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スミルナにある教会

黙示2:8 スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。 2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。 2:10 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。 2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。
スミルナ は現在は イズミル とよばれる 地中海に面した 町である。紀元前600年に破壊されて 前100年ごろから ローマの支配下にあった。

あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)

天から与えられるものは すでに用意されています。それらは モノ だけではなく 天に積む

宝のことを指しています。


2:10ここでは ユダヤ人のからの 迫害のことを 指しています。

迫害を恐れず 命に代えても 信仰を 守れと 言っています。そうすれば 命の冠 主の栄光に預かる

といっています。

第二の死は後ほど2:14参照


黙示2エペソにある教会

黙示2:1エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。 2:2わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。 2:3あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。 2:4しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 2:5そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。 2:6しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。 2:7耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。
エフェソは東地中海 の大都市で 異教が盛んな所でしたが パウロが3年滞在し 熱心なクリスチャンを生み出しました しかしながら ニコライ派 という 偶像の肉を食べたり バラクがバラムを惑わしたように 惑わせる 異端だったのです。

惑わしは 今や巧妙になってきています。本当に聖書を読み 御言葉を しらなければ 陥ってしまいま

す。今や 警告する人たちでさえ おかしくなっています。

一つずつ書いても きりが無いので 聖書を 読み読む事を お勧めします。


2:4しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 2:5そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。

最初にクリスチャンになった 時はどうだったでしょうか?

どこから 惑わしをうけて おかしくなったのか よく 見極め 何度もよく読み 聖書に立ち返りましょう。

勝利者には 命の木 の 実 に預かる 約束が あります。

とくに 実 と 言っていますので 最終段階の結果といえます。


黙示録について

黙示1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。 1:2 ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。 1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

1:4 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、

1:5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、
1:6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
1:9 あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

1:10 ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。
1:11 その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

1:12 そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。

1:13 それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。
1:14 そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。
1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。
1:16 その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

1:17 わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、
1:18 また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。
1:19 そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。

1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

朗読は 礼拝などで される 又 多くの人に公言 するという 意味もあるのでしょうか

黙示録を通して 守るべきことは 不思議さのあまり あまり 目に付かないが あります。



1:4 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、

7つの教会  教会の数字として 7が当てられて いることも 重要です。最期の節に書いてあります。↓


1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。


1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
歓迎されるべき再臨が 多くの人にとっては 良くない事の様に書かれています。
この地を愛する人たちにとって 神の儀 と 言うの は 不都合な ものなのです。


1:11 その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

守るべきことと 朗読すべきこと

1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。
奥義であることに注目 この7に関する奥義が 聖書全体を通して 一つのキーポイントになります。

喩え話の意味 ルカ17

ルカ
17:27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎ

食うのは神の言葉のパン 麦  飲むのは 聖霊 血 水 ぶどう酒  

めとるは 婚姻関係 偶像崇拝は姦淫と言われるように 霊的交わりをさす。

などしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

17:28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り
あがないをさす

植え、建てなどしていた

奉仕の仕事 や教会を建て上げること

17:29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
17:30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

17:31 その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。

建物は教会をさすので 屋上は 教会の屋上をさす

持ち物は大事なもの 教会で収入を得ているような事をさす

畑は奉仕の仕事である 種をまき 育て 刈り入れるのです。

17:32 ロトの妻のことを思い出しなさい。
17:33 自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。
17:34 あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
17:35 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。〔
17:36 ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。

17:37 弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

教会はキリストの体をさす 死体とは キリストの存在しない 教会を指す。

時間のある方は これらの 言葉を パソコンで 聖書検索してみてください
どのような 意味を 持つ言葉か わかります。

混血とエキュメニカル運動

ネヘミヤ 13:1 その日モーセの書を読んで民に聞かせたが、その中にアンモンびと、およびモアブびとは、いつまでも神の会に、はいってはならないとしるされているのを見いだした。 13:2 これは彼らがかつて、パンと水をもってイスラエルの人々を迎えず、かえってこれをのろわせるためにバラムを雇ったからである。しかしわれわれの神はそののろいを変えて祝福とされた。 13:3 人々はこの律法を聞いた時、混血の民をことごとくイスラエルから分け離した。

