10 もろもろの木はまたいちじくの木に言った、『きてわたしたちの王になってください』。
9:11 しかしいちじくの木は彼らに言った、『わたしはどうしてわたしの甘味と、わたしの良い果実とを捨てて行って、もろもろの木を治めることができましょう』。9:12 もろもろの木はまたぶどうの木に言った、『きてわたしたちの王になってください』。
9:13 しかし、ぶどうの木は彼らに言った、『わたしはどうして神と人とを喜ばせるわたしのぶどう酒を捨てて行って、もろもろの木を治めることができましょう』。9:14 そこですべての木はいばらに言った、『きてわたしたちの王になってください』。
9:15 いばらはもろもろの木に言った、『あなたがたが真実にわたしを立てて王にするならば、きてわたしの陰に難を避けなさい。そうしなければ、いばらから火が出てレバノンの香柏を焼きつくすでしょう』。9:16 あなたがたがアビメレクを立てて王にしたことは、真実と敬意とをもってしたものですか。あなたがたはエルバアルとその家をよく扱い、彼のおこないに応じてしたのですか。
この話の中で木が4本出てきます
もろもろの木 とは イスラエルの人たちを指しています。王を立ててください と願っているからです。
オリーブ は 油注ぎに 良く使われますが 聖霊 をさします
イチジクの木は 神の言葉の様に 思われます 実が良く出てきますが 実言葉により 成就したものではないでしょうか
ぶどうの木はも聖霊をさしています。 オリーブと違うのは飲む 事で 聖餐式 などに 使われる キリストの血を示しています。
次にいばらの木ですが 今日はここが 重要です アビメレクを立てて王にしたこと
を指しているのですが いばらの 中にまかれた 種 の話で有名です
9:15 いばらはもろもろの木に言った、『あなたがたが真実にわたしを立てて王にするならば、きてわたしの陰に難を避けなさい。そうしなければ、いばらから火が出てレバノンの香柏を焼きつくすでしょう』。
他の木は謙遜し 神とのかかわりを 得ようと して 王 に成ることを 辞退しています
が いばらは 自分が王になり 貴方たちを 守りましょう そうしなければ 大切なものを失いますよ
と 言っています。
あなたの 周りに そういう 人が いませんか ?
キリストの 陰 に 難を避けなければ 難から 逃れる 事は できません。
さすがに 私を 王にせよ と言いませんが わたしの陰に難を避けなさい
とは よく聞くせりふです。
教会は家ですから ある程度 の雨風はしのげるかも しれません
しかし キリストを 角の かしら石 としていなければ 難を 逃れられず
いっそうの災いが降りかかります。
惑わしと真実
惑わしか真実か 神とサタンの性質の違いから 見分ける
マタ7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
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.7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
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.7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
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7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
この4つの話はそれぞれ 違う話のようであるが 同じはなしです
喩えを 変え 選ばれるもの と そうでないもの が どうであるか 述べています。
しかしながら サタン の話は 言い換えを して 惑わそうと します
聖書に暗号があるとか 信じるだけで絶対救われるとか
又巧妙に 手を尽くし 聖書の言葉を 上手く 用いて 騙そうと してきます。
【口語訳】
出
[ 30 ]
30:1 あなたはまた香をたく祭壇を造らなければならない。アカシヤ材でこれを造り、
30:2 長さ一キュビト、幅一キュビトの四角にし、高さ二キュビトで、これにその一部として角をつけなければならない。
30:3 その頂、その四つの側面、およびその角を純金でおおい、その周囲に金の飾り縁を造り、
30:4 また、その両側に、飾り縁の下に金の環二つをこれのために造らなければならない。すなわち、その二つの側にこれを造らなければならない。これはそれをかつぐさおを通すところである。
30:5 そのさおはアカシヤ材で造り、金でおおわなければならない。
30:6 あなたはそれを、あかしの箱の前にある垂幕の前に置いて、わたしがあなたと会うあかしの箱の上にある贖罪所に向かわせなければならない。
30:7 アロンはその上で香ばしい薫香をたかなければならない。朝ごとに、ともしびを整える時、これをたかなければならない。
30:8 アロンはまた夕べにともしびをともす時にも、これをたかなければならない。これは主の前にあなたがたが代々に絶やすことなく、ささぐべき薫香である。
30:9 あなたがたはその上で異なる香をささげてはならない。燔祭をも素祭をもその上でささげてはならない。また、その上に灌祭を注いではならない。
30:10 アロンは年に一度その角に血をつけてあがないをしなければならない。すなわち、あがないの罪祭の血をもって代々にわたり、年に一度これがために、あがないをしなければならない。これは主に最も聖なるものである」。
30:11 主はモーセに言われた、
30:12 「あなたがイスラエルの人々の数の総計をとるに当り、おのおのその数えられる時、その命のあがないを主にささげなければならない。これは数えられる時、彼らのうちに災の起らないためである。
30:13 すべて数に入る者は聖所のシケルで、半シケルを払わなければならない。一シケルは二十ゲラであって、おのおの半シケルを主にささげ物としなければならない。
30:14 すべて数に入る二十歳以上の者は、主にささげ物をしなければならない。
