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麗鳴(うらなり) さんの メッセージ Archive

「夢に惑わされない」

説教「夢に惑わされない」
聖書 エレミヤ23章

エレ
23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。
23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
23:7 主は言われる、それゆえ見よ、人々は『イスラエルの民をエジプトの地から導き出された主は生きておられる』とまた言わないで、
23:8 『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日がくる。その時、彼らは自分の地に住んでいる」。
23:9 預言者たちについて。わが心はわたしのうちに破れ、わが骨はみな震う。主とその聖なる言葉のために、わたしは酔っている人のよう、酒に打ち負かされた人のようである。
23:10 この地に姦淫を行うものが満ちているからだ。のろいによって地は嘆き、荒野の牧場はかわく。彼らの道は悪く、その力は正しくない。
23:11 「預言者と祭司とは共に神を汚す者である。わたしの家においてすら/彼らの悪を見たと、主は言われる。
23:12 それゆえ、彼らの道は、おのずから暗黒の中にある/なめらかな道のようになり、彼らは押されてその道に倒れる。わたしが彼らの罰せられる年に、災をその上に臨ませるからであると、主は言われる。
23:13 わたしはサマリヤの預言者のうちに/不快な事のあるのを見た。彼らはバアルによって預言し、わが民イスラエルを惑わした。
23:14 しかしエルサレムの預言者のうちには、恐ろしい事のあるのを見た。彼らは姦淫を行い、偽りに歩み、悪人の手を強くし、人をその悪から離れさせない。彼らはみなわたしにはソドムのようであり、その民はゴモラのようである」。
23:15 それゆえ万軍の主は預言者についてこう言われる、「見よ、わたしは彼らに、にがよもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。神を汚すことがエルサレムの預言者から出て、全地に及んでいるからである」。
23:16 万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。
23:17 彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。
23:18 彼らのうちだれか主の議会に立って、その言葉を見聞きした者があろうか。だれか耳を傾けてその言葉を聞いた者があろうか。
23:19 見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。
23:20 主の怒りは、み心に思い定められたことを/なし遂げられるまで退くことはない。末の日にあなたがたはそれを明らかに悟る。
23:21 預言者たちはわたしがつかわさなかったのに、彼らは走った。わたしが、彼らに告げなかったのに、彼らは預言した。
23:22 もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろうに。
23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。
23:24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
23:25 わが名によって偽りを預言する預言者たちが、『わたしは夢を見た、わたしは夢を見た』と言うのを聞いた。
23:26 偽りを預言する預言者たちの心に、いつまで偽りがあるのであるか。彼らはその心の欺きを預言する。
23:27 彼らはその先祖がバアルに従ってわが名を忘れたように、互に夢を語って、わたしの民にわが名を忘れさせようとする。
23:28 夢をみた預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない。わらと麦とをくらべることができようかと、主は言われる。
23:29 主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。
23:30 それゆえ見よ、わたしはわたしの言葉を互に盗む預言者の敵となると、主は言われる。
23:31 見よ、わたしは、『主は言いたもう』と舌をもって語る預言者の敵となると、主は言われる。
23:32 主は仰せられる、見よ、わたしは偽りの夢を預言する者の敵となる。彼らはそれを語り、またその偽りと大言をもってわたしの民を惑わす。わたしが彼らをつかわしたのではなく、また彼らに命じたのでもない。それで彼らはこの民にすこしも益にならないと、主は言われる。
23:33 この民のひとり、または預言者、または祭司があなたに、『主の重荷はなんですか』と問うならば、彼らに答えなさい、『あなたがたがその重荷です。そして主は、あなたがたを捨てると言っておられます』と。
23:34 そして、『主の重荷』と言うその預言者、祭司、または民のひとりを、その家族と共にわたしは罰する。
23:35 あなたがたは、みな互に、隣り人に、また兄弟に、こう言わなければならない、『主はなんと答えられましたか』、『主はなんと言われましたか』と。
23:36 しかし重ねて『主の重荷』と言ってはならない。重荷は人おのおのの自分の言葉だからである。あなたがたは生ける神、万軍の主なるわれわれの神の言葉を曲げる者である。
23:37 あなたは預言者にこう言わなければならない、『主はあなたになんと答えられましたか』、『主はなんと言われましたか』と。
23:38 もしあなたがたが『主の重荷』と言うならば、主はこう仰せられる、『わたしが人をあなたがたにつかわして、あなたがたは「主の重荷」と言ってはならないと言わせたのに、あなたがたは「主の重荷」という言葉を言ったので、
23:39 わたしは必ずあなたがたを捕え移させ、あなたがたとあなたがたの先祖とに与えたこの町と、あなたがたとを、わたしの前から捨て去る。
23:40 そして、忘れられることのない永遠のはずかしめと永遠の恥を、あなたがたにこうむらせる』」。

「預言者と祭司とは共に神を汚す者である。わたしの家においてすら/彼らの悪を見たと、主は言われる」と書かれています。預言者と祭司とは一般信徒より神をよく知り、その神に仕える聖職者であるにもかかわらずです。
23:16 万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。 23:17 彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。
この記事が書かれたのはもちろん現代ではなく何千年前の事ですが、そんな昔にも今起こっている様な事が既にあった事がわかります。
23:25 わが名によって偽りを預言する預言者たちが、『わたしは夢を見た、わたしは夢を見た』と言うのを聞いた。26 偽りを預言する預言者たちの心に、いつまで偽りがあるのであるか。彼らはその心の欺きを預言する。 27 彼らはその先祖がバアルに従ってわが名を忘れたように、互に夢を語って、わたしの民にわが名を忘れさせようとする。 28 夢をみた預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない。わらと麦とをくらべることができようかと、主は言われる。29 主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。
23:30 それゆえ見よ、わたしはわたしの言葉を互に盗む預言者の敵となると、主は言われる。31 見よ、わたしは、『主は言いたもう』と舌をもって語る預言者の敵となると、主は言われる。32 主は仰せられる、見よ、わたしは偽りの夢を預言する者の敵となる。彼らはそれを語り、またその偽りと大言をもってわたしの民を惑わす。

神からこない偽りの預言をする者らは偽りの夢を見るのです。そして彼らは聞く者たちに主の名を忘れさせようとするのです。偽りの預言を語る相手についてはこの様に書かれています。「主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。 どのように主を信じているかが重要です。偽りの夢を見る預言者、また偽りの夢に惑わされてはなりません。偽りが多く蔓延る時代です。だから、真に主を信じる者たちに、万軍の主はこう言われるのです、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない」と。
ゼカ 10:2 テラピムは、たわごとを言い、占い師は偽りを見、夢見る者は偽りの夢を語り、むなしい慰めを与える。このゆえに、民は羊のようにさまよい、牧者がないために悩む。 エレ 29:8 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたのうちにいる預言者と占い師に惑わされてはならない。また彼らの見る夢に聞き従ってはならない。 29:9 それは、彼らがわたしの名によってあなたがたに偽りを預言しているからである。わたしが彼らをつかわしたのではないと主は言われる。
偽りの夢を見、偽りの預言をするものたちは残念ながら我々信者、教職者、教会の中にいます。偽りの預言、偽りの夢を見て空しい慰めや望みを持たせる者たちに気をつけなければならないのです。
イザ 56:10 見張人らはみな目しいで、知ることがなく、みな、おしの犬で、ほえることができない。みな夢みる者、伏している者、まどろむことを好む者だ。 56:11 この犬どもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める。 56:12 彼らは互に言う、「さあ、われわれは酒を手に入れ、濃い酒をあびるほど飲もう。あすも、きょうのようであるだろう、すばらしい日だ」と。
このような牧者が多く現れてきています。信徒を守るどころではない状態の牧者が多く現れています。彼らの実を見れば偽り者かどうかは明らかですが・・・。 ユダ 1:8 しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。 1:16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。 1:17 愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。 1:18 彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。 夢に惑わされるならどのような結末が待っているかがわかります。 惑わされるものもあれば惑わされないものもいるのです。惑わされる者であってはなりません。しっかりと御言葉に留まりましょう。 伝 1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。 1:10 「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。 聖霊様によって御言葉を調べることは本当に重要です。 新約だけでなく旧約もしっかりと調べて下さい。 神の知恵なしには主の御心を行う信仰生活は不可能ですから。

愛が冷える時

マタ 24:1 イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。 24:2 そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。 24:3 またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。 24:4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 24:5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 24:6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 24:8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 24:9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 24:10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 24:11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 24:12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 24:14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。 24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 24:17 屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 24:18 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 24:19 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。 24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 24:22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 24:23 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 24:24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 24:25 見よ、あなたがたに前もって言っておく。 24:26 だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。 24:27 ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。 24:28 死体のあるところには、はげたかが集まるものである。 24:29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 24:31 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。 24:32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 24:34 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。 24:35 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 24:36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 24:37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 24:40 そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 24:41 ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。 24:42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 24:43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。 24:44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 24:45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 24:46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。 24:47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 24:48 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 24:49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、 24:50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 24:51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。と聞いています。それに対しての答えが語られていますが、その中の一つが、 「また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」と答えられています。 今、まさに愛が冷えている時です。それに気付いているでしょうか。 一般的に人間が冷たくなった。愛情がない。という意味だけにとらわれていると、 終わりの時に愛が冷えている事に気付きにくいかもしれません。 聖書は主を信じるものに対して書かれているのですから。
二ヨハ 1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。 黙 2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
 愛は冷えてもだめ。離れてもだめですね。主を愛するが故に戒めを守り(御言葉に従い)、そして、主に愛された兄弟姉妹を愛するという実が現れるものが、真実に主を信じる者の実ですね。そのような者は世にも勝利します。
一ヨハ 5:1 すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。 5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。 5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。 5:4 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。 5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。 一ヨハ 4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。 4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。 4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 一ヨハ 3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
実によってわかりますね。 これらの御言葉が成就しつつある今、聡いものは今がどのような時かを聖霊様によって感じているでしょう。霊も紛らわしい時代ですが、主にあるものは御言葉通りの実を伴いますから、御言葉に忠実にしたがって歩んでいれば霊を見分ける力も与えられています。 また、愛を与えられますので、主を愛し、御言葉に従い歩んでゆく力が与えられます。 どちらに属しているのかがはっきりする時です。 今を例えるなら、試験で言うなら最後の見直しをする時間だと思ってください。 「だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」

求めよ、そうすれば、与えられるであろう

聖書 ヨハネ15章

ヨハ
15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
15:12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
15:18 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
15:19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
15:20 わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
15:21 彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。
15:22 もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。
15:24 もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。
15:25 それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。


「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」この御言葉を最近は未信者でさえも都合よく用いたりしますが、神は人間の欲望を満たす為にこの様な聖句を与えたのでしょうか。
もちろん違います。本文の7節から読んでみましょう。

15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。


主から与えられるものと悪しきものから与えられるものとでは全く違います。
神からのものは永遠の命に至りますが、悪しき者からのものは一時的には良く見えても滅びに至らせるものです。ですから悪しきものに跪く代わりに地位、名声、物質を手に入れる人は大勢いるのです。世のもので満足するならそれで良いでしょう。今は良くても確実に滅びが待っています。
しかし、主を信じるものは、主につながり、主(御言葉)に従い、主に求めるのです。
また、主はこのように語られましたよ。
「ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。」
 今みなさんは何を主に祈りますか。主はこの様に祈れとおっしゃっています。
ルカ
11:1 また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
11:2 そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
11:3 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
11:4 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。


主は求めることの重要さを何度も語っていらっしゃいますが、それは我々人間がどれだけ愚かであるかを主は御存じなのです。
主イエスを信じれば救われます。しかし軽く考え、好き放題に御言葉に従わずに生きている人はこの聖句を誤解しているのです。救いは軽いものではありません。与えられたものを手放してはならないのです。
日々主を求めていますか。なんだか信仰が昔よりぬるくなったなというなら大変な事です。
主を信じたなら、御言葉に日々従うなら、主を知れば知る程ますます主を求めるでしょう。
そして、本当に大事なものが日々与えられている事に気付くはずです。

ルカ
11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
11:10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
11:11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。


最近は様々な事があって不安なことも多いかと思いますが、主に信頼してください。
主につながり、御言葉に留まるものを神は放っておかれません。

マタ
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。


しかし、主を信じる者にも様々な人がいます。以下の御言葉が該当するならば、悔い改め、主にただ従って歩まなければなりません。特に「世を友とする誘惑」に負けてはいけません。知らずに陥るならもっと危険です。祈って目を覚ましていましょう。
主は滅びではなく救われる事を望んでいらっしゃるのですから。

ヤコブ
4:2 あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。
4:3 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。
4:4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
4:5 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。
4:6 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。

神の御手

聖書 Ⅰペテロ5章

一ペテ
5:1 そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。
5:2 あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
5:3 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。
5:4 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
5:5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。
5:6 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。
5:10 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。
5:11 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。
5:12 わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。
5:13 あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。
5:14 愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように。

神の力強い御手の下に、自らを低くし、神にゆだね歩んでゆかねばなりません。
また、身を慎み、目をさましていなければなりません。
人に従うのではなく主に従わなければなりません。
神に従わない牧者に騙されてはなりません。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。」と書かれているように、目を覚ましていないなら敵の存在さえもわからないでしょう。だから、目をしっかり覚ましていて下さい。もし自分自身が高慢であるなら神に守られる事もありませんし、道を誤ってしまうでしょう。
しっかり知っておかなければならないのは、世の中の価値観とは全く違うものであるという事です。言い換えるなら世の中の与えた価値観に染まってしまっているなら、あなたがいくら知識人であっても、神が語られていることが簡単な事さえも理解できないのです。自らを低くし、主により頼まなければなりません。

イザ
59:1 見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
59:2 ただ、あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
59:3 あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、
59:4 ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。
59:5 彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死ぬ。卵が踏まれると破れて毒蛇を出す。
59:6 その織る物は着物とならない。その造る物をもって身をおおうことができない。彼のわざは不義のわざであり、彼らの手には暴虐の行いがある。
59:7 彼らの足は悪に走り、罪のない血を流すことに速い。彼らの思いは不義の思いであり、荒廃と滅亡とがその道にある。
59:8 彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。
59:9 それゆえ、公平は遠くわれわれを離れ、正義はわれわれに追いつかない。われわれは光を望んでも、暗きを見、輝きを望んでも、やみを行く。
59:10 われわれは盲人のように、かきを手さぐりゆき、目のない者のように手さぐりゆき、真昼でも、たそがれのようにつまずき、強壮な者の中にあっても死人のようだ。
59:11 われわれは皆くまのようにほえ、はとのようにいたくうめき、公平を望んでも、きたらず、救を望んでも、遠くわれわれを離れ去る。
59:12 われわれのとがは、あなたの前に多く、罪は、われわれを訴えて、あかしをなし、とがは、われわれと共にあり、不義は、われわれがこれを知る。
59:13 われわれは、そむいて主をいなみ、退いて、われわれの神に従わず、しえたげと、そむきとを語り、偽りの言葉を心にはらんで、それを言いあらわす。
59:14 公平はうしろに退けられ、正義ははるかに立つ。それは、真実は広場に倒れ、正直は、はいることができないからである。
59:15 真実は欠けてなく、悪を離れる者はかすめ奪われる。主はこれを見て、公平がなかったことを喜ばれなかった。
59:16 主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた。
59:17 主は義を胸当としてまとい、救のかぶとをその頭にいただき、報復の衣をまとって着物とし、熱心を外套として身を包まれた。
59:18 主は彼らの行いにしたがって報いをなし、あだにむかって怒り、敵にむかって報いをなし、海沿いの国々にむかって報いをされる。
59:19 こうして、人々は西の方から主の名を恐れ、日の出る方からその栄光を恐れる。主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである。
59:20 主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。
59:21 主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においたわが言葉は、今から後とこしえに、あなたの口から、あなたの子らの口から、あなたの子らの子の口から離れることはない」と。

我々が誰の手の下に所属しているのか、昼(光)の者なのか夜(闇)の者なのか
明らかになる時が来ます。「主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」。とあるように御言葉は成就します。

エペ
6:10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15 平和の福音の備えを足にはき、
6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

一テサ
5:1 兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
5:2 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
5:3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
5:4 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
5:5 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
5:6 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
5:8 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
5:9 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
5:10 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。

以上のエペソとⅠテサロニケでは似通ってはいますが重要な事がそれぞれ書かれています。
今、悪しき者達が特に働いている時ですから注意して、
真実に主を信じて従ってゆきましょう。
エズ
「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」
この御言葉は未信者の事ではありません。
今、主の御手の中に生きているでしょうか。
目を覚ましていないなら「違う者の手の下にいた」ということもあり得るのです。
目を覚まして祈り、主の御心に歩んでいるでしょうか。
神は侮られるお方ではありません。
御言葉を軽んじるなら、自分の(世の中の)考えを信仰に持ち込むなら同じ事です。
日々主に取り扱っていただきながら悔い改める所は悔い改め、
主の御手の中で歩んでゆきましょう。

「主に感謝せよ」


聖書 詩篇118

118:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
118:2 イスラエルは言え、「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:3 アロンの家は言え、「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:4 主をおそれる者は言え、「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:5 わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、主は答えて、わたしを広い所に置かれた。
118:6 主がわたしに味方されるので、恐れることはない。人はわたしに何をなし得ようか。
118:7 主はわたしに味方し、わたしを助けられるので、わたしを憎む者についての願いを見るであろう。
118:8 主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。
118:9 主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い。
118:10 もろもろの国民はわたしを囲んだ。わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。
118:11 彼らはわたしを囲んだ、わたしを囲んだ。わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。
118:12 彼らは蜂のようにわたしを囲み、いばらの火のように燃えたった。わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。
118:13 わたしはひどく押されて倒れようとしたが、主はわたしを助けられた。
118:14 主はわが力、わが歌であって、わが救となられた。
118:15 聞け、勝利の喜ばしい歌が正しい者の天幕にある。「主の右の手は勇ましいはたらきをなし、
118:16 主の右の手は高くあがり、主の右の手は勇ましいはたらきをなす」。
118:17 わたしは死ぬことなく、生きながらえて、主のみわざを物語るであろう。
118:18 主はいたくわたしを懲らされたが、死にはわたされなかった。
118:19 わたしのために義の門を開け、わたしはその内にはいって、主に感謝しよう。
118:20 これは主の門である。正しい者はその内にはいるであろう。
118:21 わたしはあなたに感謝します。あなたがわたしに答えて、わが救となられたことを。
118:22 家造りらの捨てた石は/隅のかしら石となった。
118:23 これは主のなされた事で/われらの目には驚くべき事である。
118:24 これは主が設けられた日であって、われらはこの日に喜び楽しむであろう。
118:25 主よ、どうぞわれらをお救いください。主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。
118:26 主のみ名によってはいる者はさいわいである。われらは主の家からあなたをたたえます。
118:27 主は神であって、われらを照された。枝を携えて祭の行列を祭壇の角にまで進ませよ。
118:28 あなたはわが神、わたしはあなたに感謝します。あなたはわが神、わたしはあなたをあがめます。
118:29 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに/絶えることがない。

何故クリスチャンに主をほめたたえよと語られているのでしょうか。
今日は聖書箇所のみですが、良く読んで味わい、悟りましょう。
御言葉を悟れば主への感謝が満ち溢れるでしょう。
2012年が始まりました。主を愛し、聞き従い、主に感謝をささげましょう!


