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失われた御言葉を取り戻す Archive

イエス様が話された 喩えについて

ルカ 8:9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。 8:10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。


8:11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。
8:12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。
8:13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。
8:14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。
8:15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。

ここで たとえ話 には 神の国の秘密が 隠されています。しかし キリストの弟子 には 神の国の秘密 奥義を 知ることが出来ると 言うことです。

たとえ話を 理解し その意味を悟る ことが 大切である と 言うことに 留意いただきたい。

しかしながら 理解しないもの 彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らない


イザ
6:10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。」

はこのイザヤ書の 御言葉に かかっている これは 簡単に言えば 御言葉を 悟らないものは 裁きの 対象になる

可能性 が高いことを あらわしています。

皆さ私の 経験では  福音派では  は たとえ話を 奨励していません。

私の行っていた教会は 信徒も多く 建物も立派で 見た目には 何の申し分も無かったですが

御言葉を 文脈から 解釈しようと するだけです。

たとえ話は 突拍子も ない 異端約 として 処理されます。

どうでしょうか?彼らは 神の国の 奥義を悟ることを 真正面から 妨害し 悟らせないように しているの

では ないでしょうか?

まともな 顔をして 信徒も 多く 社会から 認められていますが 実は 御心 から 遠く 裁きの対象に

成っていることを 知らなければ 危険では ないでしょうか?

早く たとえ話の大切さに 気がついて 欲しい と思います。

祈りが答えられないとき

祈りが答えられないのは どうしてか?
という 質問を 聞くことがあります。
★たいていは 答えを聞く前に 他の事を 自分で考えたり 人の意見や 知識人の 言うことを 聞いてしまうのです。 答えを 待つ と言う行為 が 必要ではないでしょうか?

ビリーグラハムの人生相談という本がありますが カウンセリングは ある程度 最初のレベルでは必要かもしれませんが 無くてはならないものでは ありません★の原因を作ってしまいます。
祈りの答えを求めたなら 答えを待つべきで相手が牧師であろうが 人の話を効くべきではありません。

又人が考える 成功と 神様の 与えられる 成功 とは 正反対 のような 気がします。
就職できない とか 商売が 失敗するとか 上記 した 方法を 取っていませんか?
私の経験では ほとんどが それです。

但し 神の道を 行くのは 狭き門です 最後まで うまくいかず 最後に 主の道を 選んだもの だけが
得られるように 訓練されているのだと 思います。どうして そのような 境遇にいるのか?
上記★のように して得られた結果が 自分の境遇であれば 何の心配もいりません

次に 祈りの答えを感じ取るアンテナが ありますか このアンテナは 皆さんお持ちのはずですが
この世の わずらわしさ や ほかの事 神の性質ではないもの テレビの ドラマや金儲け
などに 気が行っていると アンテナが鈍感になっています。又肉の欲の生活をしていると 答えられない時も あるでしょう   茨の中に まかれた 種 と言うべきでしょうか?

ほとんどが これで 解決できるはずです しかしそれでも解決できないのは 
主客 があり 私たちは 客なので 逆転は出来ません↓聖句参照

 思いを尽くし 心を尽くし 力を尽くし 主なるあなたの神を 愛せよ とありますが 愛されよ とは ありません 受けるだけの 信仰ではなく 
(砂の上に家を建てる)岩の上 に家を建てなければ 主との 交わりは うまく行きません。


イザ 29:16 あなたがたは転倒して考えている。陶器師は粘土と同じものに思われるだろうか。造られた物はそれを造った者について、「彼はわたしを造らなかった」と言い、形造られた物は形造った者について、「彼は知恵がない」と言うことができようか

偽預言者

エレミヤ

23:15 それゆえ、万軍の【主】は、預言者たちについて、こう仰せられる。「見よ。わたしは彼らに、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。汚れがエルサレムの預言者たちから出て、この全土に広がったからだ。」
23:16 万軍の【主】はこう仰せられる。「あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞くな。彼らはあなたがたをむなしいものにしようとしている。【主】の口からではなく、自分の心の幻を語っている。
23:17 彼らは、わたしを侮る者に向かって、『【主】はあなたがたに平安があると告げられた』としきりに言っており、また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって、『あなたがたにはわざわいが来ない』と言っている。」
23:18 いったいだれが、【主】の会議に連なり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。
23:19 見よ。【主】の暴風、──憤り。──うずを巻く暴風が起こり、悪者の頭上にうずを巻く。
23:20 【主】の怒りは、御心の思うところを行って、成し遂げるまで
去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを明らかに悟ろう。

艱難前携挙説 や セカンドチャンス論 など もしくは 一度キリストを信じると 必ず 天国 だ と言うような キリスト教会に蔓延している教理 など まさに この み言葉 どうり である。

彼らの 偽善的な人受け のよい 言葉は まさに そのとおり この聖句 に あてはまるのでは!

ビリーグラハム万歳!!