30:15 あなたがたの命をあがなうために、主にささげ物をする時、富める者も半シケルより多く出してはならず、貧しい者もそれより少なく出してはならない。
30:16 あなたはイスラエルの人々から、あがないの銀を取って、これを会見の幕屋の用に当てなければならない。これは主の前にイスラエルの人々のため記念となって、あなたがたの命をあがなうであろう」。
30:17 主はモーセに言われた、
30:18 「あなたはまた洗うために洗盤と、その台を青銅で造り、それを会見の幕屋と祭壇との間に置いて、その中に水を入れ、
30:19 アロンとその子たちは、それで手と足とを洗わなければならない。
30:20 彼らは会見の幕屋にはいる時、水で洗って、死なないようにしなければならない。また祭壇に近づいて、その務をなし、火祭を主にささげる時にも、そうしなければならない。
30:21 すなわち、その手、その足を洗って、死なないようにしなければならない。これは彼とその子孫の代々にわたる永久の定めでなければならない」。
30:22 主はまたモーセに言われた、
30:23 「あなたはまた最も良い香料を取りなさい。すなわち液体の没薬五百シケル、香ばしい肉桂をその半ば、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、
30:24 桂枝五百シケルを聖所のシケルで取り、また、オリブの油一ヒンを取りなさい。
30:25 あなたはこれを聖なる注ぎ油、すなわち香油を造るわざにしたがい、まぜ合わせて、におい油に造らなければならない。これは聖なる注ぎ油である。
30:26 あなたはこの油を会見の幕屋と、あかしの箱とに注ぎ、
30:27 机と、そのもろもろの器、燭台と、そのもろもろの器、香の祭壇、
30:28 燔祭の祭壇と、そのもろもろの器、洗盤と、その台とに油を注ぎ、
30:29 これらをきよめて最も聖なる物としなければならない。すべてこれに触れる者は聖となるであろう。
30:30 あなたはアロンとその子たちに油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。
30:31 そしてあなたはイスラエルの人々に言わなければならない、『これはあなたがたの代々にわたる、わたしの聖なる注ぎ油であって、
30:32 常の人の身にこれを注いではならない。またこの割合をもって、これと等しいものを造ってはならない。これは聖なるものであるから、あなたがたにとっても聖なる物でなければならない。
30:33 すべてこれと等しい物を造る者、あるいはこれを祭司以外の人につける者は、民のうちから断たれるであろう』」。
30:34 主はまた、モーセに言われた、「あなたは香料、すなわち蘇合香、シケレテ香、楓子香、純粋の乳香の香料を取りなさい。おのおの同じ量でなければならない。
30:35 あなたはこれをもって香、すなわち香料をつくるわざにしたがって薫香を造り、塩を加え、純にして聖なる物としなさい。
30:36 また、その幾ぶんを細かに砕き、わたしがあなたと会う会見の幕屋にある、あかしの箱の前にこれを供えなければならない。これはあなたがたに最も聖なるものである。
30:37 あなたが造る香の同じ割合をもって、それを自分のために造ってはならない。これはあなたにとって主に聖なるものでなければならない。
30:38 すべてこれと等しいものを造って、これをかぐ者は民のうちから断たれるであろう」。
等しいものを つくる ことは 救いから もれる と 書いてあります。
本当に 真実な 物か よく 確認が必要です
人に対する賞賛を神への賞賛だと言っていたり したりします よく似たものが多くあります
神学 というものも あやしい 人が 神を ああだ こうだ と 定義ずけ
神を知ろうと することは よほど 気をつけないと 等しいもの造りもの に
なりかねないからである
元の状態に戻す 過ぎ越しの祭り
出エジプト 12:1 主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、 12:2 「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。 12:3 あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。 12:4 もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。 12:5 小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。 12:6 そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、 12:7 その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。 12:8 そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。 12:9 生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。 12:10 朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。過ぎ越しの祭り は クリスチャンなら 誰でも分かるように キリストのあがないの 雛形である
誰でも キリストの十字架 を信じ あがないを受け入れれば 祝福があり 豊かな生活が 保障される という ような 約束があると いうことで 受け入れる ケースが多いのです
しかしながら これは ほんの一部の ことで あり これを救いの 第一の教理とすれば 大きな ミスリードで 教会自体の 神聖を 疑わなければ ならない
一番大切なことは 順序として 罪を知らない 神に忠実な 元の 状態に 戻す 所から 始めなければ ならない
そこから 何がしの クリスチャン生活というものが 始まるべきなのです。
又 戻りたいと思っていても 罪多き私たちは 戻れるものでは 在りません
では どうすれば いいのでしょうか?