111:1 主をほめたたえよ。わたしは正しい者のつどい、および公会で、心をつくして主に感謝する。
111:2 主のみわざは偉大である。すべてそのみわざを喜ぶ者によって尋ね窮められる。
111:3 そのみわざは栄光と威厳とに満ち、その義はとこしえに、うせることがない。
111:4 主はそのくすしきみわざを記念させられた。主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。
111:5 主はおのれを恐れる者に食物を与え、その契約をとこしえに心にとめられる。
111:6 主はもろもろの国民の所領をその民に与えて、みわざの力をこれにあらわされた。
111:7 そのみ手のわざは真実かつ公正であり、すべてのさとしは確かである。
111:8 これらは世々かぎりなく堅く立ち、真実と正直とをもってなされた。
111:9 主はその民にあがないを施し、その契約をとこしえに立てられた。そのみ名は聖にして、おそれおおい。
111:10 主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。主の誉は、とこしえに、うせることはない。

歴代上
16:8 主に感謝し、そのみ名を呼び、/そのみわざをもろもろの民の中に知らせよ。
16:9 主にむかって歌え、主をほめ歌え。そのもろもろのくすしきみわざを語れ。
16:10 その聖なるみ名を誇れ。どうか主を求める者の心が喜ぶように。
16:11 主とそのみ力とを求めよ。つねにそのみ顔をたずねよ。
16:12 そのしもべアブラハムのすえよ、/その選ばれたヤコブの子らよ。主のなされたくすしきみわざと、その奇跡と、/そのみ口のさばきとを心にとめよ。
16:14 彼はわれわれの神、主にいます。そのさばきは全地にある。


136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを/なされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:10 エジプトのういごを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:11 イスラエルをエジプトびとの中から/導き出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:12 強い手と伸ばした腕とをもって、これを救い出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:13 紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:14 イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:15 パロとその軍勢とを紅海で/打ち敗られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:16 その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:17 大いなる王たちを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:18 名ある王たちを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:19 アモリびとの王シホンを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:20 バシャンの王オグを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:21 彼らの地を嗣業として与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:22 そのしもべイスラエルに嗣業として/これを与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:23 われらが卑しかった時に/われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:24 われらのあだからわれらを/助け出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:25 すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:26 天の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

イザ
12:1 その日あなたは言う、「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。
12:2 見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである」。
12:3 あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。
12:4 その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。そのみ名のあがむべきことを語りつげよ。
12:5 主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。
12:6 シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで/大いなる者だから」。


安息日の歌、さんび
92:1 いと高き者よ、主に感謝し、み名をほめたたえるのは、よいことです。
92:2 あしたに、あなたのいつくしみをあらわし、夜な夜な、あなたのまことをあらわすために、
92:3 十弦の楽器と立琴を用い、琴のたえなる調べを用いるのは、よいことです。
92:4 主よ、あなたはみわざをもって/わたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います。
92:5 主よ、あなたのみわざは/いかに大いなることでしょう。あなたのもろもろの思いは、いとも深く、
92:6 鈍い者は知ることができず、愚かな者はこれを悟ることができません。
92:7 たとい、悪しき者は草のようにもえいで、不義を行う者はことごとく栄えても、彼らはとこしえに滅びに定められているのです。
92:8 しかし、主よ、あなたはとこしえに/高き所にいらせられます。
92:9 主よ、あなたの敵、あなたの敵は滅び、不義を行う者はことごとく散らされるでしょう。
92:10 しかし、あなたはわたしの角を/野牛の角のように高くあげ、新しい油をわたしに注がれました。
92:11 わたしの目はわが敵の没落を見、わたしの耳はわたしを攻める悪者どもの/破滅を聞きました。
92:12 正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。
92:13 彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、
92:15 主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。


感謝の供え物のための歌
100:1 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
100:2 喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
100:3 主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
100:4 感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
100:5 主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。


107:1 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と、
107:2 主にあがなわれた者は言え。主は彼らを悩みからあがない、
107:3 もろもろの国から、東、西、北、南から彼らを集められた。
107:4 彼らは人なき荒野にさまよい、住むべき町にいたる道を見いださなかった。
107:5 彼らは飢え、またかわき、その魂は彼らのうちに衰えた。
107:6 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、
107:7 住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。
107:8 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。
107:9 主はかわいた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良き物で満たされるからである。
107:10 暗黒と深いやみの中にいる者、苦しみと、くろがねに縛られた者、
107:11 彼らは神の言葉にそむき、いと高き者の勧めを軽んじたので、
107:12 主は重い労働をもって彼らの心を低くされた。彼らはつまずき倒れても、助ける者がなかった。
107:13 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、
107:14 暗黒と深いやみから彼らを導き出して、そのかせをこわされた。
107:15 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。
107:16 主は青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切られたからである。
107:17 ある者はその罪に汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。
107:18 彼らはすべての食物をきらって、死の門に近づいた。
107:19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、
107:20 そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。
107:21 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。
107:22 彼らが感謝のいけにえをささげ、喜びの歌をもって、そのみわざを言いあらわすように。
107:23 舟で海にくだり、大海で商売をする者は、
107:24 主のみわざを見、また深い所でそのくすしきみわざを見た。
107:25 主が命じられると暴風が起って、海の波をあげた。
107:26 彼らは天にのぼり、淵にくだり、悩みによってその勇気は溶け去り、
107:27 酔った人のようによろめき、よろめいて途方にくれる。
107:28 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い出された。
107:29 主があらしを静められると、海の波は穏やかになった。
107:30 こうして彼らは波の静まったのを喜び、主は彼らをその望む港へ導かれた。
107:31 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。
107:32 彼らが民の集会で主をあがめ、長老の会合で主をほめたたえるように。
107:33 主は川を野に変らせ、泉をかわいた地に変らせ、
107:34 肥えた地をそれに住む者の悪のゆえに塩地に変らせられる。
107:35 主は野を池に変らせ、かわいた地を泉に変らせ、
107:36 飢えた者をそこに住まわせられる。こうして彼らはその住むべき町を建て、
107:37 畑に種をまき、ぶどう畑を設けて/多くの収穫を得た。
107:38 主が彼らを祝福されたので彼らは大いにふえ、その家畜の減るのをゆるされなかった。
107:39 彼らがしえたげと、悩みと、悲しみとによって/減り、かつ卑しめられたとき、
107:40 主はもろもろの君に侮りをそそぎ、道なき荒れ地にさまよわせられた。
107:41 しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、その家族を羊の群れのようにされた。
107:42 正しい者はこれを見て喜び、もろもろの不義はその口を閉じた。
107:43 すべて賢い者はこれらの事に心をよせ、主のいつくしみをさとるようにせよ。

風習による汚れ

聖書 二コリント 11章

二コリ
11:1 わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのだ。
11:2 わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
11:5 事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも劣ってはいないと思う。
11:6 たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。わたしは、事ごとに、いろいろの場合に、あなたがたに対してそれを明らかにした。
11:7 それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、罪になるのだろうか。
11:8 わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、
11:9 あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
11:10 わたしの内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、決してない。
11:11 なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。
11:12 しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。
11:13 こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
11:14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
11:15 だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
11:16 繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。
11:17 いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。
11:18 多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
11:19 あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
11:20 実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。
11:21 言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
11:22 彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。
11:23 彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
11:26 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
11:28 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
11:29 だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
11:30 もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
11:31 永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
11:32 ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、
11:33 その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。

主は我々の思いから行動まで汚されることなく聖く信仰生活をする事を願っていらっしゃいます。
11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。


この個所は一般的に異端といわれる物の事だと考えてしまうなら引っかかってしまう可能性があります。今は「正統派」のような看板を掲げている様な所にも偽りが混在しています。

11:12 しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。
11:13 こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
11:14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
11:15 だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわ
ざに合ったものとなろう。

騙される時には騙されていることが分かる風貌では騙しに来ません。騙し手は、さも本物の様に紛らわしく振舞うから騙される人が出てくるのです。
サタンがいつから働いているかを知るならば、その手口が世の終わりに近づくとともにさらに進歩している事を知るでしょう。
以下のレビ記の個所を読んでみて下さい。
まさか教会でこの様な事を行うはずがないと思うでしょう?
しかし、簡単な例を出すならば、「預言」を行う教会に占いが入り込んでいたり、異なる霊が教会に入り込んでいたりという事が案外多い状況になっています。
神はこの様に語られます。「ゆえにあなたがたは、みずからを聖別し、聖なる者とならなければならない」
汚れから離れなければなりません。
「あなたがたの前からわたしが追い払う国びとの風習に、あなたがたは歩んではならない。彼らは、このもろもろのことをしたから、わたしは彼らを憎むのである。」
神の憎まれる悪しき者からくる風習が入り込んでいるのを知ったなら、身を守るために逃げなければなりません。そして、正しく主の御言葉に従って生きなければなりません。

レビ
20:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。
20:3 わたしは顔をその人に向け、彼を民のうちから断つであろう。彼がその子供をモレクにささげてわたしの聖所を汚し、またわたしの聖なる名を汚したからである。
20:4 その人が子供をモレクにささげるとき、国の民がもしことさらに、この事に目をおおい、これを殺さないならば、
20:5 わたし自身、顔をその人とその家族とに向け、彼および彼に見ならってモレクを慕い、これと姦淫する者を、すべて民のうちから断つであろう。
20:6 もし口寄せ、または占い師のもとにおもむき、彼らを慕って姦淫する者があれば、わたしは顔をその人に向け、これを民のうちから断つであろう。
20:7 ゆえにあなたがたは、みずからを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
20:8 あなたがたはわたしの定めを守って、これを行わなければならない。わたしはあなたがたを聖別する主である。
20:9 だれでも父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。彼が父または母をのろったので、その血は彼に帰するであろう。
20:10 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。
20:11 その父の妻と寝る者は、その父をはずかしめる者である。彼らはふたりとも必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。
20:12 子の妻と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。
20:13 女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう。
20:14 女をその母と一緒にめとるならば、これは悪事であって、彼も、女たちも火に焼かれなければならない。このような悪事をあなたがたのうちになくするためである。
20:15 男がもし、獣と寝るならば彼は必ず殺されなければならない。あなたがたはまた、その獣を殺さなければならない。
20:16 女がもし、獣に近づいて、これと寝るならば、あなたは、その女と獣とを殺さなければならない。彼らは必ず殺さるべきである。その血は彼らに帰するであろう。
20:17 人がもし、その姉妹、すなわち父の娘、あるいは母の娘に近づいて、その姉妹のはだを見、女はその兄弟のはだを見るならば、これは恥ずべき事である。彼らは、その民の人々の目の前で、断たれなければならない。彼は、その姉妹を犯したのであるから、その罪を負わなければならない。
20:18 人がもし、月のさわりのある女と寝て、そのはだを現すならば、男は女の源を現し、女は自分の血の源を現したのであるから、ふたり共にその民のうちから断たれなければならない。
20:19 あなたの母の姉妹、またはあなたの父の姉妹を犯してはならない。これは、自分の肉親の者を犯すことであるから、彼らはその罪を負わなければならない。
20:20 人がもし、そのおばと寝るならば、これはおじをはずかしめることであるから、彼らはその罪を負い、子なくして死ぬであろう。
20:21 人がもし、その兄弟の妻を取るならば、これは汚らわしいことである。彼はその兄弟をはずかしめたのであるから、彼らは子なき者となるであろう。
20:22 あなたがたはわたしの定めとおきてとをことごとく守って、これを行わなければならない。そうすれば、わたしがあなたがたを住まわせようと導いて行く地は、あなたがたを吐き出さぬであろう。
20:23 あなたがたの前からわたしが追い払う国びとの風習に、あなたがたは歩んではならない。彼らは、このもろもろのことをしたから、わたしは彼らを憎むのである。
20:24 わたしはあなたがたに言った、「あなたがたは、彼らの地を獲るであろう。わたしはこれをあなたがたに与えて、これを獲させるであろう。これは乳と蜜との流れる地である」。わたしはあなたがたを他の民から区別したあなたがたの神、主である。
20:25 あなたがたは清い獣と汚れた獣、汚れた鳥と清い鳥を区別しなければならない。わたしがあなたがたのために汚れたものとして区別した獣、または鳥またはすべて地を這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。
20:26 あなたがたはわたしに対して聖なる者でなければならない。主なるわたしは聖なる者で、あなたがたをわたしのものにしようと、他の民から区別したからである。
20:27 男または女で、口寄せ、または占いをする者は、必ず殺されなければならない。すなわち、石で撃ち殺さなければならない。その血は彼らに帰するであろう』」。


レビ
18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。


主に従って歩んでゆきましょう。

「十戒」


聖書 出エジプト20章

20:1 神はこのすべての言葉を語って言われた。
20:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
20:7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
20:12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
20:13 あなたは殺してはならない。
20:14 あなたは姦淫してはならない。
20:15 あなたは盗んではならない。
20:16 あなたは隣人について、偽証してはならない。
20:17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
20:18 民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。
20:19 彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。
20:20 モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。
20:21 そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。
20:22 主はモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々にこう言いなさい、『あなたがたは、わたしが天からあなたがたと語るのを見た。
20:23 あなたがたはわたしと並べて、何をも造ってはならない。銀の神々も、金の神々も、あなたがたのために、造ってはならない。
20:24 あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。
20:25 あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである。
20:26 あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである』。

現代では、教会において十戒を守らなければならないというならば、「律法的だ」などと非難されてしまうのでしょうが、では、単なる旧約聖書の一部として、我々はキリストの血でゆるされたのだから関係ないと信仰生活をしていて良いものでしょうか?
私自身は律法を守って救われようとは考えてはいませんが、律法主義は良くないと目くじらを立てて十戒をないがしろにしてはならないと考えます。
なぜなら、十戒とは神が我々人間に与えられた物であり、それは我々の為には貴重な戒めであるからです。
以下の十戒の内容をよく読んでみて下さい。

20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
20:7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
20:12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
20:13 あなたは殺してはならない。
20:14 あなたは姦淫してはならない。
20:15 あなたは盗んではならない。
20:16 あなたは隣人について、偽証してはならない。
20:17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

守ることに固執して律法主義者やパリサイ人になるのはいけませんが、
神を信じる者として従うべき戒めである事はわかります。
他人を罪に定めることは我々のすることではありませんので、
我々は神との関係で神に喜ばれる信仰生活を歩んでゆくべきなのです。
それには、神との正しい関係が必要なわけです。

ルカ
6:5 また彼らに言われた、「人の子は安息日の主である」。
6:6 また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。
6:7 律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。
6:8 イエスは彼らの思っていることを知って、その手のなえた人に、「起きて、まん中に立ちなさい」と言われると、起き上がって立った。
6:9 そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。
6:10 そして彼ら一同を見まわして、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、その手は元どおりになった。
6:11 そこで彼らは激しく怒って、イエスをどうかしてやろうと、互に話合いをはじめた。

主イエスのもとに癒しを求めたのは病人や罪人たちでした。
彼らは自分が病人であり、また罪人である事を自覚していたから癒しを求めてイエス様のもとに行ったのです。
そして、御業を行った主を見た律法学者やパリサイ人たちは激しく怒って、イエスをどうかしてやろうと、互に話合いをはじめた。と書かれています。
神が喜ばれるのは憐れみであっていけにえではないという御言葉もあります。
今、我々は主のもとにゆき、主に聞く姿勢を忘れてはなりません。
多くの人が、教会がこうだからと盲目的についていってはなりません。

ルカ
13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。

日々主を覚え、ルカ書6章の御言葉のどちらに自分がいるのかを知り、
日々悔い改め、主に寄り添って歩む信仰生活をしてゆきましょう。
特に主と交わり祈ることに力を尽くさなくてはなりません!

逆境の日には考えよ

ヨブ 36:1 エリフは重ねて言った、 36:2 「しばらく待て、わたしはあなたに示すことがある。なお神のために言うべき事がある。 36:3 わたしは遠くからわが知識を取り、/わが造り主に正義を帰する。 36:4 まことにわたしの言葉は偽らない。知識の全き者があなたと共にいる。 36:5 見よ、神は力ある者であるが、/何をも卑しめられない、/その悟りの力は大きい。 36:6 彼は悪しき者を生かしておかれない、/苦しむ者のためにさばきを行われる。 36:7 彼は正しい者から目を離さず、/位にある王たちと共に、とこしえに、/彼らをすわらせて、尊くされる。 36:8 もし彼らが足かせにつながれ、/悩みのなわに捕えられる時は、 36:9 彼らの行いと、とがと、/その高ぶったふるまいを彼らに示し、 36:10 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、/悪を離れて帰ることを命じられる。 36:11 もし彼らが聞いて彼に仕えるならば、/彼らはその日を幸福に過ごし、その年を楽しく送るであろう。 36:12 しかし彼らが聞かないならば、つるぎによって滅び、/知識を得ないで死ぬであろう。 36:13 心に神を信じない者どもは怒りをたくわえ、/神に縛られる時も、助けを呼び求めることをしない。 36:14 彼らは年若くして死に、/その命は恥のうちに終る。 36:15 神は苦しむ者をその苦しみによって救い、/彼らの耳を逆境によって開かれる。 36:16 神はまたあなたを悩みから、/束縛のない広い所に誘い出された。そしてあなたの食卓に置かれた物は/すべて肥えた物であった。 36:17 しかしあなたは悪人のうくべき/さばきをおのれに満たし、/さばきと公義はあなたを捕えている。 36:18 あなたは怒りに誘われて、/あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。 36:19 あなたの叫びはあなたを守って、/悩みを免れさせるであろうか、/いかに力をつくしても役に立たない。 36:20 人々がその所から断たれる/その夜を慕ってはならない。 36:21 慎んで悪に傾いてはならない。あなたは悩みよりもむしろこれを選んだからだ。 36:22 見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。 36:23 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。だれか『あなたは悪い事をした』と/言いうる者があるか。 36:24 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。 36:25 すべての人はこれを仰ぎ見る。人は遠くからこれを見るにすぎない。 36:26 見よ、神は大いなる者にいまして、/われわれは彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。 36:27 彼は水のしたたりを引きあげ、/その霧をしたたらせて雨とされる。 36:28 空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。 36:29 だれか雲の広がるわけと、/その幕屋のとどろくわけとを/悟ることができようか。 36:30 見よ、彼はその光をおのれのまわりにひろげ、/また海の底をおおわれる。 36:31 彼はこれらをもって民をさばき、/食物を豊かに賜い、 36:32 いなずまをもってもろ手を包み、/これに命じて敵を打たせられる。 36:33 そのとどろきは、/悪にむかって怒りに燃える彼を現す。
逆境の時をどのように過ごしますか? 人は自分が逆境にいる時、心楽しく浮かれて過ごす事はなく、その辛く苦しい時が早く過ぎ去って欲しいと願うばかりではないでしょうか。 しかし、クリスチャンにとっての逆境は偶然でも何でもなく、神の御手の中である意味与えられているともいえるのです。(自らが蒔いたものを刈り取っている場合を除いて)
36:15 神は苦しむ者をその苦しみによって救い、/彼らの耳を逆境によって開かれる。
全ては主の御手の中にあるのです。 伝道者の書にはこの様な御言葉があります。
伝 7:13 神のみわざを考えみよ。神の曲げられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。 7:14 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。 7:15 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
逆境の日には考えよとあります。様々なケースがありますが、 祈り、あなたに対しての主の御旨、御言葉を聞きましょう。 もし、主の御心から離れて逆境に陥っているならば、この様に書かれています。
36:8 もし彼らが足かせにつながれ、/悩みのなわに捕えられる時は、 36:9 彼らの行いと、とがと、/その高ぶったふるまいを彼らに示し、 36:10 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、/悪を離れて帰ることを命じられる。 36:11 もし彼らが聞いて彼に仕えるならば、/彼らはその日を幸福に過ごし、その年を楽しく送るであろう。 36:12 しかし彼らが聞かないならば、つるぎによって滅び、/知識を得ないで死ぬであろう。 36:13 心に神を信じない者どもは怒りをたくわえ、/神に縛られる時も、助けを呼び求めることをしない。 そして、あなたが理由なく人に苦しめられているならこの様な御言葉があります。 36:6 彼は悪しき者を生かしておかれない、/苦しむ者のためにさばきを行われる。
辛い時、ついついこの様に呟いてしまうときがありませんか? 「昔の方が良かった・・・」 しかし、伝道の書にはこの様に書かれています。
伝 7:10 「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。
我々クリスチャンは地上に目や心を向けて歩むものではありません。 神の御国に向かって、未来に向かって歩むものです。 まだ見てはいませんが、天の御国はどれ程素晴らしい所かご存知ですか? 一日一日、主を真に信じて歩むクリスチャンは確実に一歩一歩、神の御国に近付いているのです。昔の方が良いはずがありません。 今はその素晴らしい御国に行く行程の道中なのです。山登りでも途中であきらめていては頂上にたどり着くことはないのです。 どのような状況にあっても忘れてはならない事は、以下に書かれています。
36:24 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。