私は洗礼を受けてから 最初の2年ほど たばこもやめ 伝導 したり 身なりなどにも 気を遣ってきました。又その様に努力してきました 周りのクリスチャンの方も その様な態度を 好感を持って 受け入れていただけました

 しかし あることを きっかけに 自分がいままで 築いてきた いわゆる クリスチャンキャラ を 演じられなく なってきました 生活が乱れ とても 自分がクリスチャンで あることを罪に 思う 時もありました。 それまで ある程度の行いをして それを 習慣にし クリスチャンらしく 振る舞おう と していました。

それがいかに 上辺だけの事で何の問題の解決が出来るわけでもなく むなしく 感じるだけの 毎日でした。つまり福音化していたと言うことです。今のキリスト教会がやっていることと 同じです。

その時から 自分をさらけ出し 主に 向き合うようにし 解決するように 自分の信仰生活を 変えました。 一進1退でしたが ようやく 自分らしさを 取り戻し 落ち着いた 信仰を持てるようになりました 身なりや習慣ではなく 無理をせず 自分の目で確かめ 理解をするように なりました。

 洗礼前 は喫煙や飲酒などもしていましたが 真実に主を求め 自分をさらけ出していたので キリストの救いに預かれるように なったのだ と 思います。

しかし 洗礼後は 自分を正当化し(福音化) その様に 振る舞うことを よし としました つまり 人受けの良い 方を選んだのが まちがいだったのでは と 思う様に なりました。

もともと育ちの悪いわたしが 品良く振る舞うことが キリストの現れなのでしょうか?品性というのは にじみ出るもの その人自身を現すのであり 

それを作り演技することほど 品性の下劣な事は ないでしょうか。

今 キリスト教会には 福音化 と いい 日本の大教会 や有名なビリーグラハム をはじめ この ように らしく 振る舞う 事を 手法として 成長を しています。

しかし これらは 福音と似ているが 似つかぬ ものであり 下劣な キリストの品性からは ほど遠い者であります。 

羊と山羊のように

よく似ているが 異なる者 こうした 教理には 警戒すべきです。

ビリーグラハムの 人生相談 という 本を 読みましたが 彼が 述べたいことは 福音化 そのもので あります。


何が本当か解らなくなる時代 福音化 と 福音

教会で聞かされている 聖書的ではない メッセージ このサイトにも 沢山「書いていますが 全く きずかれない 方も多いようですが 
以下の聖句を見てください。



2:16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


3:1 さて、神である【主】が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。
蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」


ルカ
4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」

最初に主が言われたのは
 
あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。

です しかしサタンが エバ に言ってきたのは 
あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。

言い方と 意味を変えて わかりにくく 混同しやすい方法で 問いかけてきています。


次にイエスにサタンが問いかけたのは 

あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい

イエスが答えられたのは

人はパンだけで生きるのではない

本来聖書では パンの事を 生きた神の言葉としています。

 しかしながら サタンは 食べるパンとして 空腹なイエスに 問いかけを しています。

そこで 答えられたのは 食べるパンではなく 神の言葉により 人は生きるのだ と答えられました。

このように 大変ややっこしい 方法や言葉を言い換えたり して 攻撃されます。

私たちが よく 耳にする 福音化 という言葉 のなかにも 福音 とは 違う性質 のものが ある事

を知るべきです。 福音と福音化とは よく似ているが 違うもの も があります。

日本で 大教会の牧師さん やら 有名なアメリカ人牧師 などにも その兆候が見られます。

本来なら 福音化は されるもの であり する者では ありません。


終末の惑わし


第二テモテ4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

この御言葉をさす者は何か、レフトビハインド 艱難前携挙 セカンドチャンス などである
これっらの話は キリスト教徒に油断を与える惑わしである。
日本で一番大きい教会 大和カルバリーチャペルの大川氏 はセカンドチャンス論を唱えておられるが
この様に 日本人の先祖崇拝に配慮すれば キリスト教を信じるものが増えると思っておられるのでしょうが
この様な信仰を持って救われても キリストとは何の関係もありません。

社会的な努力をして 成長したとしても聖書の真実が無ければ 無意味であります。

福音化という偽り

コロサイ 2:8 だれもあなたがたを、1哲学とむなしいだましごとによって、とりことして奪い去ることのないように、気をつけなさい.それは人々の2伝統にしたがい、3この世の初歩的教えにしたがうものであって、4キリストにしたがってはいないのです.

ここでは キリストに従うことと この世の習慣や哲学に従うことは 違う物で あると述べています。 この世の人達に 受け入れられようと思えば それなりのつきあいが 必要ですが あえて それを避ければ 仲間はずれにされるでしょう
しかし その十字架を背負うことこそ 主の喜ばれることであります。

教会でも 信徒を得るため セカンドチャンス論 など 非聖書的な 教えが普通に行われています。 惑わされず 何が真実かを 見極める必要が あるのです。

福音化という言葉をご存じでしょうか?
ビリーグラハム が良く使うし 日本でも 良く効く言葉です。

貴方が教会に行けば 笑顔で迎え入れてくれます しかしながら それは 偽善かもしれません 結婚式をキリスト教でやれば 少しは伝道になるかもしれません
しかしながら それで 御言葉を聞き キリストのご意志と関わりがあるかと言えば
全くありません。

人前で食事の祈りをして それが 証になると 思っているのでしょうか?
主に対する祈りでなければ 意味がありません。

この様な行為を神を現す行為とは とうてい思えません。
福音の本質がない 福音化は 偽りと 偽善に満ちています。

コロサイ2:20 1もしあなたがたがキリストと共に2死んで、3この世の初歩的教えから離れたのなら、なぜこの世に生きているかのように、あなたがた自身を規定に従わせるのですか? すなわち、 2:21 1手に取るな、味わうな、触れるな、 2:22 そのようなものはすべて、2使えば1朽ち果てるものであり、人の戒めと教えによるものです。

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