十字架が必要になります。そのため 十字架(血によるあがない)なのです
この世的な 祝福を得るべきもの を第一義にするため では ありません。
あがない の意味を自分の都合のいいように 極論として解釈するなら キリストの道から 程遠く はなれてしまう 事に なります。
その様な事を 平気で いう 教会には注意が必要です
エソウと長子の特権
創世記 25:30 エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。 25:31 ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」。 25:32 エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。
主から与えられたもの 長子の特権とは 今で言えば
キリストの救いなのでしょう
その特権を疎んじ おろそかに すれば 神から 見離される のである
エソウは 長子の特権などわたしに何になろう
といっています
彼にとって 重要な事では無いのです。
この世の 肉の思いを 長子の特権と 交換してしまったのです。
今やキリスト教会では 自分へのご利益 や 聞こえの良い この世の 糧 の話ばかりである
本来そのような ものは 十分に満たされる はずなのですが そのような 物を 本来の 神からの相続
十字架 を この世の糧と 交換しているのです。又その価値がわからないで どうして キリスト者 と言えるでしょうか? 一番大事なものを 売り払っているからです。
愚かな人には その価値さえ わからなく なるのです。
もう一度 自分の事として 考えましょう
誰しも はまり易い 罠 です。
かつて 多くの牧師たちが この罠にかかりました
今ますます 激しくなっています。
命を守りましょう

十一献金について
十一献金についていろいろ誤解されているようですので
メッセージさせていただきます。
絶対にしなければならない と思っている人や
できていなくて 自責の念に駆られている人たちが
たくさん いらっしゃる 事と 思います。
それはどちらも 間違いで 偽牧師やら献金なんて募ると
いまどき 誰も教会に来ないや
と思っている先生方の話は 全く歪められていて よくありません。
聖書に献金のことが出てくるのは律法を除いて
以下の場所です
マタイ
23:23 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
23:24 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。マラキ
3:8 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。
3:9 あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。
3:10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
はっきり 聖書は十一献金は必要と言っています
しかしながら もし 必要だからと言って 信仰の無い
献金をすれば 間違いなく 偽善者のはしくれです
ますます 解らなくなりましたか?でもそれは そのとおり
なのです。
また 献金を強要してくる 牧師や教会は自分たちの都合のために マラキを引用しますが 偽善者になれと 言っているようなものです。
十一献金はすべての一部であり 祈りや 信仰 行いなどすべてが 意識されるべきで 同じように扱われるべきです。
ですから 十一献金だけを 取り上げて 献金しろと言ってくるのは 明らかに バランスを欠いた行為です
それだけを見て重要なことが欠けていては 無に帰する
と言っています。
一方で いまどき 献金など進めると
誰も教会に来ないや と社会的通念 で 考えるとこれも
間違いです
もし100万円の収入があるのに 1万円 しかしない人は それだけの信仰なのです。
口では どうのこうの立派なことを 言いますが 神などに頼っては おらず自分の稼ぎを 頼りにして いることの証拠です。
しかしながら 以上のことは 自分がそうであれば 無理に変える必要はありません むしろ それを見て 自分の信仰の鏡として よく 見る 必要があるのでは と思います。
ちょっとニュアンスは違うかもしれませんが 以下のような聖句もあります
ピレモン
1:14 しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。
イエスキリストの福音
ローマ 1:10 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。 一コリント 4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。2テモテ
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
4:5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
まさに 今の時代ではないでしょうか?