主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである


聖書 Ⅰコリント10章
一コリ
10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
10:7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
10:8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
10:10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
10:14 それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
10:15 賢明なあなたがたに訴える。わたしの言うことを、自ら判断してみるがよい。
10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。
10:17 パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。
10:18 肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。
10:19 すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。
10:20 そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。
10:21 主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。
10:22 それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。
10:23 すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
10:24 だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。
10:25 すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
10:26 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。
10:27 もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
10:28 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。
10:29 良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことである。なぜなら、わたしの自由が、どうして他人の良心によって左右されることがあろうか。
10:30 もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。
10:31 だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。
10:32 ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。
10:33 わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。

主は我々を試みられます。しかし悪魔も我々を試みにあわせる事があります。
イエス様ご自身も「悪魔の試みにあわれた。」と書かれている箇所があります様に、悪魔の試みにあわれ勝利されました。
ただし、我々が試みにあうのは何通りかのケースがあるようです。
そのうちの何種類かのケースを簡単に見てゆきたいと思います。

1、主に練り聖められるため(主を覚えるため)。
詩26:2 主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。
申8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

2、主に従うかどうか試みるため
士2:22 これはイスラエルが、先祖たちの守ったように主の道を守ってそれに歩むかどうかをわたしが試みるためである」。
士3:4 これらをもってイスラエルを試み、主がモーセによって先祖たちに命じられた命令に、彼らが従うかどうかを知ろうとされたのである。
申 13:3 あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。
申 8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。

3、主の御心、御旨を行うのにふさわしいものを選ぶため
士 7:3 それゆえ、民の耳に触れ示して、『だれでも恐れおののく者は帰れ』と言いなさい」。こうしてギデオンは彼らを試みたので、民のうち帰った者は二万二千人あり、残った者は一万人であった。

4、主の御心に従うがゆえにふりかかってくるもの
一ペテ4:12 愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
4:14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。
4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

このように様々なケースがありますね。
しかし、我々が最も注意していなければならないのは、自分が神を試みて逆に試みにあってしまうケースです。一体何の事だろうと思われるでしょうから御言葉から説明します。

詩 78:18 おのが欲のために食物を求めて、その心のうちに神を試みた。
詩106:14 野でわがままな欲望を起し、荒野で神を試みた。
マタ16:1 パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
一コリ10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」と聖書にあるように、
我々は神を試みることのできるような存在ではないのです、神がどのようなお方であるかを知るなら、我々は高ぶって神を試みるようなことなしないでしょう。高慢は悪魔の思想です。

一コリ
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

この個所には「ある者たち」と書かれています。
主に従っていない人が教会の中にいないと言い切れない時代です(実際は多くいると思います)。そのような中で「誰かがしているから私も・・・」という考えはとても危険です。
我々は御言葉に従わなくてはなりません。
悪しきものに騙されてはなりません。
だから、我々は日々真実に主に従い、聖書を調べ、祈らなければならないのです。
主の祈りを心から真実に祈ることは重要ですね。

マタ
6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
6:13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」


聖書 

申命記8章

8:1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
8:4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
8:5 あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。
8:6 あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。
8:7 それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、および淵のある地、
8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、
8:9 あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる。
8:10 あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。
8:11 あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。
8:12 あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、
8:13 また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、
8:14 おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
8:15 あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、
8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。
8:17 あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。
8:18 あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
8:19 もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。
8:20 主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。


何故、人はパン(食物)のみによって生きる存在ではないと神は語られるのでしょうか。
肉体は食物を得れば十分に生きてゆく事が出来ます。そうです、神が語られているのは肉体を生かすのは食物ですが、我々人間は食物だけで生きる存在ではなく、霊によっても生きる存在であるという事なのです。
 つまり、神によって生かされている存在であるということに気づくことにより、神に立ち返り、神によって霊(永遠)の命を生かす事が出来るのです。

ルカ
4:1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
4:2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
4:3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
4:9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。
4:10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、
4:11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。
4:12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
4:13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。
4:14 それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。

 
ここではイエス様が肉体的にも空腹であった時に悪魔の試みにあわれていますが、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と御言葉によって勝利しています。
悪魔がどのような時に我々を誘惑するのかが理解できます。そして悪魔も御言葉を使って巧みに誘惑しています。我々も御霊に導かれていないと悪魔に騙されてしまう危険性がある事がわかります。

4:15 イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
4:16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
4:17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
4:20 イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
4:21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
4:22 すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。
4:23 そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。
4:24 それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。
4:25 よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、
4:26 エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。
4:27 また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くの重い皮膚病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。
4:28 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、
4:29 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。
4:30 しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。
4:31 それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。そして安息日になると、人々をお教えになったが、
4:32 その言葉に権威があったので、彼らはその教に驚いた。
4:33 すると、汚れた悪霊につかれた人が会堂にいて、大声で叫び出した、
4:34 「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
4:35 イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は彼を人なかに投げ倒し、傷は負わせずに、その人から出て行った。
4:36 みんなの者は驚いて、互に語り合って言った、「これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ」。
4:37 こうしてイエスの評判が、その地方のいたる所にひろまっていった。
4:38 イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。
4:39 そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。
4:40 日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。
4:41 悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。
4:42 夜が明けると、イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた。
4:43 しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。
4:44 そして、ユダヤの諸会堂で教を説かれた。


主イエスキリストを信じるなら、救われます。癒されます。
信じるあなたに神の御言葉は成就するのです。
御言葉は霊の糧(パン)なのです。
生きる者となったあなたには霊の糧が必要なのです。
もし糧(パン)を得ないなら、あなたは生きることができません。
申8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
神は愛する者に生きるためにパン(御言葉)が必要である事を知らせて下さっています。
得ることができる時にしっかりいただきましょう。

神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。

聖書 Ⅰペテロ4章

一ペテ
4:1 このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。
4:2 それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。
4:3 過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。
4:4 今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。
4:5 彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。
4:6 死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
4:7 万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。
4:8 何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
4:9 不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
4:10 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
4:11 語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。
4:12 愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
4:14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。
4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。
4:16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。
4:17 さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。
4:18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。
4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。


クリスチャン人生には苦しみが伴います。
「何故苦しみから救われるためにクリスチャンになったのに苦しまなければならないのか?そのために神を信じたのに」という人もおられることでしょう。
クリスチャンとしての苦しみと一般的人生を生きる上での苦しみは異なります。
今回はクリスチャンとしての苦しみについて少し見てゆきたいと思います。


119:71
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。

主のおきてを知らないということはクリスチャンにとっては命取りです。
「神は愛なり」です。
愛なる神は私たちクリスチャンを無駄に苦しませたりなさるお方ではありません。
全ての苦しみには意味があるのです。

ヘブル
5:7 キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
5:8 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、
5:9 そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、
5:10 神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。
5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。
一ペテ
5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。
5:10 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。

悪魔がいるのです。この世は悪しき者の支配下なのですから。
この事を忘れて生活するなら、戦う対象がわからないですし、
神の求めていらっしゃる「祈り」についてもわからないでしょう。
我々はイエスキリストの御足跡に従う者ですから、当然苦しみを受けるのです。
悪しき者の手から神のもとへ、クリスチャンとなった我々が悪魔の攻撃の対象となる理由もイエス様の歩まれた道を見るなら容易に理解できますね。

一ペテ
2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
2:21 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
2:22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
2:23 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
2:25 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

自分の悪によってではなく、主にあって苦しみを受けているあなたは幸いです。
主に従う故の苦しみは必ず主が報いて下さいます。
それはあなたにとって人生を振り向いた時、良きことであった事がわかります。
過去、主に従って苦しみを受けた預言者や弟子たちを模範に生きてゆきましょう。
そして、祈りに力を尽くして下さい。主はあなたの祈りを聞いておられます。

ヤコブ
5:8 あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。
5:9 兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。
5:10 兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。
5:11 忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。
5:12 さて、わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。
5:13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。
5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。

主を仰ぎ見ましょう。
真実に神の子とされたクリスチャンかどうか、以下の聖句からわかりますね。
世もますます悪くなってきていますので、きっとクリスチャンとして真実に生きる者には苦難が絶えない事でしょう。
「今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」と書かれていますね。
「やがてわたしたちに現されようとする栄光」を待ち望みつつ主に日々感謝をささげつつ生きてゆきましょう。

ロマ
8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

「実」


聖書 Ⅱテモテ3章

二テモ
3:1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
3:2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3:3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
3:4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
3:5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
3:6 彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。
3:7 彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。
3:8 ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。
3:9 しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
3:10 しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、
3:11 それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。
3:12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
3:13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
3:14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
3:15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。


「実」といえばガラテヤ書の御霊の実を思い起こす方が多いと思いまが、今回は少し違った側面からも見てゆきたいと思います。

3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たち

2:2悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。

この黙示録の個所は明らかに神から出たものではないもの、偽物、悪しき者が混じりこんでいることを意味するものでしょうから警戒が必要です。避けなければならない人々ということも本文には書かれていましたね。
しかし、神によって新生した聖徒であっても完全な人間はひとりもいません。ですから、聖書によらず自分の考えによって歩むなら、「実」は悪いものも出てきます。ですから自分にどのような信仰の実が現れているかによって自分自身も吟味できるでしょう。

ヤコブ
2:8 しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。
2:13 あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。
2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:15 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、
2:16 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
2:18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
2:19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
2:20 ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
2:25 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

行いという事が強調されていますが、言い換えれば「信仰の実」なのです。
生きた信仰を持っているのか、それとも口先だけなのか・・・。
ここで興味深いのは「あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。」と書かれています。
クリスチャンとしての実をあらわせているかどうかというのはある意味自分自身の信仰の表れといっても過言ではないでしょう。

ヤコブ
3:2 わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
3:3 馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。
3:4 また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。
3:5 それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。
3:6 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。
3:7 あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。
3:8 ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。
3:9 わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。
3:10 同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。
3:11 泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。
3:12 わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。
3:13 あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。
3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。
3:15 そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。
3:16 ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。
3:17 しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
3:18 義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。

 
自分から現れてくる「実」については、それが自分自身の信仰のあらわれでしょう。
当然、怒りによって神の義を全うすることはできません。
「上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。 義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。」と書かれているようなものでありたいですね。もし、肉の実があらわれているなら悔い改めるしかありませんね。
神の前に偽ることはできません。幸いなことに、悔い改めるなら、神は我々を憐れんで下さいます。主の前にへりくだって御心にかなった祈りをする者の願いを拒まれる事はありません。

ヤコブ
1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
1:20 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
1:22 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
1:23 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
1:24 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
1:25 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
1:26 もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
1:27 父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。

信仰の行いの実が現れている者であるかどうか?
自分自身を吟味することは大切な事です。悔い改めは聖霊様に取り扱っていただかなければ不可能ですから。悔い改める事が出来ることは感謝すべき事ですね。正しい道に立ち返ることができるのですから。
しかし、教会選びに関しては、聖書と異なる面があるなら近づかない方が賢明です。
今は悪い時代なのですから・・・。
聖霊様により頼み、祈り、しっかり聖書の御言葉にたちましょう。
神との関係を正しく持つことに力を尽くして下さい。

ききんの送られる日

聖書 ヨハネ6章
ヨハ

6:1 そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
6:2 すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3 イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
6:4 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
6:5 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
6:6 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
6:7 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
6:8 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
6:9 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
6:10 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
6:12 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
6:13 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
6:14 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
6:15 イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
6:16 夕方になったとき、弟子たちは海ベに下り、
6:17 舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。
6:18 その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。
6:19 四、五十丁こぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。
6:20 すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。
6:21 そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。
6:22 その翌日、海の向こう岸に立っていた群衆は、そこに小舟が一そうしかなく、またイエスは弟子たちと一緒に小舟にお乗りにならず、ただ弟子たちだけが船出したのを見た。
6:23 しかし、数そうの小舟がテベリヤからきて、主が感謝されたのちパンを人々に食べさせた場所に近づいた。
6:24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知って、それらの小舟に乗り、イエスをたずねてカペナウムに行った。
6:25 そして、海の向こう岸でイエスに出会ったので言った、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」。
6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
6:30 彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。
6:31 わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
6:32 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
6:33 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
6:34 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
6:36 しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。
6:37 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
6:38 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。
6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。
6:40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。
6:41 ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。
6:42 そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
6:43 イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。
6:44 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。
6:45 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。
6:46 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
6:48 わたしは命のパンである。
6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
6:50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
6:52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。
6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。
6:60 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。
6:61 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。
6:62 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。
6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
6:64 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。
6:65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
6:67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
6:69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。
6:70 イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。
6:71 これは、イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。このユダは、十二弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ろうとしていた。


だれでも飢饉という言葉を聞くならば、肉体的な飢え、食糧難(飢饉)の事を考えると思います。しかし、クリスチャンにとっての食物は肉体を生かすための糧だけではない事が本文にも書かれています。
そうです、クリスチャンにとっての霊の糧は神の御言葉なのです。
イエスキリストを信じるものは神の御言葉なしに生きることはできません。
なぜならそのお方は御言葉であり永遠の命があるからなのです。

ルカ
1:77 罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるから。
1:78 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
1:79 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
マタ
4:16 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

救われる以前にどのような所に生きていたかがわかります。
我々は神の憐れみによって救われたのです。

アモ
8:9 主なる神は言われる、「その日には、わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くし、
8:10 あなたがたの祭を嘆きに変らせ、あなたがたの歌をことごとく悲しみの歌に変らせ、すべての人に荒布を腰にまとわせ、すべての人に髪をそり落させ、その日を、ひとり子を失った喪中のようにし、その終りを、苦い日のようにする」。
8:11 主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
8:12 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。


ところが、その御言葉に飢える時が来る事が書かれています。
そのような事が起きる前にどうか真実に主を信じるものであってください。
黙 2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。この個所には隠されているマナを与えて下さる事が書かれています。信仰を持ち続け勝利を得るものでありましょう。


ダニ
2:22 神は深妙、秘密の事をあらわし、暗黒にあるものを知り、光をご自身のうちに宿す。

112:4 光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。

神は不平等なお方ではありません。
神はあなたに暗黒にいる時でさえ語りかけて下さいました。
神の愛を踏みにじるものであってはなりません。
暗黒に戻ってもなりませんし、神の前に悪いものであってはならないのです。
神に守っていただきましょう。

サム上
2:9 主はその聖徒たちの足を守られる、/しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。
2:10 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、/主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、/地のはてまでもさばき、/王に力を与え、/油そそがれた者の力を強くされるであろう」

主を喜ぶことはあなたがたの力です

聖書 エペソ5章

エペ
5:1 こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。
5:2 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
5:3 また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。
5:4 また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
5:5 あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
5:6 あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
5:7 だから、彼らの仲間になってはいけない。
5:8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――
5:9 光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――
5:10 主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
5:11 実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
5:12 彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
5:13 しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
5:14 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
5:15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
5:16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
5:17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
5:18 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
5:19 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
5:20 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
5:21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
5:22 妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
5:24 そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
5:25 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
5:28 それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
5:29 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
5:31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
5:32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
5:33 いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。


日々、主イエスキリストを愛していますか?喜んでいますか?

ネヘ
主を喜ぶことはあなたがたの力です

33:21 われらは主の聖なるみ名に信頼するがゆえに、われらの心は主にあって喜ぶ。
33:22 主よ、われらが待ち望むように、あなたのいつくしみをわれらの上にたれてください。
歴代上
16:10 その聖なるみ名を誇れ。どうか主を求める者の心が喜ぶように。
ネヘ
1:11 主よ、どうぞしもべの祈と、あなたの名を恐れることを喜ぶあなたのしもべらの祈に耳を傾けてください。どうぞ、きょう、しもべを恵み、この人の目の前であわれみを得させてください」

主の御名を喜ぶとは本当に素晴らしい事です。
では、なぜ主を喜ぶのでしょうか?
何か問題を解決してくださったからですか?
それとも今からの生活に災いが起こらないためでしょうか?
クリスチャンが主を喜ぶ根本を間違えてはなりません。
我々は真なる主イエスキリストなるお方が存在なさるが故に喜び、
そのお方に罪人であった者が救われたことに日々喜ぶのです。

ロマ
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
ヨハ
20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
20:26 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
20:30 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

主を真に信じるものは、真実に主を喜ぶ事が出来ます。
これは、環境状況に動かされるものではありません。

ピリ
3:1 最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩わしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。
3:2 あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。
3:3 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。

真実に主を信じ、喜び主の働きをするものがいれば、
見せかけがそうであっても、実は違うものについてものべられています。
そして、偽物には警戒が必要であることが書かれています。
よく注意して歩んでください。


104:33 わたしは生きるかぎり、主にむかって歌い、ながらえる間はわが神をほめ歌おう。
104:34 どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように。わたしは主によって喜ぶ。
104:35 どうか、罪びとが地から断ち滅ぼされ、悪しき者が、もはや、いなくなるように。わがたましいよ、主をほめよ。主をほめたたえよ。

「天地万物すべてのものを造られた主」

聖書 ヘブル12章

ヘブル
12:1 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
12:3 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
12:5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、/「わたしの子よ、/主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
12:6 主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。
12:7 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
12:8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
12:9 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
12:10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
12:12 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
12:13 また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。
12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
12:15 気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
12:16 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
12:17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
12:18 あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
12:19 また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
12:20 そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
12:21 その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。
12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。


天地万物全てのもの、時間も全ては主に創造されたものです。
その創造主なる主はどのようなお方であるかが書かれています。

4:11 「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。

14:7 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。

神は万物をお造りになりましたが悪しきものでさえも神によって創造された事が書かれています。全て神の御手によらない物はないのです。

3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

104:24 主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。

いくら悪しき者の力が強くとも我々クリスチャンには主が共にいて助けて下さいます。

詩 121:2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。
詩 124:8 われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。

我々は、主の御言葉を聞くことのできるものでなければなりませんし、見ることのできるものでなければなりません。
そのためには、神を愛し、主にいつも近くいるもの、真の信仰を持つものでなければなりません。


20:12 聞く耳と、見る目とは、ともに主が造られたものである。
イザ
29:11 それゆえ、このすべての幻は、あなたがたには封じた書物の言葉のようになり、人々はこれを読むことのできる者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「これは封じてあるから読むことができない」と彼は言う。
29:12 またその書物を読むことのできない者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「読むことはできない」と彼は言う。
29:13 主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めによるのである。
29:14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される」。
29:15 わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、「だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか」と言う。
29:16 あなたがたは転倒して考えている。陶器師は粘土と同じものに思われるだろうか。造られた物はそれを造った者について、「彼はわたしを造らなかった」と言い、形造られた物は形造った者について、「彼は知恵がない」と言うことができようか。

主が天地万物を造られたのです。
我々は神に文句を言える存在ではありません。
ただ、神の憐れみにより救われた存在であるのですから。
だから、主に感謝なのです。

ヘブル
12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

主は救い主です。
真に神であられる主イエスキリストを信じているなら救われます。
しかし、取り除かれる事もあると書かれています。
何をどのように信じているのかは、あなたの永遠を決める重要な事です。
神は御心のままに天地万物をお造りになられました。
しかし、この天地は永遠ではありません。終わりがあります。
人の命に当然終わりがあるように。
時は過ぎてゆきます。
それは、聖書が着々と成就してゆく事でもあるのです。
都合悪い事は信じたくないかもしれませんが、神の御言葉は地に落ちる事はありません。

マル
13:14 荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
13:15 屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。
13:16 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
13:17 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
13:18 この事が冬おこらぬように祈れ。
13:19 その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。
13:20 もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。
13:21 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
13:22 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
13:23 だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。
13:24 その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、
13:25 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
13:26 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
13:27 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
13:28 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
13:29 そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
13:30 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
13:31 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
時を知り、しっかりと神の語りかけを聞くものでありましょう。

すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。

一ヨハ 4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。 4:2 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、 4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。 4:4 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。 4:5 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。 4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。 4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。 4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 4:12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。 4:13 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。 4:14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。 4:15 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。 4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。 4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。 4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。 4:19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。 4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。 4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

一般的に「注意」を呼び掛ける時には、注意しなければならない対象がある場合に人々に呼び掛けるというのが当然の事です。
気象の警報も同様に台風なら台風が実際に起こっており接近して危険だから「警報」が出されるのです。
 なのに、どうしてクリスチャンは聖書の中に神からの警告が書かれていても実際の事として捉えることのないのんきな人が多いのでしょうか。
本文に「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。」と書かれていますが、「自分(私の教会)は大丈夫」と過信してはなりません。
御言葉に忠実に生きましょう。
聖書の最後に書かれている「ヨハネの黙示録」には以下の様に書かれています。



2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。

2:6 しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。


2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
2:10 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。

2:14 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
2:15 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。
2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。

2:20 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
2:21 わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
2:23 また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。

3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

黙示録に書かれている7つの教会にあてて書かれているところをざっと拾い出してもこれだけ書かれています。
つまり、この短い個所にさえこれだけ悪しきものの事について書かれているなら、
今は終わりの終わりの時です(聖書が書かれたときに「終わりの時」と書かれているのですから)この様な者たちが様々な所で働いているのを我々クリスチャンは感じ取っているでしょうか?
私は伝統的な教会に所属しているから大丈夫と過信してはなりません。
カトリックだから、プロテスタントだから、関係ありません。
こうだから大丈夫という保証はないのです。
自分自身が御言葉により、聖霊様に導かれて歩んでいないなら危険なのです。
教会に人数が多くいるから、大きいから安泰だ祝福を受けているとのんきに構えている時ではありません。
水がたくさんあっても、その中に少量の毒が混ぜられるなら飲めません。
人が大勢いる中に感染する病気を持った患者が紛れ込んでいるなら、たちまちその病気は広がり多くの人の健康は損なわれるでしょう。
今、健全な信仰生活をしているかどうか個人個人が神との関係で、神に取り扱っていただかなければならない時です。

希望

聖書 エペソ2章

エペ
2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
2:7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
2:10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
2:11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、
2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
2:21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、
2:22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。


何を希望にみなさんは生きていらっしゃいますか?
私が以前通っていた教会では「夢のない民は滅びる」などと、講壇から
世界的に有名な牧師さんが語られ、その内容は、夢を描いて、信じて主に祈って
現実に得なさいという内容でしたが、この様な内容は、毎回の様に語られ、
そして、必ずといってよいほどこの様な事の為に祈っていました。
つまり、その教会の中心は願った事がかなう事が主だったのでしょう。
では、神様は主を信じた私たちが抱くべき「希望」について
どのように語られているでしょうか。

エレ 50:7 これに会う者はみなこれを食べた。その敵は言った、『われわれに罪はない。彼らがそのまことのすみかである主、先祖たちの希望であった主に対して罪を犯したのだ』と。


そうです、主こそ我らの希望なのです。
そして信じる者にはよみがえり、永遠の命、天国が与えられます。

使
24:15 また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。
24:16 わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。


ですから、主から救いを頂いた我々は主に喜ばれるように歩んでゆかなければならないのです。というより、救われた者は主に喜ばれるように歩みたいと願い、そのように歩んでゆきます。

ロマ
5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


この恵みに信仰によって導きいれられた我々は、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいるのですから、患難をも喜び、忍耐し、練達したものとして希望を持ちながら歩むのです。希望が失望に終わる事がないとういう確信は、みなさん聖霊様によって頂いていますね。

エレ
29:11 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

主に従う上で苦難、艱難があってもおじ恐れないでください。
主はあなたについてすべてご存じです。
主なる神がどのようなお方か知ってください。
主に従って歩んでいるなら何も怖がる事もないのです。感謝して歩んでゆきましょう。

一コリ
13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

主なる神、イエスキリストは永遠です。
このお方こそ我々の希望なのです。

一ヨハ
3:2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
3:3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。


主に日々祈り、聖書を調べ、聖霊様に聖めて頂き歩みましょう。
また、我々も自身をきよく保たねばなりません。

一ペテ
3:15 ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。

いつも主をあがめつつ、我々の望みであり、救い主であられるイエスキリストについて
説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしつつ歩んでゆきましょう。

主に信頼せよ(争いをしないこと)


聖書 2テモテ2章

二テモ
2:1 そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。
2:2 そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。
2:3 キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
2:4 兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。
2:5 また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。
2:6 労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。
2:7 わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
2:8 ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。
2:9 この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。
2:10 それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。
2:11 次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
2:12 もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
2:13 たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。
2:14 あなたは、これらのことを彼らに思い出させて、なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである言葉の争いをしないように、神のみまえでおごそかに命じなさい。
2:15 あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。
2:16 俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、
2:17 彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。
2:18 彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。
2:19 しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。
2:20 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。
2:21 もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。
2:22 そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
2:23 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。
2:24 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、
2:25 反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、
2:26 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。

今日は「主に信頼する事」というタイトルですが、「争いをしない事」ということについてお話したいと思います。
最近は情報があふれていて、それは世の中だけではなくキリスト教界においても同様で、真実も、そして嘘も情報としてあふれかえっています。
キリスト教書店に置いてある書籍でさえも色々な考えの物があり、こちらを全て受け入れれば、あちらの理屈がなりたたず・・・といった状態です。

ルカ
8:17 隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。
8:18 だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。

近頃になって悪しき者によってキリスト教会に仕掛けられた罠については、よく耳にするようになってきています。そうです、隠されているもので、あらわにならないものはないのです。しかし、真実の中に微量の偽りが混ぜられている場合もありますので、どう聞くかに注意しなければなりません。
また、兄弟姉妹の間で考えの違いで摩擦が生じることもしばしばあると思います。
しかし、御言葉に関して聖書はこの様に語っています。

二テモ
2:23 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。

議論はやめなさいと書かれていますね。

テトス
3:9 しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。
3:10 異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。
3:11 たしかに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。

人間的な知識が増えるとこの様な事が起こってきます。
近代は、「学歴のある事=人間として優れている」という法則が暗に人間の思想に刷り込まれている時代です。
しかし、神は人間を画一的な者として創造されたのではなく、それぞれが神の作品であり、優劣は神の前にはありません。農業従事者より政治家の方が人間として優れていますか?
では、みんなが政治家になればどうでしょう?しかし、政治家もお百姓さんの作った作物を食べなければ生きてはゆけないのです。
神はそれぞれを御旨に従って創造されているのですから、あなたの人生の中で神の御心を発見するのが一番神に喜ばれる人生なのです(努力をしなくてよいと言っているのではありませんよ)。
知識が増える事が人間を幸せにするのでもなさそうである事は拝金主義者でもない限り薄々みなさん気づき始めているのではないでしょうか。
なぜ「拝金主義者」という言葉をここで出したのかお分かりでしょうか?
この考え方がキリスト者として罠となり、このシステムは悪しき者から出ているからです。
 あなたが信仰熱心で、もし、そのような人々と論じ合いになったなら、
主に信頼して下さい。一時的に相手を言い負かす事が出来なかったとしても、負けたような気がしても、御言葉に従いましょう。
主は勝利者なのですから。それが信仰であり、主に信頼する事です。

ガラ
5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
5:15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
5:18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
5:25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
5:26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

どのような実を信仰生活で結ぶのか。
主に信頼して「御霊の実」を結ぶものでありましょう。
愛することに疲れてはなりません。
神は愛です。惜しみなく下さる神に求めましょう。
主は再び来られます。そして、その日は刻一刻と迫っているのです。
主の御心を切に日々求め歩む我々でありましょう。

神を愛する


聖書 ヤコブ1章
ヤコブ
1:1 神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。
1:2 わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。
1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
1:5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
1:6 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
1:7 そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。
1:8 そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
1:9 低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。
1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。
1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。
1:12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
1:13 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。
1:15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
1:16 愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。
1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
1:18 父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。
1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
1:20 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
1:22 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
1:23 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
1:24 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
1:25 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
1:26 もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
1:27 父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。



我々クリスチャンは神を信じ愛する者です。しかし、主を信じる前はこの以下の御言葉の様な存在でした。

ヨハ
5:42 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
一ヨハ
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。


そうです、愛なる神を知る以前は、真実に愛することを知らなかったのです。
今、神を信じ、愛なる神は我々と共にインマヌエルとしてご臨在してくださいます。
信じる者のうちに内住してくださるから、真実の愛が現れてくるのです。

一コリ
8:3 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
一ヨハ
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。


神は我々を愛するが故に戒めさえも与えて下さいました。
「戒め」と聞いて窮屈でなんだか嫌な印象を受けますか?
とんでもない、神は我々を愛するが故に、神を信じる者たちが愛の内を歩むために戒めを与えられたのです。
それは与えられた永遠の命を守る為でもあるのです。


一ヨハ
5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
一ヨハ
4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。


真実に神を愛する者には上記のような御言葉が成就してゆきます。


ヤコブ
2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:15 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、
2:16 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
2:18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
2:19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
2:20 ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
2:25 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。
2:26 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。


信じたなら、その実が現れる事がのべられていますね。
神が信じる者の内に内住してくださっているから神の愛がその者から現れてくるのです。
そうです、
神を信じる事=神を愛する事
なのです。

一ヨハ
5:1 すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。
5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
5:4 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

主を愛するから主に従う実が現れるのです。
神は我々の都合で動かれるお方ではありません。
世の中の宗教では、「こうしてください、ああしてください」と願い事ばかりのべて自分の欲望のままに神(この場合は偶像ですね)を動かそうとしますが、クリスチャンである我々が、もし第一に神の御心を求めなければ、知らないうちに神を信じていると言いながら、自分自身が神の座に座って偶像礼拝者同様神に対して指図をしてしまう危険性があり、その結果、偶像礼拝者となんら変わらない、神とは関係のない信仰になりうる危険があるので注意が必要です。
悪魔の騙しテクニックの一つは「すり替え」ですから。
今の時代は礼拝している対象が知らぬ間にすり替えられていたりする危険な時代です。
また、世の終わりには愛が冷えると書かれています。
そのような中にあっても、真に主を信じる我々は主の愛の中に留まり互いに愛し合いましょう。

ロマ
8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
ヤコブ
2:5 愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。


悪魔に試みられることもあるかもしれませんが「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」のですから、主を信頼して心から愛し、
御国を相続できるものにされた事を感謝しつつ歩んでゆきましょう。

悪の根

箴 12:1 戒めを愛する人は知識を愛する、懲らしめを憎む者は愚かである。 12:2 善人は主の恵みをうけ、悪い計りごとを設ける人は主に罰せられる。 12:3 人は悪をもって堅く立つことはできない、正しい人の根は動くことはない。 12:4 賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は/夫の骨に生じた腐れのようなものである。 12:5 正しい人の考えは公正である、悪しき者の計ることは偽りである。 12:6 悪しき者の言葉は、人の血を流そうとうかがう、正しい人の口は人を救う。 12:7 悪しき者は倒されて、うせ去る、正しい人の家は堅く立つ。 12:8 人はその悟りにしたがって、ほめられ、心のねじけた者は、卑しめられる。 12:9 身分の低い人でも自分で働く者は、みずから高ぶって食に乏しい者にまさる。 12:10 正しい人はその家畜の命を顧みる、悪しき者は残忍をもって、あわれみとする。 12:11 自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、無益な事に従う者は知恵がない。 12:12 悪しき者の堅固なやぐらは崩壊する、正しい人の根は堅く立つ。 12:13 悪人はくちびるのとがによって、わなに陥る、しかし正しい人は悩みをのがれる。 12:14 人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。 12:15 愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。 12:16 愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。 12:17 真実を語る人は正しい証言をなし、偽りの証人は偽りを言う。 12:18 つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。 12:19 真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。 12:20 悪をたくらむ者の心には欺きがあり、善をはかる人には喜びがある。 12:21 正しい人にはなんの害悪も生じない、しかし悪しき者は災をもって満たされる。 12:22 偽りを言うくちびるは主に憎まれ、真実を行う者は彼に喜ばれる。 12:23 さとき人は知識をかくす、しかし愚かな者は自分の愚かなことをあらわす。 12:24 勤め働く者の手はついに人を治める、怠る者は人に仕えるようになる。 12:25 心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。 12:26 正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う。 12:27 怠る者は自分の獲物を捕えない、しかし勤め働く人は尊い宝を獲る。 12:28 正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。
植物にとって「根」とは栄養分を吸収して成長するのに欠かせないものです。 根がダメになれば枯れてしまいます。 クリスチャンにとっては、信仰の根が「良い根」であるのか「悪い根」であるのか、 によって結果が違う事が書かれています。 12:3 人は悪をもって堅く立つことはできない、正しい人の根は動くことはない。 どのように正しくたつのでしょうか? もちろん御言葉によってです。 「正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。」 やはり正しくたつのかたたないのかによって命にかかわる事が書かれています。 今、クリスチャンとして正しく生きる事が困難な時代です。 なぜなら、偽り者がうようよいる時代だからです。 教会に出席して御言葉を隣で聞いていても偽り者ではないという保証はありませんし、 また、語っている牧者が絶対に偽り者ではないと言い切れない時代です。 本文に12:10 正しい人はその家畜の命を顧みる、悪しき者は残忍をもって、あわれみとする。と書かれていますが、本当です。家畜とは言葉があまり良くありませんが、クリスチャンは羊ですので、命を顧みない悪い牧者に養われては命が危ないです。 今、クリスチャンは命について特に関心を待たなくてはなりません。 「根」がどのようなものであるのか、どのような根を生じているのか、関心を持たねばなりません。悪しきものを持っているならば「道」に迷ってしまいます。 思い出して下さい。主はこの様に語られました。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
ルカ 4:1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、 4:2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。 4:3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。 4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。 4:5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて 4:6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。 4:7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。 4:8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 4:9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。 4:10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、 4:11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。 4:12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。 4:13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。
イエス様でさえ荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれたのです。そして、「悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた」と書かれています。 もちろん主の守りはありますが、悪魔が試みるものであり、一度試みれば終わりというあっさりとしたものではない事もわかります。 また、悪魔の試みのパターンについては人間の弱点がよくわかります。 この誘惑に簡単に勝利できるなら、キリスト教会のカルト化や腐敗はあり得ないわけですが、現実はみなさんがご存じかどうかわわかりませんが、酷いものである事を私は知っています。今、悪い根を生じさせている教会や牧者、クリスチャンはいます。 我々は無菌室(悪魔の働かないところ)に暮らしているのではないのです。 だから目を覚ましていなければならないのです。
一テモ 6:6 しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。 6:7 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。 6:8 ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。 6:9 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。 6:10 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。 6:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。 6:12 信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。 6:13 わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。 6:14 わたしたちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守りなさい。 6:15 時がくれば、祝福に満ちた、ただひとりの力あるかた、もろもろの王の王、もろもろの主の主が、キリストを出現させて下さるであろう。 6:16 神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。 6:17 この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、 6:18 また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、 6:19 こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。 6:20 テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。 6:21 ある人々はそれに熱中して、信仰からそれてしまったのである。恵みが、あなたがたと共にあるように。
今回は悪の根についてお話ししましたが、「金銭を愛することは、すべての悪の根である。」富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥りと書かれています。そして、しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。」と書かれていることに注意していなければなりません。 様々な種類の悪の根はありますが、特に注意すべきものなのでのべられていると思います。 (悪魔が巧妙に働いている今の世の中を見ればわかる事ですね。今は触れませんがお金が誰の支配下にあるかということはクリスチャンならご存知だと思います。わざわざこの様に書かれている意図を知らなければなりません。知らずに支配されていると永遠の命をも脅かすものでもあります。) 「そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。」 「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」 「 わたしたちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守りなさい。」 「真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」 「ゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。」 時がくれば、祝福に満ちた、ただひとりの力あるかた、もろもろの王の王、もろもろの主の主が、キリストを出現させて下さるであろう。という御言葉通りです。 主は再び来られます。 再臨の主を日々待ち望みつつ生きてゆきましょう。

主を真に信じる者よ。元気を出せ

ハガ

2:1 ダリヨス王の二年の七月二十一日に、主の言葉が預言者ハガイに臨んだ、
2:2 「シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベルと、ヨザダクの子、大祭司ヨシュア、および残りのすべての民に告げて言え、
2:3 『あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか。
2:4 主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。
2:5 これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。
2:6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。
2:7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。
2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。
2:9 主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。
2:10 ダリヨスの二年の九月二十四日に、主の言葉が預言者ハガイに臨んだ、
2:11 「万軍の主はこう言われる、律法について祭司たちに尋ねて言え、
2:12 『人がその衣服のすそで聖なる肉を運んで行き、そのすそがもし、パンまたはあつもの、または酒、または油、またはどんな食物にでもさわったなら、それらは聖なるものとなるか』と」。祭司たちは「ならない」と答えた。
2:13 ハガイはまた言った、「もし、死体によって汚れた人が、これらの一つにさわったなら、それは汚れるか」。祭司たちは「汚れる」と答えた。
2:14 そこで、ハガイは言った、「主は言われる、この民も、この国も、わたしの前では、そのようである。またその手のわざもそのようである。その所で彼らのささげるものは、汚れたものである。
2:15 今、あなたがたはこの日から、後の事を思うがよい。主の宮で石の上に石が積まれなかった前、あなたがたは、どんなであったか。
2:16 あの時には、二十枡の麦の積まれる所に行ったが、わずかに十枡を得、また五十桶をくもうとして、酒ぶねに行ったが、二十桶を得たのみであった。
2:17 わたしは立ち枯れと、腐り穂と、ひょうをもってあなたがたと、あなたがたのすべての手のわざを撃った。しかし、あなたがたは、わたしに帰らなかったと主は言われる。
2:18 あなたがたはこの日より後、すなわち、九月二十四日よりの事を思うがよい。また主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。
2:19 種はなお、納屋にあるか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリブの木もまだ実を結ばない。しかし、わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与える」。
2:20 この月の二十四日に、主の言葉がふたたびハガイに臨んだ、
2:21 「ユダの総督ゼルバベルに告げて言え、わたしは天と地を震う。
2:22 わたしは国々の王位を倒し、異邦の国々の力を滅ぼし、また戦車、およびこれに乗る者を倒す。馬およびこれに乗る者は、たがいにその仲間のつるぎによって倒れる。
2:23 万軍の主は言われる、シャルテルの子、わがしもべゼルバベルよ、主は言われる、その日、わたしはあなたを立て、あなたを印章のようにする。わたしはあなたを選んだからであると、万軍の主は言われる」。

私たちクリスチャンは主を信じています。信じるものには、主が共にいて下さいます。
神の御言葉は約束ですから成就があるのです。
しかし、それは人間の都合のよいように信じて起こる事ではありません。
正しく信じる事が大切です。

一コリ
10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
10:7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
10:8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
10:10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
10:14 それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
10:15 賢明なあなたがたに訴える。わたしの言うことを、自ら判断してみるがよい。
10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。
10:17 パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。

「パン」それは、我々クリスチャンの命の糧なる御言葉、イエスキリストご自身です。
我々はそれにあずかるものです。
しかし、神の御言葉なるパンを分け与えるものが、人間の服や死体
(これらはたとえですね)で汚してしまうならどうでしょうか?
また、おかしなものを持ちこんでしまうならどうでしょうか?
パンを分け与えられたものは、汚れも共に受けてしまうのではないでしょうか。

ガラ
5:9 少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。


神の御言葉は純粋にそのまま受けるべきものです。
教会だから、クリスチャンだから大丈夫ということは決してありません。
「ちょっとおかしなところもあるけど、恵まれる良い集会ですよ(牧師さんですよ)。」
なんていう言葉も耳にしますが、聖書的(霊的)におかしな所があるなら関わってはなりません。
今、多くの混ぜ物がクリスチャンの考えの中にわからないように忍び込みつつあります。
純粋に御言葉を食べていないなら(聖書を読まないなら)惑わされてしまいます。
キリスト教関係の書籍もおかしなものが出回っています。
一般的なメディアは当然、悪魔的な物をバンバン送り出していっていますし、端々に信仰を傷つけたり奪うようなものも多いです。
この世は悪しき者の支配下なのだから当然と言えば当然なのですが、
クリスチャンは自分自身の霊について気をつけていなければなりません。
幼子を持っている人は特に注意です。