13:23 そのころまた、わたしはアシドド、アンモン、モアブの女をめとったユダヤ人を見た。
13:24 彼らの子供の半分はアシドドの言葉を語って、ユダヤの言葉を語ることができず、おのおのその母親の出た民の言葉を語った。
13:25 わたしは彼らを責め、またののしり、そのうちの数人を撃って、その毛を抜き、神の名をさして誓わせて言った、「あなたがたは彼らのむすこに自分の娘を与えてはならない。またあなたがたのむすこ、またはあなたがた自身のために彼らの娘をめとってはならない。
13:26 イスラエルの王ソロモンはこれらのことによって罪を犯したではないか。彼のような王は多くの国民のうちにもなく、神に愛せられた者である。神は彼をイスラエル全国の王とせられた。ところが異邦の女たちは彼に罪を犯させた。
13:27 それゆえあなたがたが異邦の女をめとり、このすべての大いなる悪を行って、われわれの神に罪を犯すのを、われわれは聞き流しにしておけようか」。
13:28 大祭司エリアシブの子ヨイアダのひとりの子はホロニびとサンバラテの婿であったので、わたしは彼をわたしのところから追い出した。

混血とは 何でしょうか血のことである。

血とは 何でしょうか? 霊的なものを さします。 すなわち純潔 神の民に
 神以外の 霊を 持つものが混ざること すなわち 偶像礼拝 汚れ をさします

又混血は婚姻関係が無くては 生まれません。  

「あなたがたは彼らのむすこに自分の娘を与えてはならない。またあなたがたのむすこ、またはあなたがた自身のために彼らの娘をめとってはならない。
異邦人との婚姻により 神以外の霊が 宿ることを さしていると いえます。

ですから 

13:3 人々はこの律法を聞いた時、混血の民をことごとくイスラエルから分け離した。

とあります。

ですから 純潔な 信仰を 守りなさい と 言う事です。

エキュメニカル運動 宗教の垣根を越えて 交流しましょう という運動がありますが。

ローマ法王 マザーテレサ ビリーグラハム などが 提唱するものは

まさに このような 汚れた 霊と 交わることであり 

人からは 賞賛されても 神から すれば 汚れであ

り 罪で あります。他の霊と交わること と はっきり 聖別されるべきであります。

又この ことは 新約に出てくる 嫁ぐ めとる に関係が あります。

マタイ 24:38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

正常な婚宴なら 何の問題も無いが ここでは おろかな 者として 書かれている ので このような
混血を生む 婚宴 が 行われている という ことであろう。
又 飲み食いは 霊的な 食物(パン麦) 神の言葉 教会での 霊的飲み物 聖霊(水ぶどう酒)をさすので

これらのことは 教会が行っている 事 と 読み取れますので  信じがたいですが

ここでは 教会が救いに預かれないことを さしています。

洪水が来る前に 目を覚まし ていましょう  あなたたちの 命に かかわる ことだからです。


救いのヒントは 


24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
24:17 屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
24:18 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
24:19 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。

家とは なんでしょうか 砂の上 岩の上?

 後に戻るな は どこを 指すのでしょうか?


ダビデの人口調査

サムエル下 24:1 主は再びイスラエルに向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、「行ってイスラエルとユダとを数えよ」と言われた。 24:2 そこで王はヨアブおよびヨアブと共にいる軍の長たちに言った、「イスラエルのすべての部族のうちを、ダンからベエルシバまで行き巡って民を数え、わたしに民の数を知らせなさい」。 24:3 ヨアブは王に言った、「どうぞあなたの神、主が、民を今よりも百倍に増してくださいますように。そして王、わが主がまのあたり、それを見られますように。しかし王、わが主は何ゆえにこの事を喜ばれるのですか」。 24:4 しかし王の言葉がヨアブと軍の長たちとに勝ったので、ヨアブと軍の長たちとは王の前を退き、イスラエルの民を数えるために出て行った。 24:5 彼らはヨルダンを渡り、アロエルから、すなわち谷の中にある町から始めて、ガドに向かい、ヤゼルに進んだ。 24:6 それからギレアデに行き、またヘテびとの地にあるカデシに行き、それからダンに至り、ダンからシドンにまわり、 24:7 またツロの要害に行き、ヒビびと、およびカナンびとのすべての町に行き、ユダのネゲブに出てベエルシバへ行った。 24:8 こうして彼らは国をあまねく行き巡って、九か月と二十日を経てエルサレムにきた。 24:9 そしてヨアブは民の総数を王に告げた。すなわちイスラエルには、つるぎを抜く勇士たちが八十万あった。ただしユダの人々は五十万であった。 24:10 しかしダビデは民を数えた後、心に責められた。そこでダビデは主に言った、「わたしはこれをおこなって大きな罪を犯しました。しかし主よ、今どうぞしもべの罪を取り去ってください。わたしはひじょうに愚かなことをいたしました」。