本来キリストの福音が重要なのです 今の 時代では 魔術を使い豊かに恵まれようと 教会でさえしています
私も以前はそうでしたが 明らかに これらは キリストの福音ではなく 魔術や 惑わせるための
作り話なのは明らかです。
中には奇跡をおこしたりするものも あります。
この様なことは 大切なことではなく キリストの福音を 伝えよと聖書は言っています。
基本をはずさないように 自分でよく 確かめることです。福音書をよく読むことです
私は新約聖書は今で10回めの通読をしていますが まだまだ 読み取れるところが 多いです。
基本に戻ることが大切です。
ある姉妹が 主の祈り について メッセージしていただきましたが これも 祈りの基本です。
異なる福音 聖書の暗号 成功するための福音 偽預言 などには 注意が必要です。
神の言葉を聞くもの
ローマ 12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
このわきまえ知る というのは 中々難しい事です。
何故なら 人間は えらくなりたい 人に尊敬されるようになりたい と い
。と高き 方のように努力しているからです
イザ14:14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
ですから 誰かが 神の言葉や導きを示唆したときでも
偉い先生方や金持ち 容姿 その他の 印象の良い人の 話は良く聞くのですが
何か みすぼらしかったり 印象が自分の 思っている のと 違うと 受け入れずに
適当に聞いています。
しかし 主が用いられるのは その様な人が 多いのです
それは 真実に 主の言葉を 聞く人を 望んでおられるからです
混ざり物は 好まれないからです。 また その人を えり分ける と言う意味
が在るのでは ないでしょうか?
ヨシュア ダビデ 預言者 バプテスマのヨハネなどは 最初はどんな だったか
見れば 分かる事です。
人は本来選ばれた姿で使えるべきです 自分の身分が低くなったときは 幸いです
王でありながら 大工の子として この世に つかわされたキリストの 賓性 に あずかる ときなのです。
マタ 20:25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。 20:26 あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 20:27 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。 20:28 それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
私たちは 自分を わきまえ 低くする事をキリストから 学ばなければ 主の導きを 聞くことができません
うまく いかない時 は神頼みはしますし 人の話は良く聞きますが ボーットしていると そうは いかないのもです。
低くされるとき ほど 御心を知る チャンスでは ないでしょうか
マタ
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
二匹の魚と五つのパン 修正
ヨハネ 6:7 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。 6:8 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、 6:9 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。 6:10 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。 6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。 6:12 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。 6:13 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。 6:14 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
マタ
15:34 イエスは弟子たちに「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります。また小さい魚が少しあります」と答えた。
15:35 そこでイエスは群衆に、地にすわるようにと命じ、
15:36 七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。
15:37 一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。
15:38 食べた者は、女と子供とを除いて四千人であった。
16:9 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
16:10 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
16:11 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
この聖句で大切なのは イエス様が奇跡を起こされ 少ない糧(御言葉)からでも
多くの人を糧(御言葉)により 養うという 奇跡を起こされました。
16:9
ここで重要なのは 残りを幾かご 拾ったか? という事を 重要視しています。
チョー先生は 浪費が罪だと 言われていましたが そうではありません
では何故パンくずが出たのでしょうか
大衆は大切な 糧を すべて食べきれず くずが 出たのでしょう
御言葉を十分理解できなかったのでしょうか?
ここでは もったいないから パンくずを集めたのではなく 残りを集めても必要なものは あまることがない と言っているのでは ないでしょうか?