ヨハ
13:18 あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
13:19 そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。


主の羊は、主の御言葉に従うのです。
これが答えです。
教会は主の御体であり、教職者が世の中と同じように働いてお金を得る会社や組織のような所でもありません。
また、信者が集まって歌って楽しむ所でもありません。勘違いしてはならないのです。
礼拝は牧師たちのショータイムでもないのです。
今、礼拝というものがどれ程クリスチャンによって知ってか知らずかはわかりませんが
現実に侮られているか・・・。だから、教会の中にも当然、主に向かってかかとを上げている人々も見受けられるわけです。
今、自分と神との関係を正しく持たなければなりません。
誰かが仲介するものではありません。
神はインマヌエル。信じるものとは共にいて下さいます。


1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

神を信じる者として神を礼拝する者は、聖書の原点に返りしっかりと留まるべきです。

マタ
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。


まず、信じるものが第一に求めるのは「神の国と神の義」であるべきなのです。
口語訳
使
27:25 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。
新改訳改訂第3版
使
27:25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。

神の御旨、御言葉は成就してゆきます。
神の御言葉が御旨が行われる時に「恐れるな」と語られるから恐れないのです。
自分の生活に都合のよいようにだけ御言葉を当てはめて利用するものではないのです。
万事は神が告げられた通りに成就してゆきます。
今は緊張して過ごさねばならない悪い時代です。
主を真に信じる人々は主にあって元気を出しましょう。
そして、主の守りがあります様に互いに励まし祈りあいましょう。

「土台」

聖書 マタイ7章 マタ 7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。 7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。 7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。 7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。 7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。 7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。 7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。 7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。 7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。 7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。 7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。 7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。 7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。 7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。 7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
我々の信仰生活において何を土台としているかによって結果が違うという事を知っておかねばなりません。 最近、大きな台風がきましたが、目に見える災害でも私たちには恐ろしく感じます。 そして、家の建っている場所、土台がしっかりしたところでないなら、大きな台風が来るなら不安でしょう。 しかし、今回の聖句では、世の中の事をメインに語っているのではありません。 クリスチャンが信仰にどのような土台を据えるかによっては永遠の命にかかわるということなのです。 そして、その土台は 「わたしのこれらの言葉を聞いて行うもの」=岩の上に自分の家を建てた賢い人 「わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者」=砂の上に自分の家を建てた愚かな人 と区別して語られており、土台とは御言葉、イエスキリストである事がわかります。
ルカ 6:43 悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。 6:44 木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。 6:45 善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。 6:46 わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。 6:47 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。 6:48 それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。 6:49 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。
御言葉、イエスキリストに土台を置くクリスチャンに現れる実についても容易に理解できます。 偽物であるなら、どう繕っても現れる「実」によって偽物である事が現れてしまいますし、また、本物であってもその実が現れます。 そして、信仰生活においても、信じたなら絶対に安楽に信仰生活ができるという保証はありません。我々はこの世の欲の為に、安楽に生活する為にイエスキリストを信じたのではないのです。 ですから、むしろ本物のクリスチャンには苦難が伴います。 嵐や台風、洪水の日もあるのです。 その時にキリストを土台として立っているなら大丈夫ですが、もし、他の物を土台としているなら倒れ方、被害は酷いのです。
一コリ 3:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
土台は一つです。キリストを土台としているのか、他の物を土台としているのか、 はっきりする時が来ます。 ですから、何かあった時にもわかります。 信仰生活をしていて「ありえない」と思われることも起こるでしょう。また。起こったことでしょう。 しかし、主によって立たされているあなたは幸いです。 キリストを土台としているからです。
二テモ 2:12 もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。 2:13 たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。 2:14 あなたは、これらのことを彼らに思い出させて、なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである言葉の争いをしないように、神のみまえでおごそかに命じなさい。 2:15 あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。 2:16 俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、 2:17 彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。 2:18 彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。 2:19 しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。 2:20 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。 2:21 もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。 2:22 そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
今、主イエスキリストを土台として生きてゆきましょう。 我々は主イエスキリスト、そして天の御国に行く事を待ち望んでいるものなのですから。
ヘブル 11:10 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である

初めの愛から離れてはならない


聖書 一ヨハ 4章、5章
一ヨハ
4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
4:2 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、
4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。
4:4 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。
4:5 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。
4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。
4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
4:13 神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。
4:14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
4:15 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
4:16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
4:19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。
5:1 すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。
5:2 神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
5:4 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。
5:6 このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。
5:7 あかしをするものが、三つある。
5:8 御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。
5:9 わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。
5:10 神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。
5:11 そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。
5:12 御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。
5:13 これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。
5:14 わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。
5:15 そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。
5:16 もしだれかが死に至ることのない罪を犯している兄弟を見たら、神に願い求めなさい。そうすれば神は、死に至ることのない罪を犯している人々には、いのちを賜わるであろう。死に至る罪がある。これについては、願い求めよ、とは言わない。
5:17 不義はすべて、罪である。しかし、死に至ることのない罪もある。
5:18 すべて神から生れた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない。
5:19 また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。
5:20 さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。
5:21 子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。

今日の聖書箇所はかなり長いですが、「愛」について重要な事が書かれています。
神の愛により、私たちは命を得ました。
そして、愛にとどまる事が重要なことである事も書かれています。


2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
2:3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。


私たちは愛を受けたものです。
しかし、ここで注目しなければならないのは、「初めの愛から離れてしまった」という事です。人間生きているなら完全な者も、また、絶対ということもありません。
クリスチャンとなったもの(神の子とされたもの)は神の愛を受けたものです。
そして、神の愛の中を歩むものですが「離れる」という可能性は絶対にないとは言えないのです。しかし、今、気づいたなら(神によって気づかされたならば)2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。と御言葉にありますので、まだ悔い改めるチャンスがあるわけです。
悔い改めることのできる人は幸いです。神の愛がその人に留まっているからです。

一ヨハ
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
一ヨハ
2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。
2:5 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。
2:6 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。
2:7 愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。
2:8 しかも、新しい戒めを、あなたがたに書きおくるのである。そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、やみは過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからである。
2:9 「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。
2:10 兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。
2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである。
二ヨハ
ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。
1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。


兄弟を愛することについてもちゃんと書かれていますね。
人間的な愛ではなく、主の愛によって愛することが大切です。
1,2,3、ヨハネの御言葉により自分が闇にいるのか光にいるのかも明確ですね。

三ヨハ
1:11 愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。
ユダ
1:1 イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。
1:2 あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。
1:3 愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。
1:4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。
1:5 あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。
1:6 主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。
1:7 ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。
1:8 しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。
1:9 御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。
1:10 しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。
1:11 彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。
1:12 彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、
1:13 自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。
1:14 アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。
1:15 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。
1:16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。
1:17 愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
1:19 彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。
1:20 しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、
1:21 神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1:22 疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、
1:23 火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。
1:24 あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、
1:25 すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。

兄弟を愛し、疑いを抱く人があれば、彼らを憐れみ、火の中から引き出して救ってやりなさいと書かれる反面、しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。と書かれています。
今は終わりの時です。神の愛から離れてはいけません。しかし、神の愛から離れ、また、あなたを神の愛から離れさせようとする力に属する人々を警戒しなければなりません。
そして、分離しなければならない人もいます。
神から「霊を分別する力」をいただき、気をつけて歩みましょう。

一ヨハ
2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
2:17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
2:18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
2:19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
2:20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。
2:21 わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
2:22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。
2:23 御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。
2:24 初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
2:25 これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。
2:26 わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。
2:27 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
2:28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
2:29 彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。


初めの愛から離れてしまってはいけません。
もし、初めの愛から離れていることに気づいたなら、
2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。
と書かれている御言葉に従い、主の愛にとどまり忠実に歩みましょう。
何か聖書を少し知っている事が神の愛から離れた心、生活にさせたり、高ぶらせるなら、本当に悲しい事です。
神は幼子のように、あなたが主の愛に留まり、主を愛する事を望んでいらっしゃいます。

すべて主を待ち望む者はさいわいである



ダビデの歌
37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
37:12 悪しき者は正しい者にむかって/はかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。
37:13 しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。
37:14 悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。
37:15 しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。
37:16 正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。
37:17 悪しき者の腕は折られるが、主は正しい者を助けささえられるからである。
37:18 主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。
37:19 彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。
37:20 しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、煙のように消えうせる。
37:21 悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。
37:22 主に祝福された者は国を継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。
37:23 人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。
37:24 たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。
37:25 わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が/食物を請いあるくのを見たことがない。
37:26 正しい人は常に寛大で、物を貸し与え、その子孫は祝福を得る。
37:27 悪をさけて、善を行え。そうすれば、あなたはとこしえに住むことができる。
37:28 主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられないからである。正しい者はとこしえに助け守られる。しかし、悪しき者の子孫は断ち滅ぼされる。
37:29 正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる。
37:30 正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を述べる。
37:31 その心には神のおきてがあり、その歩みはすべることがない。
37:32 悪しき者は正しい人をうかがい、これを殺そうとはかる。
37:33 主は正しい人を悪しき者の手にゆだねられない、またさばかれる時、これを罪に定められることはない。
37:34 主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の/断ち滅ぼされるのを見るであろう。
37:35 わたしは悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。
37:36 しかし、わたしが通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。
37:37 全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。
37:38 しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる。
37:39 正しい人の救は主から出る。主は彼らの悩みの時の避け所である。
37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放ち、彼らを悪しき者どもから解き放って救われる。彼らは主に寄り頼むからである。


主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。と主は語られています。
「待ち望む」とは、なんとなく待つのでもなければ、単に時間がたつのとも違います。
今、我々はそのように主を待ち望んでいるでしょうか。

イザ
30:8 いま行って、これを彼らの前で札にしるし、書物に載せ、後の世に伝えて、とこしえにあかしとせよ。
30:9 彼らはそむける民、偽りを言う子ら、主の教を聞こうとしない子らだ。
30:10 彼らは先見者にむかって「見るな」と言い、預言者にむかっては/「正しい事をわれわれに預言するな、耳に聞きよいことを語れ、迷わしごとを預言せよ。
30:11 大路を去り、小路をはなれ、イスラエルの聖者について語り聞かすな」と言う。
30:12 それゆえ、イスラエルの聖者はこう言われる、「あなたがたはこの言葉を侮り、しえたげと、よこしまとを頼み、これにたよるがゆえに、
30:13 この不義はあなたがたには/突き出て、くずれ落ちようとする高い石がきの/破れのようであって、その倒壊はにわかに、またたくまに来る。
30:14 その破れることは陶器師の器を破るように/惜しむことなく打ち砕き、その砕けのなかには、炉から火を取り、池から水をくめるほどの、ひとかけらさえ/見いだされない」。

世の中にどっぷりと浸かったどこにでもある信仰宗教のような信仰生活であるならば、
きっと葛藤はないでしょう。
今、みなさんの信仰生活はどうですか?
見渡せばキリスト教会でさえも偽りに満ちている教会も多くあり、
真実に御言葉が語られず、従っていないという教会、信徒たちを発見することもあると思います。そのような中、心を痛めて祈り、神を待ち望むあなたは幸いです。

30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。
30:16 かえって、あなたがたは言った、「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。それゆえ、あなたがたはとんで帰る。また言った、「われらは速い馬に乗ろう」と。それゆえ、あなたがたを追う者は速い。
30:17 ひとりの威嚇によって千人は逃げ、五人の威嚇によってあなたがたは逃げて、その残る者はわずかに/山の頂にある旗ざおのように、丘の上にある旗のようになる。
30:18 それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。


主は公平な神であられます。
主の御言葉、健全な教えにとどまりましょう。
主を待ち望む信仰を持ち続けましょう。
神は御言葉通りに事を成就なさいます。
今、主を待ち望む我々がなさなければならない事は何でしょうか。

テトス
2:1 しかし、あなたは、健全な教にかなうことを語りなさい。
2:2 老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、
2:3 年老いた女たちにも、同じように、たち居ふるまいをうやうやしくし、人をそしったり大酒の奴隷になったりせず、良いことを教える者となるように、勧めなさい。
2:4 そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、
2:5 慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。
2:6 若い男にも、同じく、万事につけ慎み深くあるように、勧めなさい。
2:7 あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、
2:8 非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。
2:9 奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、
2:10 盗みをせず、どこまでも心をこめた真実を示すようにと、勧めなさい。そうすれば、彼らは万事につけ、わたしたちの救主なる神の教を飾ることになろう。
2:11 すべての人を救う神の恵みが現れた。
2:12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
2:15 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。


真実に御言葉に従おうとするが故に苦境に立たされることもあるかもしれません。
今、神は真実に主を待ち望む者たちにこの様に語られます。


31:23 すべての聖徒よ、主を愛せよ。主は真実な者を守られるが、おごりふるまう者にはしたたかに報いられる。
31:24 すべて主を待ち望む者よ、強くあれ、心を雄々しくせよ。


忍耐と信仰を持って主を待ち望みましょう。

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。


聖書 ヨハネ16章
ヨハ
16:1 わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。
16:2 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
16:3 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
16:4 わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
16:5 けれども今わたしは、わたしをつかわされたかたのところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。
16:6 かえって、わたしがこれらのことを言ったために、あなたがたの心は憂いで満たされている。
16:7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
16:8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
16:9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
16:10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
16:11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
16:12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
16:13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
16:14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
16:15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
16:16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。
16:17 そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。
16:18 彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。
16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。
16:20 よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。
16:21 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。
16:22 このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。
16:23 その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。
16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
16:25 わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
16:26 その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。
16:27 父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。
16:28 わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。
16:29 弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。
16:30 あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。
16:31 イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
16:32 見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。
16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」と語られました。
そして、その道を御言葉、そして聖霊を通して語ってくださいました。
それ以外には道はありません。
躓かないために真に信じなければなりません。真理に歩むことなしにはクリスチャンであると自称することも空しいものです。
我々の歩む道が「本物」でなければなりません。

ヨハ
14:22 イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。
14:23 イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
14:24 わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。
14:25 これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
14:28 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
14:29 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
14:30 わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
14:31 しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

この世は悪しき者の支配下であるとも語られましたが、14:30にも書かれています。
イエス様は勝利者であり、この世の君がいくら力ある者のように見せかけようとも、神には勝てない存在です。
今、我々は再臨の主を待ち望んでいます。もちろん、何年、何月、何日というように日時を指定してこられませんが、聖書に書かれている事柄から、その兆しを知る事ができます。
この様な時に、本当に主を愛し、信じているかどうかということは重要な事です。
「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。 わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。」
と主が語られているからです。

12:31 今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。

世の君とは世の王のことです。いつまでも悪しきものが君臨し続けることはありません。

12:35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
12:36 光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。

我々クリスチャンは光の中を歩むものです。
闇に追い付かれてはなりません。また、闇の中を喜んで歩む者であってはなりません。
しかし、残念ながらクリスチャンの中にも以下のような人々がいるということも知っておかねばなりません。当然、自分が当てはまってしまってはいけませんが、今の時は、愛を持って戒めても受け入れなければ、そのような人を避けた方が賢明でしょう。

ヨハ
12:39 こういうわけで、彼らは信じることができなかった。イザヤはまた、こうも言った、
12:40 「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。
ヨハ
12:41 イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであって、イエスのことを語ったのである。
12:42 しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
12:43 彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。

今、主の御言葉の内に、光の中に、真実な信仰を主に頂いて歩みましょう。

12:44 イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
12:45 また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
12:46 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。
12:47 たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。
12:48 わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。
12:49 わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。
12:50 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。

主を信じる私たちに神が語られているのは、
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
様々な情報、噂が飛び交う世の中です。不安なことも多くありますが、
主に信頼して歩んでゆきましょう。

「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」


聖書 イザヤ 13:1

イザ
13:1 アモツの子イザヤに示されたバビロンについての託宣。
13:2 あなたがたは木のない山に旗を立て、声をあげて彼らを招き、手を振って彼らを貴族の門に、はいらせよ。
13:3 わたしはわが怒りのさばきを行うために/聖別した者どもに命じ、わが勇士、わが勝ち誇る者どもを招いた。
13:4 聞け、多くの民のような騒ぎ声が山々に聞える。聞け、もろもろの国々、寄りつどえる/もろもろの国民のざわめく声が聞える。これは万軍の主が/戦いのために軍勢を集められるのだ。
13:5 彼らは遠い国から、天の果から来る。これは、主とその憤りの器で、全地を滅ぼすために来るのだ。
13:6 あなたがたは泣き叫べ。主の日が近づき、滅びが全能者から来るからだ。
13:7 それゆえ、すべての手は弱り、すべての人の心は溶け去る。
13:8 彼らは恐れおののき、苦しみと悩みに捕えられ、子を産まんとする女のようにもだえ苦しみ、互に驚き、顔を見あわせ、その顔は炎のようになる。
13:9 見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る。
13:10 天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。
13:11 わたしはその悪のために世を罰し、その不義のために悪い者を罰し、高ぶる者の誇をとどめ、あらぶる者の高慢を低くする。
13:12 わたしは人を精金よりも、オフルのこがねよりも少なくする。
13:13 それゆえ、万軍の主の憤りにより、その激しい怒りの日に、天は震い、地は揺り動いて、その所をはなれる。
13:14 彼らは追われた、かもしかのように、あるいは集める者のない羊のようになって、おのおの自分の民に帰り、自分の国に逃げて行く。
13:15 すべて見いだされる者は刺され、すべて捕えられる者はつるぎによって倒され、
13:16 彼らのみどりごはその目の前で投げ砕かれ、その家はかすめ奪われ、その妻は汚される。
13:17 見よ、わたしは、しろがねをも顧みず、こがねをも喜ばないメデアびとを起して、彼らにむかわせる。
13:18 彼らの弓は若い者を射殺し、腹の実をあわれむことなく、幼な子を見て、惜しむことがない。
13:19 国々の誉であり、カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは、神に滅ぼされたソドム、ゴモラのようになる。
13:20 ここにはながく住む者が絶え、世々にいたるまで住みつく者がなく、アラビヤびともそこに天幕を張らず、羊飼もそこに群れを伏させることがない。
13:21 ただ、野の獣がそこに伏し、ほえる獣がその家に満ち、だちょうがそこに住み、鬼神がそこに踊る。
13:22 ハイエナはその城の中で鳴き、山犬は楽しい宮殿でほえる。その時の来るのは近い、その日は延びることがない。



全てに「時」というものがありますが、約束の時が迫ったなら何をするでしょう?
何においても、その事に対しての用意をしなければなりませんね。
では、主を真実に信じるクリスチャンは一体何をしなければならないのでしょう。
そして、今、主の語られる「時」とはいったい何でしょう。

1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
1:2 ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。
1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである

聖書は神によって与えられた神の御言葉です。
その中には神の御意思が書かれています。危機が迫っているなら、当然、神の子たちが逃れることができるように警告されます。主の中にあれば安心ですから。
そして、神の子とされた真実なクリスチャンはその事を察知するでしょう。
「ヨハネ10:27‐28 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」
と書かれている通りに「声」を発してその事を神は我々に既に伝えていらっしゃるのです。
主につき従っていれば良いのです。
(間違えないでください「主」であり「人の言葉」ではないのです)。
ヨハ 10:26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
本当に信じているかどうかはっきりする時が来るでしょう。
主について行っていれば大丈夫なのです。しかし、自分勝手な解釈や人間的な考え、この世の宗教的な信仰であれば危険です。
「実」を見れば明らかなのです。
自分自身を省みて「聖霊の実」を結んでいればよいでしょう。
しかし、肉の行いの実をもし結んでいるなら、聖書的でない実を結んでいるなら、
悔い改め、主に祈りましょう。「時が近づいている」からです。
悔い改めは、誰か(牧師や神父あるいは他の人)に告白して気分が楽になる事でも、
泣いて反省する事ではなく、「主のもとに方向転換」して立ち返る事
すなわち、この御言葉です。
「 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである」
神であられるイエスキリストそして聖書に忠実に歩むべきです。