繰り返しますが ここでは 明らかに 幾籠 残ったかといわれています。 めずらしいですが数字がポイントになっています。
数字は はっきりしているので 間違えるとぜんぜん違う意味になりますので 扱うときには注意が必
要ですが ここでは
12は弟子の数字
7は 教会の数字 神の霊など
あまったパンくずの籠はこれを指します。
黙1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。
ですから 弟子や 教会のひとの分 以上に あまっていないのです。
それは 余分なものが無く ぱんだねが 入っていないことを指しています
今で言えば キリスト教もどきのような 偽者なのでしょうが このときではパリサイ人 サドカイ人たちを 指しています
ですから ぱんだね が入っていないのです
偽者にはぱんだねが多く これをやれば 祝福されて リッチになる など と言うような 教理を使い
人集めをしています。
主の御業は 不足することも無く あまることが無いのです。
余りを求めるのは ぱんだね を求めることなのです。
ぱんだねが どのようなものか 注意する必要があります。
もう一つ重要なのは残り で ルツの落穂ひろいにしても 隅のかしら石にしても 残り物は重要な働きを指すことが多い
この世の君
16:8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。 16:9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。 16:10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。 16:11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
罪は キリストを信じない事
義は キリストのあがない
裁きは この世の君
今日は この世の君 について お話します
おそらく 多くの人が 成功し お金
をもうけ 優雅に 暮らしたいと 思っているのでは
無いでしょうか?
少し成功すれば いい車に乗り いい服を着て えらそうな 態度をしたくなるのは
人間の弱さでは 無いでしょうか?
つまり ほとんどの人は この世の君に なりたがって いるの です。
つまり 裁き の対象になっています。
あなたの宝のあるところに 心があるのです。
聖書では 富と神の両方に使える事は出来ない と書いてあります。
誰しも心弱いですが 本当の 価値のあるものを 探すべきです。
この世の君にならず キリストの僕として 謙虚に生きる事をお勧めします。
あなたには神の働きがあります?
2:1 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。 2:3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 2:4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。 2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。 2:7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 2:8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。 2:9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで 2:10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。 2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。
最初に水を水がめに一杯にしなさいと言われましたが ある程度の労苦は必要なのです しかしながら 主は 最後に 私たちが期待していた 事以上に よいもの を与えてくださいます。
おそらく大きな水がめを満たすのは 大変です しかし 主の働きはそれを超えて
皆さんに 御技を されます。
それも 最初から いいもの が無くても 最後に ご用意されている 事 を 知りましょう。
今巷にあるものは どんなに 魅力的か 最初にアピールしてきます。
しかしながら 実はどうでしょうか 自分たちの利益の為に そうする事が多いようにもいます。
多少の困難があったとしても
神の御技 は私たちの知らないところで 良いものを 用意されている 事を知りましょう。
水がめがでてくるのは ヤコブの嫁選び
最後の晩餐の場所を探すとき
サマリヤの女も水がめを もっていました。
私には 解かりませんが 何かかかわりが あるかもしれません
水がめがでてくるのは ヤコブの嫁選びは 婚礼とかかわりがありそうです。
これは イエス様がされた 最初の奇跡で これから 働きが始まったと言えます
キリストの花嫁探し という意味では 同じかもしれません。
自分への警告のように 思えますか?
ヨナ 3:1 時に主の言葉は再びヨナに臨んで言った、 3:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。 3:3 そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った。ニネベは非常に大きな町であって、これを行きめぐるには、三日を要するほどであった。 3:4 ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。 3:5 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。 3:6 このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。 3:7 また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、「人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。 3:8 人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。 3:9 あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」。 3:10 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。
4:1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
4:4 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。
4:5 そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。
4:6 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。
4:8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
4:9 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。
神は裁く方で 私たちから見ると 恐ろしい方なのだろうか ?
決してそうではない 悔い改めた ニネベの町を 滅ぼさずに 惜しんだからです。
このように 主は 事前に預言者を送り警告されているのです。私たちにも終末の警告 というものが
聖書全体を通して 知らされている のです。
このような 未だかつて無かった 艱難の 警告を受け止め 衣を洗うものは 幸いであると聖書は言っています。
私たちが全員悔い改めたら 主もご意志 を 変えられるかも知れません。
しかし 今のままでは どう見ても 無理では無いかと 思います。
ご自身の一人子を 罪のあがないとして ささげられた 主の 思いは大変なものだったでしょう
私たちには想像もつきませんが その御心をさとり
少しの人でもいいから 信実な方 イエスキリストを受け入れ主の道に立ち返りましょう。
わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者
マタイ 25:36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 25:37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 25:38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 25:39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 25:40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
私たちは 幸い 聖書を読むことができ 何度も繰り返して読んでいるので
少しは他の人より 御言葉をよくしっているかもしれません
ある意味私たちは とるに足らぬものと思っているかもしれませんが
ある意味 金持ちなのです
では どうでしょう
空腹 かわいている 宿を貸し 裸なのを見て着せ 病気をし 獄にいる
このような人 とは どんな人でしょう 最近 おなかが減った 人や家のない人も見かけません もちろん裸で歩いているのは 変体か 気が変になった人たち です。
病気の人は います 牢屋にいるような 前科ものは あまり 私の周りにはいません いても どこの 牢屋にいるのだろう と言うような感じで ぴんときません
そこで
空腹 かわいている 神からの霊的なもの 御言葉に餓えている人
宿を貸し 寄留する 教会や仲間のない人
裸なのを見て着せ 神の御心はしらず恥さらしな事をしても 気付かぬ 人
病気をし 獄にいる 霊的に病んでいたり 正しい事をしているのに囚われている
もしくは この世の囚われの身となっていて
悪習慣の抜けない人たちと読めるかもしれません
と言えばよく分かります。このような人たちを サポートしているか と言う事が重要です。つまり へりくだり この人たちに目線を合わせ 忠告しなさいと言っています。
普通教会などでは この人たちを 許しなさい とよく 言いいますが 許すだけだと
なにも 変わりません つまり 裸の人に 服を着せてない のです 恥さらし にしてほっているのです。
そのままに しておけ と言っているのと 同じです。
つまり へりくだり 忠告 し服を着せ 恥をさらさないようにしていない 事に 気がつかなければ ならない のです。
このメッセージでのポイントは へりくだる と言う事と 忠告する という 事です。
許すと言うのは 本当の意味で言えば 都合のいい 言葉です 本当は相手を見下しているので 許す と 言っている場合が多いのでは と思います。
キリストのように 神の子でありながら 大工に 生まれてくるような 謙虚さを身に着けたいものです。
命の木と信仰の勝利者
黙 22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、 22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす
詩
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
勝利者とは 昼も夜も その おきて (神の言葉)を思い 絶えず神の霊(川や流れ) に満たされ
枯れることなく 実を結ぶ それも 12種類 (神の民 義)の実を 結ぶ
黙示録 の 節 と 詩篇の節は かなり 関係が 深そうです。
簡単ですが 毎日聖書を読み それを 繰り返し 反芻 することに より 実を 結ぶ と 言っています。
多少信仰経験が必要かもしれませんが
日常生活をしていると 世の煩わしさに 悩まされ あれこれ 解決方法を 模索しますが
実を結ぶのは この方法 しかありません。
今までの経験で過去 において 解決方法を考えたり ビジネスセミナーなどの対策など しましたが
一過性のもので さほど 実を結ぶと言うことは ありませんでした。
実ったとしても 食するに値しない この世の 実 でしかありません
主の祈り には 今日の糧を 与えたまえ しかありません
後は全自動なのです
いままで この様な 御言葉
神の義を 求めなさい そうすれば必要なものは与えられるでしょう
というような 御言葉は 何度聞いても この世の方策であったりしました
しかしながら 今回 確信に至りました 信仰を強く持つことです。
あらゆる問題にも すでに 解決策が 用意 されています。
何事にも わずらっては いけません。
貴方が 神の義に立つなら
煩いごとは たいてい こけおどし です。
一見雰囲気が悪いだけで チンピラの様に 見た目が恐ろしいだけで 中身は空です
教会などでも 何人の 信徒が与えられますように とか 目標を 何人にしろとか
献金を いくら 集めてこい とか この様な祈りをする 人たちは
義の道から 離れている から 尚いっそう 求めるのでしょう
その様な 人は 二心だからです。
毎日必死で祈り 教会を立てあげてこんなに 立派になりました などという 者は
良く吟味しなければ この世の ものであり 神のものでは ないかも しれません
まさに二心です。
何時間もこの様な 事をくどくど 祈るのは 異邦人のすること である と 聖書は言っています。
又会堂で いのるな 部屋に入り戸を閉めて祈れと 聖書は言っています。
どうでしょうか 思い当たりませんか
教会に 集まり 自分たちの 事を 成就させようと 何時間も 会堂にあつまり 祈っていませんか?
まさに 聖書と反対のことを やっている ことに 気がつくべきでは ないでしょうか?
私たちは 必要のために 使わされていますから その様にしていれば
必ず 実を結びます 忍耐が必要なだけではないでしょうか 待ちましょう。