終わりの時は裁きの時でもあるのです。

エゼ 7:7 この地に住む者よ、あなたの最後の運命があなたに来た。時は来た。日が近づいた。混乱の日で、山々に聞える喜びの日ではない。

エゼ 7:12 時は来た。日は近づいた。買う者は喜ぶな。売る者は悲しむな。怒りがすべての群衆の上に臨むからだ。

エゼ 30:3 その日は近い、主の日は近い。これは雲の日、異邦人の滅びの時である。

だから、悔い改めて真実に主に立ち返らなければならないのです。

マル 1:15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。


そして、信じている我々はどのように生きるべきか、ちゃんと書かれています。

ロマ 13:11 なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。

なお一層目を覚まし、主により頼み、祈り、主にあって聖められた信仰生活を行うべきです。


22:6 彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。
22:7 見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
22:8 これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、
22:9 彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。
22:10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。
22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
22:16 わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。
22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
22:21 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。
いくら信仰生活を繕っても、人は騙せても、神は騙されません。

ルカ 8:17 隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。

うまく騙し騙し信仰生活をしてきても神はすべてご存知です。
主の前に真実でありましょう。
最近は教会における不祥事をマスコミを通して良く耳にするようになりました。
もし、教会において、主を侮るような悪事が実際にあり、あらわになっているならば、
そこには何らかの主の許しがなければ、きっと隠されたままであったに違いないでしょう。
教会や指導者自体がそのようなどうしようもない状態に陥っているならば、
主はその中にいる「神の羊」を救いだす為に明らかにされているのかもしれません。
なぜなら「時が近づいているから」です。
神は愛なるお方なので、警告をなさいます。
聖書を通して、そして、あらゆる人や物を通してでも。
でも、欲にひかれているならば、主以外のものに従っているなら、
「主の警告」は聞こえないでしょう。
悔い改めは神によらずしてはできません。
悔い改め、御言葉に聞き従わないのは「主の羊」ではないのでしょう。
実によって自分自身でも理解できますね。

ヘブル 4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。


時を知り、主の前に真実に心を注ぎだし祈る時です。
聖霊様は真理に導いてくださいます。
主の御声に聞き従い「神の愛」すなわち「御言葉」のうちに歩みましょう。

「眠っていてはならない時」


聖書 ダニエル 12章

ダニエル
12:1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
12:3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
12:4 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。
12:5 そこで、われダニエルが見ていると、ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。
12:6 わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人にむかって言った、「この異常なできごとは、いつになって終るでしょうか」と。
12:7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
12:8 わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
12:9 彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。
12:10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
12:11 常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
12:12 待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。
12:13 しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。


人間は眠らなければ生きてゆくことができませんが、眠る時を間違えるなら、
命を脅かす場合があったりして危険です。
たとえば運転中に眠くなったとして運転しながら眠りますか?
自分にとって一大事な時に上司とお話ししていて、眠くなったからといって眠りますか?
みなさん、何とか起きていようと努力されると思います。
眠るにも時があり、起きているにも時があるのです。
今回お話しするのは肉体的な睡眠の事ではなく、霊的な事です。

ルカ
22:46 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
マル
13:35 だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
13:36 あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
13:37 目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。

今は終わりの時です。
しっかりと主にあって目を覚ましていなければなりません。
主がいつ来られるか分からないからです。
「もう聞き飽きた」といわれる方もおられるかもしれませんね。
しかし、主は信仰をご覧になっておられます。
信仰によって御言葉に歩むことのできる方は幸いです。
また、今は悪い時代です。敵が働くのも眠っている時である事が書かれています。

マタ
13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。

我々は、時を知っているものです。ですから、眠っていてはならないのです。

ロマ
13:11 なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
13:12 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。
13:13 そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。
13:14 あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

今、目覚めている事が出来るあなたは幸いです。

イザ
29:10 主が深い眠りの霊をあなたがたの上にそそぎ、あなたがたの目である預言者を閉じこめ、あなたがたの頭である先見者を/おおわれたからである。
29:11 それゆえ、このすべての幻は、あなたがたには封じた書物の言葉のようになり、人々はこれを読むことのできる者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「これは封じてあるから読むことができない」と彼は言う。
29:12 またその書物を読むことのできない者にわたして、「これを読んでください」と言えば、「読むことはできない」と彼は言う。
29:13 主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めによるのである。
29:14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される」。
29:15 わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、「だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか」と言う。
エレ
51:39 彼らの欲の燃えている時、わたしは宴を設けて彼らを酔わせ、彼らがついに気を失って、ながい眠りにいり、もはや目をさますことのないようにしようと/主は言われる。

教会の中で役職がある人の話だから、牧師さんのメッセージだからといって安心しきって盲信、盲従していてはなりません。
目が閉ざされたなら、霊的にも滅びです。肉の目ではわかりませんが、
どちらの道を歩むのかによって「命の道」と「滅びの道」が決まります。
教会に所属して牧師に導かれていたとしても、自らが注意して、目を覚まして歩んでいなければならない時です。

12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
12:10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。


信じる者の中にも区別のある事が理解できます。
現れる「実」によってわかるでしょう。

一テサ
5:4 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
5:5 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
5:6 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
5:8 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
5:9 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである

汚れたものをさけなさい

汚れたものをさけなさい
聖書 一コリント5

一コリ
5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
5:2 それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
5:3 しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
5:4 すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
5:5 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
5:6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。
5:9 わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、
5:10 それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
5:11 しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
5:12 外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
5:13 その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。


クリスチャンにとって「汚れたもの」とはいったい何でしょうか?

ハガ
2:13 ハガイはまた言った、「もし、死体によって汚れた人が、これらの一つにさわったなら、それは汚れるか」。祭司たちは「汚れる」と答えた。
2:14 そこで、ハガイは言った、「主は言われる、この民も、この国も、わたしの前では、そのようである。またその手のわざもそのようである。その所で彼らのささげるものは、汚れたものである。

ここで理解できるのは、「死体」はもちろん汚れたものであり、その「死体」に触れる者も汚れると書かれています。しかし、聖書において「死体」がそのまま死体の意味で神が語られているのでしょうか。この様な個所があります。

マタ
8:22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」


「死人(死体)」とは、神の命を持たない者と理解することができます。
最近のメッセージの中で「生きているもの、死んだもの」ということを語りましたが、
霊的に生きているものは霊的な呼吸である祈りと霊的食物である御言葉を得る事(聖書)欠かしませんが、霊的に死んだ状態であるなら、全く両方なくても難なく生活してゆくことでしょう。

レビ
11:4 ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。


ここも重複しますが、御言葉を食べることと関係します。我々の食物である御言葉(聖書)を反芻するものは聖いとされています。また、ひずめの分かれたものが聖いとされています。ひずめが分かれるとは、世と区別された歩みをするものです。

レビ
10:10 これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるため、
エゼ
44:23 彼らはわが民に、聖と俗との区別を教え、汚れたものと、清いものとの区別を示さなければならない。


主は明らかに汚れたものと同調して歩む事をクリスチャンに望んでいらっしゃいません。

ヨブ
14:4 だれが汚れたもののうちから清いものを/出すことができようか、ひとりもない。

死人は世の中の人の事でクリスチャンの事ではないという方もおられるようですが、この様に書かれています。

黙 20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

ですから、汚れたものからは分離すべきなのです。今は教会の中にも様々な悪霊的なものが入ってきています。礼拝の賛美の中でロック音楽をささげたり、姦淫を犯している人が平気で牧会していたり、ロックの何が悪いのか?それは好みの問題ではないのか?という方もおられるでしょうが、ルーツを調べれば神の霊からきているものではない事がわかります。魔術も恐ろしくないようにファンタジーと仮面をかぶって人々の中に入ってきています。悪霊の影響には気をつけるにこしたことはありません。

二コリ
6:13 わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。
6:14 不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。
6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
6:17 だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
6:18 そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。
二テモ
3:1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
3:2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3:3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
3:4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
3:5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々
を避けなさい。

日々、我々が生きたものであり、神の霊に導かれていなくてはなりません。

マタ 10:8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

神の霊に導かれているなら、主を求める者にはこの様な業をなさいます。
ラザロを生き返らせたときも、癒しにおいても、主は、その信仰のあるのをご覧になって与えられています。
我々は日々聖別された信仰生活をして主に守られ、霊を見分ける力を主に頂いて御旨を行う我々でありたいものです。
汚れたものを避けることなど、いろいろ書きましたが、主に従うには信仰がなくては不可能なのです。全ては「信仰」によるのです。

ヘブル
10:35 だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。
10:36 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
10:37 「もうしばらくすれば、/きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。
10:38 わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、/わたしのたましいはこれを喜ばない」。
10:39 しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。

信仰も主から頂くものです。祈りと御言葉により歩んでゆきましょう。

「神を求める」

聖書 詩 69:

詩 69:1 神よ、わたしをお救いください。大水が流れ来て、わたしの首にまで達しました。
69:2 わたしは足がかりもない深い泥の中に沈みました。わたしは深い水に陥り、大水がわたしの上を流れ過ぎました。
69:3 わたしは叫びによって疲れ、わたしののどはかわき、わたしの目は神を待ちわびて衰えました。
69:4 ゆえなく、わたしを憎む者は/わたしの頭の毛よりも多く、偽ってわたしの敵となり、わたしを滅ぼそうとする者は強いのです。わたしは盗まなかった物をも/償わなければならないのですか。
69:5 神よ、あなたはわたしの愚かなことを/知っておられます。わたしのもろもろのとがは/あなたに隠れることはありません。
69:6 万軍の神、主よ、あなたを待ち望む者が/わたしの事によって、はずかしめられることのないようにしてください。イスラエルの神よ、あなたを求める者が/わたしの事によって、恥を負わせられることのないようにしてください。
69:7 わたしはあなたのためにそしりを負い、恥がわたしの顔をおおったのです。
69:8 わたしはわが兄弟には、知らぬ者となり、わが母の子らには、のけ者となりました。
69:9 あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし、あなたをそしる者のそしりが/わたしに及んだからです。
69:10 わたしが断食をもってわたしの魂を悩ませば、かえってそれによってそしりをうけました。
69:11 わたしが荒布を衣とすれば、かえって彼らのことわざとなりました。
69:12 わたしは門に座する者の話題となり、酔いどれの歌となりました。
69:13 しかし主よ、わたしはあなたに祈ります。神よ、恵みの時に、あなたのいつくしみの豊かなるにより、わたしにお答えください。
69:14 あなたのまことの救により、わたしを泥の中に沈まぬよう助け出してください。わたしを憎む者から、また深い水からわたしを助け出してください。
69:15 大水がわたしの上を流れ過ぎることなく、淵がわたしをのむことなく、穴がその口をわたしの上に閉じることのないように/してください。
69:16 主よ、あなたのいつくしみの深きにより、わたしにお答えください。あなたのあわれみの豊かなるにより、わたしを顧みてください。
69:17 あなたの顔をしもべに隠さないでください。わたしは悩んでいるのです。すみやかにわたしにお答えください。
69:18 わたしに近く寄って、わたしをあがない、わが敵のゆえにわたしをお救いください。
69:19 あなたはわたしの受けるそしりと、恥と、はずかしめとを知っておられます。わたしのあだは皆あなたの前にあります。
69:20 そしりがわたしの心を砕いたので、わたしは望みを失いました。わたしは同情する者を求めたけれども、ひとりもなく、慰める者を求めたけれども、ひとりも見ませんでした。
69:21 彼らはわたしの食物に毒を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。
69:22 彼らの前の食卓を網とし、彼らが犠牲をささげる祭を、わなとしてください。
69:23 彼らの目を暗くして見えなくし、彼らの腰を常に震わせ、
69:24 あなたの憤りを彼らの上にそそぎ、あなたの激しい怒りを彼らに追いつかせてください。
69:25 彼らの宿営を荒し、ひとりもその天幕に住まわせないでください。
69:26 彼らはあなたが撃たれた者を迫害し、あなたが傷つけられた者をさらに苦しめるからです。
69:27 彼らに、罰に罰を加え、あなたの赦免にあずからせないでください。
69:28 彼らをいのちの書から消し去って、義人のうちに記録されることのないようにしてください。
69:29 しかしわたしは悩み苦しんでいます。神よ、あなたの救が/わたしを高い所に置かれますように。
69:30 わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます。
69:31 これは雄牛または角とひずめのある雄牛にまさって/主を喜ばせるでしょう。
69:32 へりくだる者は、これを見て喜べ。神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ。
69:33 主は乏しい者に聞き、その捕われ人をかろしめられないからである。
69:34 天と地は主をほめたたえ、海とその中に動くあらゆるものは主をほめたたえよ。
69:35 神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。そのしもべらはそこに住んでこれを所有し、
69:36 そのしもべらの子孫はこれを継ぎ、み名を愛する者はその中に住むであろう。

神は主イエスキリストを信じ求める人々を、いつも覚えていて下さいます。
順風満帆に事が進んでいる時も、苦難、困難の中にいるときも。
我々は、どのような環境にあっても、いつも真に神を求めているでしょうか?
そのような信仰を持っているでしょうか?
宗教は世の中にあふれています。他の宗教とは違い、キリスト教は特別に悪しき者の攻撃は受けない。と信じ込んでいる人はいませんか?パウロの時代にも「偽兄弟」は存在しましたし、悪魔は昔から働いているのです。
詩篇69:21 「彼らはわたしの食物に毒を入れ」と書かれていますが、実際の食べ物だけを意味するのではないと思います。クリスチャンの糧である御言葉に毒を混ぜる人々がいます。また、兄弟姉妹のような人々があなたがたを罠にかけない保証はないのです。悪魔が実際に存在する事を知り、特にこの時代は注意していなければなりません。

イザ
2:22 あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。


もし、あなたが神ではなく他のものにより頼んでいるなら、それは確実にあなたを守るものではありません。教会に、牧師に、兄弟姉妹により頼んでいませんか?より頼むものをすり替えられてはいけません。クリスチャンがより頼むべきは「主イエスキリスト」神、以外にはありません。
また、より頼みたくなるような目には素晴らしく見えるクリスチャンの兄弟姉妹が悪魔の手先となり働く場合があることも知っておかねばなりません。
我々は人に信頼するのではなく、主を信じるのです。

ロマ
3:10 次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。
3:12 すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。
3:13 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
3:14 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。
3:15 彼らの足は、血を流すのに速く、
3:16 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
3:17 そして、彼らは平和の道を知らない。
3:18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。


あなたが神を求める事が出来るのは、神により神の子として造りかえられたから。
もし、求めていないなら、あなたは迷い出ているという事です。今ならまだ悔い改める事が出来ます。悔い改めるとは、主のもとに正しくたちかえる事です。
罪人で虫にも等しい存在の我々が救われたのは、ただ神の憐れみによるほかはありません。
神を信じるものに永遠の命が与えられるのです。それには何の差別はありません。
人間的に福音をこねまわしてはなりません。信じることは実にシンプルで純粋な事です。
大人も子供も関係ありません。
ですから、真実な信仰かどうかも、神様から見れば一目瞭然でしょう。実を見れば明らかでしょうから(心の中もです)。人はだませても、神の前には心も行いも隠す事は出来ないのですから。ですから、神と自分との関係がどれだけ大事であるか知ってください。

ロマ
3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。
3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
3:26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。


神を信じるものは決して失望に終わる事はありません。
しかし、「信仰」は自分勝手に行うことではなく、神の御旨に従うものです。
人はうわべを見ますが、神は心をご覧になられます。
神を求めるものから現れる実は、生きた信仰、生きた行ないです。


69:32 へりくだる者は、これを見て喜べ。神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ。
69:33 主は乏しい者に聞き、その捕われ人をかろしめられないからである。
69:34 天と地は主をほめたたえ、海とその中に動くあらゆるものは主をほめたたえよ。

今、目の当たりに偽り者達が栄えるのを見ても失望してはなりません。
神は生きておられ、真実なお方です。自分自身の信仰を守り、神との正しい関係を保ち、日々神を求め歩んでゆきましょう。

エズ
「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」

「生きているもの、死んだもの」

「生きているもの、死んだもの」
黙 3:1 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
3:2 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
3:3 だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
3:4 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
3:6 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
3:7 ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
3:8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
3:13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
3:14 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
3:17 あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
3:18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
3:20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
3:21 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
3:22 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。

「生きる」ためには何が必要でしょうか?
あげるとたくさんありますが、簡単に考えるならば、人間の体を生かす為には、呼吸をし、食物を食べなければなりません。
呼吸については、普通の人間は「さあ、息をしよう」と毎回呼吸をする人はいないと思います。なぜなら、呼吸というのは健康に生きている人間にとっては当然の事ですので、呼吸をしないと死んでしまうからです。
では、「食べる」ということについてはどうでしょう?ある意味、食欲は「生きる」ためには必要なものであり、「食欲がない」「食物を食べない」というのは、体に何らかの不具合が生じており、そのまま放っておくと「死に至る」と考える事が出来ると思います。
肉体の事について人間は関心を持ち「この様な健康法が良い」などと熱心に試してみたり、健康診断に行ったりする人も多いようですが、我々クリスチャンは肉体の健康以上に「霊の状態」に関心を持たなければなりません。なぜなら、肉体は長く生きても120年程度まで、ですが、霊魂は永遠なのですから。
では、霊魂に当てはめて考えるなら、呼吸は祈りである事はご存じだと思います。
呼吸をするように神に祈り、主イエスと交わっているでしょうか?
この事によっても自分が生きているのか、危ないのかわかると思います。
「食べる」ということについてはどうでしょう?
我々クリスチャンの食物は神の御言葉。つまり、聖書です。
人間の肉体が食物を食べないなら死に至るように、クリスチャンの霊魂は霊の糧なる御言葉を食べない状態が続くならどうでしょう?
肉体が食物を得て元気でピンピンしていて毎日を楽しんでいても、霊魂が死にかけているというクリスチャンがいるのではないでしょうか?肉体の状態は肉体の目で見る事が出来ますが霊の状態は肉眼で見えるものではないので、信仰がないなら疎かにしていまいがちなのではないでしょうか。
クリスチャンとして「生きて」いますか?生きた信仰を持っていますか?
イエス様から与えられた命を守らねばなりません。生きなければならないのです。
生きた行いをするには、生きていなければならないのです。
時を知らなければなりません。今、時代が悪くなっているのを、みなさんも特に感じると思います。
神の御言葉が、いつまでも簡単に得ることができると怠惰に生きていてはなりません。
「主の言葉を聞くことのききんである」とアモス書に書かれています。
 
アモス
8::11 主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパン
のききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
8:12 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。
8:13 その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う。
8:14 かのサマリヤのアシマをさして誓い、『ダンよ、あなたの神は生きている』と言い、また/『ベエルシバの道は生きている』と言う者どもは/必ず倒れる。再び起きあがることはない」。

そして今は悪い時代となっています。

ルカ
8:18 だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。
 
聞く機会があるからといって安心してはなりません。聞く事柄には注意の必要な時代です。聖霊様に導いていただき生きた者として歩んでゆきましょう。

わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある


聖書 黙示録2章

黙 2:1 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
2:2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
2:3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
2:6 しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。
2:8 スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
2:10 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。
2:12 ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。
2:13 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
2:15 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。
2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。
2:18 テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。
2:19 わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。
2:20 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
2:21 わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
2:23 また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
2:24 また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。
2:25 ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。
2:26 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
2:27 彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
2:28 わたしはまた、彼に明けの明星を与える。
2:29 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

我々クリスチャンは時代と住んでいるところについて知らなければなりません。
この地上はいくらお金持ちでも名誉があって楽しく暮らしていても、クリスチャンにとって天国ではありません。
また、教会であっても牧師であってもクリスチャンであっても、本物か偽物か見分けなければならない時代です。
以下の御言葉は明らかに敵の存在について触れています。

マタ 13:27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
マタ 13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。


そして、毒麦にたいして、すぐに刈り取ってはいません。「育つままにしておけ。」と語られています。つまり、我々クリスチャンはそのような中で信仰を守ってゆかなければならないのです。なぜなら、この喩では「畑は世界である」(マタ 13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。)とイエス様は語られています。
また、敵は「眠っている間に来て」とあります。マタ 13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。霊的に目を覚まして祈っていましょう。

クリスチャンであっても本物と偽物があり、悪魔のわざを行う者達がいるのです。
もし、悪魔のわざを行い続けるなら待っているのは滅びです。いつまでも神の忍耐は続きません。

マタ 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。

この様な世界に生きる我々に、イエス様はこのようにおっしゃいました。マタ 10:16 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
神の知恵は何物にも勝ります。神の知恵を我々はいただかなければなりません。
そうでないと、ヘビ(悪魔)に簡単にやられてしまいます。実際にこの様な個所もあります。

一コリ 10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
二コリ 11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
我々は、真実に神の御心にかなうものを求めなければならないのです。求めるものが違うならば与えられません。神は真実なお方であり、マタ 7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。の御言葉通り神の子とされたクリスチャンの求めるものを御心のままに与えて下さいます。求めたものの実が現れているという事なのです。ですから、偽物の実が現れているなら、その者の求めているものが偽物ということです。


今、神の知恵を求めなければなりません。そして、信仰を守らなければなりません。
あと少しの所で敵の策略にひっかかってはなりません。今の時代は罠だらけなのですから。

エペ
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15 平和の福音の備えを足にはき、
6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。


我々は敵を侮ってはなりません。知らないうちに騙されて、自らが救いを手放す事のないように、日々目を覚まし祈り、神の導きにより聖書を知り、神の御言葉により歩まなければなりません。今の時代、特にエペソ6:11-18の個所は重要です。「イエスキリスト」このお方だけにより頼んでゆきましょう。

聖書とは

聖書 ヘブル 4

ヘブル
4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。 4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。 4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、誓ったように」と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。 4:4 すなわち、聖書のある箇所で、七日目のことについて、「神は、七日目にすべてのわざをやめて休まれた」と言われており、 4:5 またここで、「彼らをわたしの安息に、はいらせることはしない」と言われている。 4:6 そこで、その安息にはいる機会が、人々になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったのであるから、 4:7 神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、長く時がたってから、先に引用したとおり、/「きょう、み声を聞いたなら、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」/とダビデをとおして言われたのである。4:8 もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日のことについて語られたはずはない。 4:9 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 4:10 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。 4:11 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。 4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 4:16 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。


聖書は神の御言葉の書かれた書物です。神の意志を知るには聖書しかありません。
我々が正しく歩むには聖書によるしかありません。

二テモ 3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。


ですから、イエス様が聖書を教えてくださいます。

ルカ 24:45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて
ルカ 24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
ルカ 24:32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

それは、聖書は神の御言葉であるがゆえに必ず成就するからであり、また、成就するためにも来られたと書かれています。

ヨハ 13:18 あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
ヨハ 17:12 わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。
ヨハ 19:24 そこで彼らは互に言った、「それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書が成就するためで、兵卒たちはそのようにしたのである。
ヨハ 19:28 そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。


私たちにとって甘く良い御言葉も成就しますが、苦く感じる起こってほしくないような御言葉も成就します。イエス様も「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。と受けたくない苦難を受けられました。神の御言葉は成就します。
ですから、終わりの日に起こる刑罰の日についても書かれています。

ルカ 「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。 21:8 イエスが言われた、「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな。21:9 戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。21:10 それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。21:11 また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。21:12 しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。21:13 それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。21:14 だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。21:15 あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。21:16 しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。21:17 また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。21:19 あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。21:20 エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。21:21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。21:22 それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ


では、この様な事から逃れるためだけに信じるのでしょうか?逃れられたらそれで良いですか?逃れるためだけなら希望も何もないのではありませんか?
ロマ 10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。と書かれています。つまり、何を信じるのか?何を求めているのかというのは重要な事なのです。
ガラ 3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

イエスキリストを求め、信じているでしょうか?
今は悪い時代です。ことごとく御言葉が成就していっています。
求めるものが違うなら滅びが待っているでしょう。

一テモ 6:9 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。

この御言葉はクリスチャン以外の人々へのものでしょうか?いいえ。クリスチャンのためのものです。ですから、現在教会で起こっている「教会や教役者のありえない状態」もこの御言葉の成就でしょう。
ロマ 2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。 2:17 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、 2:18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、2:19 さらに、知識と真理とが律法の中に形をとっているとして、自ら盲人の手引き、やみにおる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、2:20 (19節に合節)2:21 なぜ、人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。2:22 姦淫するなと言って、自らは姦淫するのか。偶像を忌みきらいながら、自らは宮の物をかすめるのか。2:23 律法を誇としながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのか。 2:24 聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されている」。2:25 もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立とう。しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう。 2:26 だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではないか。2:27 かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。 2:28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。 2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

マタ 22:29 イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
ロマ 2:24 聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されている」。

聖書を知らないなら命にかかわります。ですから聖霊様に手引きされながら教えていただかねばならないのです。聖書の中には永遠の命があるのです。我々が求めているのは永遠の命、神の御国、イエスキリストなのですから。
ですから、
一テモ 4:13 わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。の御言葉通り歩もうではありませんか。それは、二テモ 3:15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。信仰によって救いに至る知恵と書かれています。信仰とは、ヘブル 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
の通りです。イエスキリストを求めているでしょうか?イエスキリストを求める事がないなら命はないでしょう。
神は求めるものに与えられますが、求めているものが世の中的なものばかりではどうでしょう?神は偽られるお方ではありません。あなたが求めるものを与えられるのです。

一ヨハ 5:14 わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。
一ヨハ 5:15 そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。
一ヨハ 3:22 そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。

わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを求め、行うには、やはり聖書を知るしかないのです。

主を愛し、喜ぶ

説教「主を愛し、喜ぶ」

ユダ
1:1 イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。 1:2 あわれみと平安と愛とが、あなたがたに豊かに加わるように。1:3 愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。
1:4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。
1:5 あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。1:6 主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。 1:7 ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。 1:8 しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。 1:9 御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。 1:10 しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。 1:11 彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。 1:12 彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、 1:13 自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。 1:14 アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。 1:15 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。 1:16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。 1:17 愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。1:18 彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。 1:19 彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。 1:20 しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、 1:21 神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。1:22 疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、1:23 火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。 1:24 あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、1:25 すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。


父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。と書かれています。
では、我々は主なる神、イエスキリストを心から愛していますか?愛する喜びがありますか?いつもイエス様が心にありますか?
犬の話で申し訳ありませんが、
犬は愛する主人と一緒にいるなら無意識に?しっぽを振ってしまいます。何故でしょうか?主人の事を理屈抜きに愛しているのでうれしいからでしょう。
では、主を愛するという我々クリスチャンは聖霊なる主が共にいつもいてくださっているのです。いつも喜びがありますか?
いつも主イエスを喜ぶ愛、気持ちがありますか?
犬は実在する主人を認め知っているので主人の顔を見るならしっぽを振るでしょう。
では、我々クリスチャンは主を知っていますか?
本当に実在されるお方なる神を霊の目で見る事が出来ているでしょうか?というかお会いしているでしょうか?
信仰がなくては不可能ですが、信じる者には可能としてくださるのが神です。
「喜ぶ」という事は神を知らない人々にも起こる感情です。
ですから
ガラテヤ4:19 ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。
と書かれているようにキリストのかたちが内にないなら主を喜ぶ、そして、喜ばせる信仰生活はできません。ですから、喜ぶために自らの欲望がかなう祈りや生活をして、それがかなえられる喜びを求めてゆく人々もいます。
世の中に転がっている人々が求めるようなものではなく、何にも奪われることのない喜びこそが主の与える喜びなのです。主の与える喜びはだれにも奪われないと書かれているのに信仰生活には苦難があることも聖書には記されています。「いつも、主にあって喜びなさい」と書かれている聖書なのに、では、それは何のためでしょうか。


ヘブル 12:6 主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。
使 14:22 弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。
ロマ 8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

まだまだ他の個所にもありますが、以上の御言葉通りです。
ですから、信仰の訓練としてなら以下の御言葉のように、

申 1
13:1 あなたがたのうちに預言者または夢みる者が起って、しるしや奇跡を示し、
13:2 あなたに告げるそのしるしや奇跡が実現して、あなたがこれまで知らなかった『ほかの神々に、われわれは従い仕えよう』と言っても、
13:3 あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。
13:4 あなたがたの神、主に従って歩み、彼を恐れ、その戒めを守り、その言葉に聞き従い、彼に仕え、彼につき従わなければならない。


教会の中で試みられることもあるという事です。

一コリ 15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


また、私たちが正しく歩むために主が愛される者を戒められることも書かれています。

箴 3
3:11 わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
3:12 主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。

主に愛されている事を知っているなら、どのような状況でも主を喜ぶ事が出来ます。
そして、主を愛する者は主から頂いた愛で『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』の御言葉に従い隣人を愛することができます。

しかし、主を本当に知らないなら単なる形だけになってしまいます。
世の中の人々は目に見えるものを愛します。お金や権力など・・・
私たちは真に主を知るものでしょうか?それとも主を知らない人達のように生きるものでしょうか?

ヘブル 13:5 金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。

本心からこの御言葉を喜びとできるでしょうか?

詩 127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

主は必要を満たしてくださいます。しかし、欲を満たしては下さらないでしょう。
私たちの人生、そして、この世は終わりを迎えるものです。
今、苦しくても、幸せでも、この世のものは過ぎ去ります。
主を愛し、主を喜びとしているでしょうか?それは永遠です。
主が「愛する者たちよ」と書かれた御言葉には深い意味が込められています。

二ペテ
3:7 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。
3:15 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
3:17 愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。
3:18 そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。


神の意図を理解することができるでしょうか。
主にあって、主を喜び歩む信仰生活でありましょう。

主に聞き従うという事

説教「主に聞き従うという事」

聖書 申 28
申 28:1 もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。
28:2 もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:3 あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。
28:4 またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。
28:5 またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。
28:6 あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。
28:7 敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去るであろう。
28:8 主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだし、あなたの神、主が賜わる地であなたを祝福されるであろう。
28:9 もし、あなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むならば、主は誓われたようにあなたを立てて、その聖なる民とされるであろう。
28:10 そうすれば地のすべての民は皆あなたが主の名をもって唱えられるのを見てあなたを恐れるであろう。
28:11 主があなたに与えると先祖に誓われた地で、主は良い物、すなわちあなたの身から生れる者、家畜の産むもの、地に産する物を豊かにされるであろう。
28:12 主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。
28:13 主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。
28:14 きょう、わたしが命じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲り、他の神々に従い、それに仕えてはならない。
28:15 しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:16 あなたは町のうちでものろわれ、畑でものろわれ、
28:17 あなたのかごも、こねばちものろわれ、
28:18 あなたの身から生れるもの、地に産する物、牛の子、羊の子ものろわれるであろう。
28:19 あなたは、はいるにものろわれ、出るにものろわれるであろう。
28:20 主はあなたが手をくだすすべての働きにのろいと、混乱と、懲らしめとを送られ、あなたはついに滅び、すみやかにうせ果てるであろう。これはあなたが悪をおこなってわたしを捨てたからである。
28:21 主は疫病をあなたの身につかせ、あなたが行って取る地から、ついにあなたを断ち滅ぼされるであろう。
28:22 主はまた肺病と熱病と炎症と間けつ熱と、かんばつと、立ち枯れと、腐り穂とをもってあなたを撃たれるであろう。これらのものはあなたを追い、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:23 あなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となるであろう。
28:24 主はあなたの地の雨を、ちりと、ほこりに変らせ、それが天からあなたの上にくだって、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:25 主はあなたを敵の前で敗れさせられるであろう。あなたは一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去るであろう。そしてあなたは地のもろもろの国に恐るべき見せしめとなるであろう。
28:26 またあなたの死体は空のもろもろの鳥と、地の獣とのえじきとなり、しかもそれを追い払う者はないであろう。
28:27 主はエジプトの腫物と潰瘍と壊血病とひぜんとをもってあなたを撃たれ、あなたはいやされることはないであろう。
28:28 また主はあなたを撃って気を狂わせ、目を見えなくし、心を混乱させられるであろう。
28:29 あなたは盲人が暗やみに手探りするように、真昼にも手探りするであろう。あなたは行く道で栄えることがなく、ただ常にしえたげられ、かすめられるだけで、あなたを救う者はないであろう。
28:30 あなたは妻をめとっても、ほかの人が彼女と寝るであろう。家を建てても、その中に住まないであろう。ぶどう畑を作っても、その実を摘み取ることがないであろう。
28:31 あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができず、あなたのろばが目の前で奪われても、返されないであろう。あなたの羊が敵のものになっても、それを救ってあなたに返す者はないであろう。
28:32 あなたのむすこや娘は他国民にわたされる。あなたの目はそれを見、終日、彼らを慕って衰えるが、あなたは手を施すすべもないであろう。
28:33 あなたの地の産物およびあなたの労して獲た物はみなあなたの知らない民が食べるであろう。あなたは、ただ常にしえたげられ、苦しめられるのみであろう。
28:34 こうしてあなたは目に見る事柄によって、気が狂うにいたるであろう。
28:35 主はあなたのひざと、はぎとに悪い、いやし得ない腫物を生じさせて、足の裏から頭の頂にまで及ぼされるであろう。
28:36 主はあなたとあなたが立てた王とを携えて、あなたもあなたの先祖も知らない国に移されるであろう。あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。
28:37 あなたは主があなたを追いやられるもろもろの民のなかで驚きとなり、ことわざとなり、笑い草となるであろう。
28:38 あなたが多くの種を畑に携えて出ても、その収穫は少ないであろう。いなごがそれを食いつくすからである。
28:39 あなたがぶどう畑を作り、それにつちかっても、そのぶどう酒を飲むことができず、その実を集めることもないであろう。虫がそれを食べるからである。
28:40 あなたの国にはあまねくオリブの木があるであろう。しかし、あなたはその油を身に塗ることができないであろう。その実がみな落ちてしまうからである。
28:41 むすこや、娘があなたに生れても、あなたのものにならないであろう。彼らは捕えられて行くからである。
28:42 あなたのもろもろの木、および地の産物は、いなごが取って食べるであろう。
28:43 あなたのうちに寄留する他国人は、ますます高くなり、あなたの上に出て、あなたはますます低くなるであろう。
28:44 彼はあなたに貸し、あなたは彼に貸すことができない。彼はかしらとなり、あなたは尾となるであろう。
28:45 このもろもろののろいが、あなたに臨み、あなたを追い、ついに追いついて、あなたを滅ぼすであろう。これはあなたの神、主の声に聞き従わず、あなたに命じられた戒めと定めとを、あなたが守らなかったからである。
28:46 これらの事は長くあなたとあなたの子孫のうえにあって、しるしとなり、また不思議となるであろう。
28:47 あなたがすべての物に豊かになり、あなたの神、主に心から喜び楽しんで仕えないので、
28:48 あなたは飢え、かわき、裸になり、すべての物に乏しくなって、主があなたにつかわされる敵に仕えるであろう。敵は鉄のくびきをあなたのくびにかけ、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:49 すなわち主は遠い所から、地のはてから一つの民を、はげたかが飛びかけるように、あなたに攻めきたらせられるであろう。これはあなたがその言葉を知らない民、
28:50 顔の恐ろしい民であって、彼らは老人の身を顧みず、幼い者をあわれまず、
28:51 あなたの家畜が産むものや、地の産物を食って、あなたを滅ぼし、穀物をも、酒をも、油をも、牛の子をも、羊の子をも、あなたの所に残さず、ついにあなたを全く滅ぼすであろう。
28:52 その民は全国ですべての町を攻め囲み、ついにあなたが頼みとする、堅固な高い石がきをことごとく撃ちくずし、あなたの神、主が賜わった国のうちのすべての町々を攻め囲むであろう。
28:53 あなたは敵に囲まれ、激しく攻めなやまされて、ついにあなたの神、主が賜わったあなたの身から生れた者、むすこ、娘の肉を食べるに至るであろう。
28:54 あなたがたのうちのやさしい、温和な男でさえも、自分の兄弟、自分のふところの妻、最後に残っている子供にも食物を惜しんで与えず、
28:55 自分が自分の子供を食べ、その肉を少しでも、この人々のだれにも与えようとはしないであろう。これは敵があなたのすべての町々を囲み、激しく攻め悩まして、何をもその人に残さないからである。
28:56 またあなたがたのうちのやさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者でも、自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、
28:57 自分の足の間からでる後産や、自分の産む子をひそかに食べるであろう。敵があなたの町々を囲み、激しく攻めなやまして、すべての物が欠乏するからである。
28:58 もしあなたが、この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず、あなたの神、主というこの栄えある恐るべき名を恐れないならば、
28:59 主はあなたとその子孫の上に激しい災を下されるであろう。その災はきびしく、かつ久しく、その病気は重く、かつ久しいであろう。
28:60 主はまた、あなたが恐れた病気、すなわちエジプトのもろもろの病気を再び臨ませて、あなたの身につかせられるであろう。
28:61 またこの律法の書にのせてないもろもろの病気と、もろもろの災とを、主はあなたが滅びるまで、あなたの上に下されるであろう。
28:62 あなたがたは天の星のように多かったが、あなたの神、主の声に聞き従わなかったから、残る者が少なくなるであろう。
28:63 さきに主があなたがたを良くあしらい、あなたがたを多くするのを喜ばれたように、主は今あなたがたを滅ぼし絶やすのを喜ばれるであろう。あなたがたは、はいって取る地から抜き去られるであろう。
28:64 主は地のこのはてから、かのはてまでのもろもろの民のうちにあなたがたを散らされるであろう。その所で、あなたもあなたの先祖たちも知らなかった木や石で造ったほかの神々にあなたは仕えるであろう。
28:65 その国々の民のうちであなたは安きを得ず、また足の裏を休める所も得られないであろう。主はその所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を打ちしおれさせられるであろう。
28:66 あなたの命は細い糸にかかっているようになり、夜昼恐れおののいて、その命もおぼつかなく思うであろう。
28:67 あなたが心にいだく恐れと、目に見るものによって、朝には『ああ夕であればよいのに』と言い、夕には『ああ朝であればよいのに』と言うであろう。
28:68 主はあなたを舟に乗せ、かつてわたしがあなたに告げて、『あなたは再びこれを見ることはない』と言った道によって、あなたをエジプトへ連れもどされるであろう。あなたがたはそこで男女の奴隷として敵に売られるが、だれも買う者はないであろう」。


「主の声に聞き従うならば、祝福は臨み、逆に、主の声に聞き従わず、主が命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいが臨むであろう」と主は、はっきりと語られています。申命記28:25
従わない事を軽く考えてはいないでしょうか?
今はこの様な時代だから・・・環境が・・・
極端な例ですが、牧師であっても、姦淫の罪を犯しながら「人間は弱いから罪を犯すんだよ。だからイエス様が十字架にかかってくださったんだ。悔い改めたらゆるされるよ。」と罪を平気で?犯し続けたという人もいるようです。
しかし、主に従う事とはこんなに簡単なものなのでしょうか?

列王上 8:61 それゆえ、あなたがたは、今日のようにわれわれの神、主に対して、心は全く真実であり、主の定めに歩み、主の戒めを守らなければならない」。

主に従うことは表だけの事ではありません。列王上 8:61 に書かれているように心からの主への従順を求めていらっしゃる事がわかります。
ひょっとしたら心や環境などに困難があったり、戦いがあるかもしれません。
しかし、我々が主を信じるならば、主に従う方を選ばなければならないのです。

サム上
15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
15:24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
15:25 どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。
15:26 サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。
15:27 こうしてサムエルが去ろうとして身をかえした時、サウルがサムエルの上着のすそを捕えたので、それは裂けた。
15:28 サムエルは彼に言った、「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。
15:29 またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。
15:30 サウルは言った、「わたしは罪を犯しましたが、どうぞ、民の長老たち、およびイスラエルの前で、わたしを尊び、わたしと一緒に帰って、あなたの神、主を拝ませてください」。
15:31 そこでサムエルはサウルのあとについて帰った。そしてサウルは主を拝んだ。
15:32 時にサムエルは言った、「わたしの所にアマレクびとの王アガグを引いてきなさい」。アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。アガグは「死の苦しみはきっと過ぎ去ったのだ」と思った。
15:33 サムエルは言った、「あなたのつるぎは多くの女に子供を失わせた。そのようにあなたの母も女のうちで最も無惨に子供を失う者となるであろう」。サムエルはギルガルで主の前に、アガグを寸断した。
15:34 そしてサムエルはラマに行き、サウルは故郷のギベアに上って、その家に帰った。
15:35 サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのために悲しんだ。また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた。

「主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて」と書かれています。
捨てられるのは主からですか?いいえ、人間の側からなのです。
「神は愛なり」という御言葉があります。その御言葉を利用していい加減な信仰生活をしようとされるクリスチャンがいますが、神から頂いた命を大事にしてください。人間に都合のよい愛ではないのです。

二ヨハ 1:6 父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。

また、新約に生きる私たちに十戒は関係ないなんて軽く考えてはいませんか?
以下はバプテスマのヨハネの親となった、ザカリヤとエリサベツについての記述ですが、この様に書かれています。

ルカ 1:6 ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。

必要ないなら、なぜ、このような記述があるのでしょう。つまり、新約における我々にも聞き従うことは重要だからである事がわかります。もちろん、律法を行うから救われるのでではありません。イエスキリストを信じて救われる。つまり、神からのギフトです。しかし、神はちゃんと使用説明書??なるものを与えてくださっているのです。それが聖書であり、手引きしてくださるお方が聖霊様なのです。

二ペテ 3:2 それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。
3:3 まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
3:4 「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
3:5 すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
3:6 その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
3:7 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。
3:3 まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。


同じような事が今起こってはいませんか?
つまり、書かれているように御言葉、戒め、全て必要なのです。もちろん聞き従うこともです。聞き従おうと思えば、聞くことなくしては(知らずには)不可能です。
だからクリスチャンは主の御言葉を聞く事が必要なのです。
十戒~お互いに愛し合う事や、いつも喜んでいなさいとか、絶えず祈りなさいとか、御言葉には様々な事が書かれています。
すべて、聞き従わなければならないのは当然ですが、人間には時々できない事があります。罪があるからです。そのときは悔い改め、聖霊様により頼みましょう。
主に従う事とは、主の戒めとは、我々にとって嫌な者でも苦難、困難のものではなく、真実に主を信じる者には実にすばらしいものです。

詩 19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

主に聞き従ってゆきましょう。

主により頼む

サム下
22:1 ダビデは主がもろもろの敵の手とサウルの手から、自分を救い出された日に、この歌の言葉を主に向かって述べ、
22:2 彼は言った、/「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、
22:3 わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、/わが高きやぐら、わが避け所、/わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。
22:4 わたしは、ほめまつるべき主に呼ばわって、/わたしの敵から救われる。
22:5 死の波はわたしをとりまき、/滅びの大水はわたしを襲った。
22:6 陰府の綱はわたしをとりかこみ、/死のわなはわたしに、たち向かった。
22:7 苦難のうちにわたしは主を呼び、/またわが神に呼ばわった。主がその宮からわたしの声を聞かれて、/わたしの叫びはその耳にとどいた。
22:8 その時地は震いうごき、/天の基はゆるぎふるえた。彼が怒られたからである。
22:9 煙はその鼻からたち上り、/火はその口から出て焼きつくし、/白熱の炭は彼から燃え出た。
22:10 彼は天を低くして下られ、/暗やみが彼の足の下にあった。
22:11 彼はケルブに乗って飛び、/風の翼に乗ってあらわれた。
22:12 彼はその周囲に幕屋として、/やみと濃き雲と水の集まりとを置かれた。
22:13 そのみ前の輝きから/炭火が燃え出た。
22:14 主は天から雷をとどろかせ、/いと高き者は声を出された。
22:15 彼はまた矢を放って彼らを散らし、/いなずまを放って彼らを撃ち破られた。
22:16 主のとがめと、その鼻のいぶきとによって、/海の底はあらわれ、/世界の基が、あらわになった。
22:17 彼は高き所から手を伸べてわたしを捕え、/大水の中からわたしを引き上げ、
22:18 わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから/わたしを救われた。彼らはわたしにとって、あまりにも強かったからだ。
22:19 彼らはわたしの災の日にわたしに、たち向かった。しかし主はわたしの支柱となられた。
22:20 彼はまたわたしを広い所へ引きだされ、/わたしを喜ばれて、救ってくださった。
22:21 主はわたしの義にしたがってわたしに報い、/わたしの手の清きにしたがって/わたしに報いかえされた。
22:22 それは、わたしが主の道を守り、悪を行わず、/わが神から離れたことがないからである。
22:23 そのすべてのおきてはわたしの前にあって、/わたしはその、み定めを離れたことがない。
22:24 わたしは主の前に欠けた所なく、/自らを守って罪を犯さなかった。
22:25 それゆえ、主はわたしの義にしたがい、/その目のまえにわたしの清きにしたがって、/わたしに報いられた。
22:26 忠実な者には、あなたは忠実な者となり、/欠けた所のない人には、/あなたは欠けた所のない者となり、
22:27 清い者には、あなたは清い者となり、/まがった者には、かたいぢな者となられる。
22:28 あなたはへりくだる民を救われる、/しかしあなたの目は高ぶる者を見て/これをひくくせられる。
22:29 まことに、主よ、あなたはわたしのともし火、/わが神はわたしのやみを照される。
22:30 まことに、あなたによって/わたしは敵軍をふみ滅ぼし、/わが神によって石がきをとび越えることができる。
22:31 この神こそ、その道は非のうちどころなく、/主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。
22:32 主のほかに、だれが神か、/われらの神のほか、だれが岩であるか。
22:33 この神こそわたしの堅固な避け所であり、/わたしの道を安全にされた。
22:34 わたしの足をめじかの足のようにして、/わたしを高い所に安全に立たせ、
22:35 わたしの手を戦いに慣らされたので、/わたしの腕は青銅の弓を引くことができる。
22:36 あなたはその救の盾をわたしに与え、/あなたの助けは、わたしを大いなる者とされた。
22:37 あなたはわたしが歩く広い場所を与えられたので、/わたしの足はすべらなかった。
22:38 わたしは敵を追って、これを滅ぼし、/これを絶やすまでは帰らなかった。
22:39 わたしは彼らを絶やし、彼らを砕いたので/彼らは立つことができず、わたしの足もとに倒れた。
22:40 あなたは戦いのために、わたしに力を帯びさせ/わたしを攻める者をわたしの下にかがませられた。
22:41 あなたによって、敵は/そのうしろをわたしに向けたので、/わたしを憎む者をわたしは滅ぼした。
22:42 彼らは見まわしたが、救う者はいなかった。彼らは主に叫んだが、彼らには答えられなかった。
22:43 わたしは彼らを地のちりのように/細かに打ちくだき、/ちまたのどろのように、踏みにじった。
22:44 あなたはわたしを国々の民との争いから救い出し、/わたしをもろもろの国民のかしらとされた。わたしの知らなかった民がわたしに仕えた。
22:45 異国の人たちはきてわたしにこび、/わたしの事を聞くとすぐわたしに従った。
22:46 異国の人たちは、うちしおれて/その城からふるえながら出てきた。
22:47 主は生きておられる。わが岩はほむべきかな。わが神、わが救の岩はあがむべきかな。
22:48 この神はわたしのために、あだを報い、/もろもろの民をわたしの下に置かれた。
22:49 またわたしを敵から救い出し、/あだの上にわたしをあげ、/暴虐の人々からわたしを救い出された。
22:50 それゆえ、主よ、わたしはもろもろの国民の中で、/あなたをたたえ、/あなたの、み名をほめ歌うであろう。
22:51 主はその王に大いなる勝利を与え、/油を注がれた者に、ダビデとその子孫とに、/とこしえに、いつくしみを施される」。

主はわが岩、より頼むべき岩と書かれています。

詩 18:2 主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。

その我々のより頼むべき岩は

詩 18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。
詩 31:19 あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに寄り頼む者のために/人の子らの前に施されたあなたの恵みは/いかに大いなるものでしょう。
詩 34:8 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。

では、岩とは何でしょうか

一コリ 10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
詩 34:22 主はそのしもべらの命をあがなわれる。主に寄り頼む者はひとりだに/罪に定められることはない。
詩 37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放ち、彼らを悪しき者どもから解き放って救われる。彼らは主に寄り頼むからである。

岩とは、そうです。イエスキリストの事です。ですから、このお方により頼むなら我々は失望する事もなく、恐れることもないのです。

箴 30:5 神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。
箴 16:20 慎んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである。

ですから、イエスキリストなるお方、御言葉は真実ですから信頼してより頼むなら我々には失望はありません。そして、主は、我々がより頼む事が出来るように教えてくださる方でもあります。

箴 22:19 あなたが主に、寄り頼むことのできるように、わたしはきょう、これをあなたにも教える。

ただ主だけが我々クリスチャンのより頼むべきお方です。他のものはありません。しかし、残念ながら他のものにより頼んでしまう者もいるのでこの様な御言葉が書かれているのでしょう。そして、神以外により頼む者には、それが躓きになるとも書かれています。より頼み助けになるものが躓きになるとは恐ろしい事です。あなたはどちらにより頼みますか?簡単に人により頼みますか?主以外により頼むなら失望しかありません。

ロマ 9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」/と書いてあるとおりである。
詩 118:8 主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。
イザ 36:6 見よ、あなたはかの折れかけている葦のつえエジプトを頼みとしているが、それは人が寄りかかるとき、その人の手を刺し通す。エジプトの王パロはすべて寄り頼む者にそのようにするのだ。

聖書をよく読むなら、残念ながら、クリスチャン全員が主により頼むものではないようです。今、終わりの時代ですが、我々はただ主にのみ信頼してより頼みましょう。
聖書の御言葉だけが真実です。他のものに信頼するなら、聖書に混ぜ物をするなら危険です。今、いろいろな所に惑わしがあります。私は偶像崇拝していないから大丈夫と安心してはなりません。偶像とは神以外にあがめるもの、信頼するもの、より頼むものがあることにもつながります。

イザ
57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、
57:2 平安に入るからである。すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。
57:3 しかし、あなたがた女魔法使の子よ、姦夫と遊女のすえよ、こちらへ近寄れ。
57:4 あなたがたは、だれにむかって戯れをなすのか。だれにむかって口を開き、舌を出すのか。あなたがたは背信の子ら、偽りのすえではないか。
57:5 あなたがたは、かしの木の間、すべての青木の下で心をこがし、谷の中、岩のはざまで子どもを殺した。
57:6 あなたは谷のなめらかな石を自分の嗣業とし、これを自分の分け前とし、これに灌祭をそそぎ、供え物をささげた。わたしはこれらの物によってなだめられようか。
57:7 あなたは高くそびえた山の上に自分の床を設け、またそこに登って行って犠牲をささげた。
57:8 また戸および柱のうしろに、あなたのしるしを置いた。あなたはわたしを離れて自分の床をあらわし、それにのぼって、その床をひろくした。また彼らと契約をなし、彼らの床を愛し、その裸を見た。
57:9 あなたは、におい油を携えてモレクに行き、多くのかおり物をささげた。またあなたの使者を遠くにつかわし、陰府の深い所にまでつかわした。
57:10 あなたは道の長いのに疲れても、なお「望みがない」とは言わなかった。あなたはおのが力の回復を得たので、衰えることがなかった。
57:11 あなたはだれをおじ恐れて、偽りを言い、わたしを覚えず、また心におかなかったのか。わたしが久しく黙っていたために、あなたはわたしを恐れなかったのではなかったか。
57:12 わたしはあなたの義と、あなたのわざを告げ示そう、しかしこれらはあなたを益しない。
57:13 あなたが呼ばわる時、あなたが集めておいた偶像にあなたを救わせよ。風は彼らを運び去り、息は彼らを取り去る。しかしわたしに寄り頼む者は地を継ぎ、わが聖なる山をまもる。
57:14 主は言われる、「土を盛り、土を盛って道を備えよ、わが民の道から、つまずく物を取り去れ」と。
57:15 いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。
57:16 わたしはかぎりなく争わない、また絶えず怒らない。霊はわたしから出、いのちの息はわたしがつくったからだ。
57:17 彼のむさぼりの罪のゆえに、わたしは怒って彼を打ち、わが顔をかくして怒った。しかし彼はなおそむいて、おのが心の道へ行った。
57:18 わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。
57:19 遠い者にも近い者にも平安あれ、平安あれ、わたしは彼をいやそう」と主は言われる。
57:20 しかし悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができないで、その水はついに泥と汚物とを出す。
57:21 わが神は言われる、「よこしまな者には平安がない」と。

我々は主によって義とされ救われたのです。今、我々クリスチャンがより頼むのは主イエスキリスト以外にないのです。ですから、主により頼み、岩(主)を土台とするなら倒れることはないと書いてあります。

マタ 7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。

何に頼るのか、何を土台とするのか。重要な事です。

賛美について

申 10:1 その時、主はわたしに言われた、『おまえは、前のような石の板二枚を切って作り、山に登って、わたしのもとにきなさい。また木の箱一つを作りなさい。
10:2 さきにおまえが砕いた二枚の板に書いてあった言葉を、わたしはその板に書きしるそう。おまえはそれをその箱におさめなければならない』。
10:3 そこでわたしはアカシヤ材の箱一つを作り、また前のような石の板二枚を切って作り、その二枚の板を手に持って山に登った。
10:4 主はかつて、かの集会の日に山で火の中からあなたがたに告げられた十誡を書きしるされたように、その板に書きしるし、それを主はわたしに授けられた。
10:5 それでわたしは身をめぐらして山から降り、その板を、わたしが作った箱におさめた。今なおその中にある。主がわたしに命じられたとおりである。
10:6 (こうしてイスラエルの人々はベエロテ・ベネ・ヤカンを出立してモセラに着いた。アロンはその所で死んでそこに葬られ、その子エレアザルが彼に代って祭司となった。
10:7 またそこを出立してグデゴダに至り、グデゴダを出立してヨテバタに着いた。この地には多くの水の流れがあった。
10:8 その時、主はレビの部族を選んで、主の契約の箱をかつぎ、主の前に立って仕え、また主の名をもって祝福することをさせられた。この事は今日に及んでいる。
10:9 そのためレビは兄弟たちと一緒には分け前がなく、嗣業もない。あなたの神、主が彼に言われたとおり、主みずからが彼の嗣業であった。)
10:10 わたしは前の時のように四十日四十夜、山におったが、主はその時にもわたしの願いを聞かれた。主はあなたを滅ぼすことを望まれなかった。
10:11 そして主はわたしに『おまえは立ちあがり、民に先立って進み行き、わたしが彼らに与えると、その先祖に誓った地に彼らをはいらせ、それを取らせよ』と言われた。
10:12 イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、
10:13 また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。
10:14 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。
10:15 そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛し、その後の子孫であるあなたがたを万民のうちから選ばれた。今日見るとおりである。
10:16 それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。
10:17 あなたがたの神である主は、神の神、主の主、大いにして力ある恐るべき神にましまし、人をかたより見ず、また、まいないを取らず、
10:18 みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、また寄留の他国人を愛して、食物と着物を与えられるからである。
10:19 それゆえ、あなたがたは寄留の他国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で寄留の他国人であった。
10:20 あなたの神、主を恐れ、彼に仕え、彼に従い、その名をさして誓わなければならない。
10:21 彼はあなたのさんびすべきもの、またあなたの神であって、あなたが目に見たこれらの大いなる恐るべき事を、あなたのために行われた。
10:22 あなたの先祖たちは、わずか七十人でエジプトに下ったが、いま、あなたの神、主はあなたを天の星のように多くされた。

21節では賛美すべきものと書かれていますが、我々人間はどのような方を賛美するでしょうか?自分の理解の中で、賛美を受けるにふさわしいお方を賛美しますよね。
自分自身があがめる方を人間は賛美するものです。自分で自分をほめる人もいますが・・・
そのような方は自分がある意味「神(偶像)」になっているのかもしれませんね。
神ならぬものを賛美することは人間の力で行うことができます。
しかし、真の神を賛美することは神によらずして、人の力でできることではありません。そして、天地万物を創造主、唯一の神であられるお方、この方だけが賛美されるにふさわしいお方なのです。


147:1 主をほめたたえよ。われらの神をほめうたうことはよいことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである。

黙 5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
5:13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。

しかし、神をほめたたえるということは特別なことであり、勝手に自らが行える事でもないようです。
詩22:3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。
神は聖なるお方で、そのお方が、なんと神を信じる者の賛美の上に座しておられるとのことです。では、どのような者が神を賛美することができるのでしょうか。

① 神をおそれる者

19:5 その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に、われらの神をさんびせよ」。
神をおそれることがないなら、当然、神への賛美も出てこないわけです。
② 生きている者
イザ
38:18 陰府は、あなたに感謝することはできない。死はあなたをさんびすることはできない。墓にくだる者は、あなたのまことを望むことはできない。
38:19 ただ生ける者、生ける者のみ、きょう、わたしがするように、あなたに感謝する。父はあなたのまことを、その子らに知らせる。
③ 神の御国、天国に希望を持つ者
ヘブル
13:14 この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。
13:15 だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。
④ 正しき者
33:1 正しき者よ、主によって喜べ、さんびは直き者にふさわしい。
神の御国に入る事をゆるされた者、神によって義とされた者、
生ける者のみが神を賛美できるのです。
そして、その賛美は自らではなく神により与えられると書かれています。
天国にも当然、神の許しがなくては入ることはできません。
ですから、賛美も神にゆるされた者が行うことができる特権と考えてもよいのではないでしょうか。今、神を賛美している我々は神に感謝しようではありませんか。
賛美が神より与えられる事を書かれた個所があります。

22:23 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
22:24 主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
22:25 大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
40:3 主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌を/わたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。
40:4 主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。
また、賛美は供え物でもあります。そして、主のおきてを教えていただけるもの、つまり、正しい道に歩めるよう導いていただけるものでもあることがわかります。

119:108 主よ、わがさんびの供え物をうけて、あなたのおきてを教えてください。

119:171 あなたの定めをわたしに教えられるので、わがくちびるはさんびを唱えます。
119:172 あなたのすべての戒めは正しいので、わが舌はみ言葉を歌います。
119:173 わたしはあなたのさとしを選びました。あなたのみ手を、常にわが助けとしてください。
119:174 主よ、わたしはあなたの救を慕います。あなたのおきてはわたしの喜びです。
119:175 わたしを生かして、あなたをほめたたえさせ、あなたのおきてを、わが助けとしてください。
119:176 わたしは失われた羊のように迷い出ました。あなたのしもべを捜し出してください。わたしはあなたの戒めを忘れないからです。
悪い時代に生きる我々クリスチャンに対して歩みに注意すべき事が書かれています。その中にあっても神の御旨を知り、御霊に満たされて(聖霊様によって)賛美すべき事が書かれています。
エペ
5:15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
5:16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
5:17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
5:18 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
5:19 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
5:20 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
5:21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
そういえば、主の祈りの「御名があがめられますように」という祈りの大意は神の御名が全てにおいてあがめられる事ですが、「主を賛美する」という点から見るなら、主を信じる我々一人ひとりが主の御名をほめたたえることができます様にという意味でもあるのですね。

「主の御旨」 




マタイ7章
7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。



神の御旨とは?御旨ってなんでしょう?
God's will (in Christianity) と調べると出ていましたが、
神様の御意思のことですね。では、私たちはどのようにして御旨を行えばよいのでしょうか?
本文21節にはこの様に書かれています。

7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

主の御旨を行うものが神の御国に入るのです。そして、それは、探さなければならず、狭い門だとも書かれています。楽に何もせずオートマチックに入れるものでもなさそうです。信じる者には信じる実が現れてくることも書かれています。しかし、神の御旨を知ることなくして御旨をおこなうこ