人口調査の何がいけないのか 一見解りにくいですが  人間的に人の間に埋もれていると 主の領域に立ち入ってしまう ことがあります。

主の計画を問わずに 自分の持ち物を把握し 計画をたて 実行してゆきます。
教会で言えば 献金が どれだけ 集まれば どこそこに 支部を 作ろう などと よく言います。

しかしながら 本来 教会を立て 人を集めるのは 主の 仕事 であり それに沿い 計画を 立てるべきなのです。 託宣 を 立てるべきででは ないでしょうか。

主の語りかけに従い 自分の行いや計画を 優先すべきでは ありません

暗闇に 火をともし 燃え尽きれば 倒れます しかし 主の火 聖霊 の火 を ともして 歩けば
不安は ありません

御言葉は剣

御言葉は諸刃の剣と聖書には書いてあります。
御言葉は威力があり 人を切り倒してしまう ほど 破壊力があります。

最近セクハラ牧師やら レイプ牧師 詐欺牧師など とても 考えられないような 人たちに対して
警告の意味をこめ 取り除くのは まだ 意味がある というか その様な人には かかわってはいけない

しかしながら 巻き添えを 食っている 人たちも 多くいる 関わりがあったり するのは 避けられないときもあれば その様な極悪人かさえ わからない 時も 多々あるはずです。全くの誤解であるケースすらある。又主の前に罪を犯していても 人の前には良き人に見えることも ある。又その逆おある。

このような 人たちを ばっさり と やってしまうのは イササカ 問題であると 思う。

サムエル下 19:5 時にヨアブは家にはいり、王のもとにきて言った、「あなたは、きょう、あなたの命と、あなたのむすこ娘たちの命、およびあなたの妻たちの命と、めかけたちの命を救ったすべての家来の顔をはずかしめられました。 19:6 それはあなたが自分を憎む者を愛し、自分を愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、軍の長たちをも、しもべたちをも顧みないことを示されました。きょう、わたしは知りました。もし、アブサロムが生きていて、われわれが皆きょう死んでいたら、あなたの目にかなったでしょう。

歴代
2:32 主はまたヨアブが血を流した行為を、彼自身のこうべに報いられるであろう。これは彼が自分よりも正しいすぐれたふたりの人、すなわちイスラエルの軍の長ネルの子アブネルと、ユダの軍の長エテルの子アマサを、つるぎをもって撃ち殺し、わたしの父ダビデのあずかり知らない事をしたからである。
2:33 それゆえ、彼らの血は永遠にヨアブのこうべと、その子孫のこうべに帰すであろう。しかしダビデと、その子孫と、その家と、その位とには、主から賜わる平安が永久にあるであろう」。

こればかりか サウル も そうである 要するに 油注がれたもの は 神が裁かれる ということである
非難ぐらいは 出るかもしれないし 警告の意味もあるが 止めを刺すのは 神の領域であるから 立ち入っては ならない。

ヨアブはたくさんの 血を 流している

止めを さすのは やめるべき です。

使途信条 の 矛盾 ポンテオピラト 手を洗う

21:6 そしてその殺された者のある所に最も近い町の長老たちは皆、彼らが谷でくびを折った雌牛の上で手を洗い、 21:7 証言して言わなければならない、『われわれの手はこの血を流さず、われわれの目もそれを見なかった。 21:8 主よ、あなたがあがなわれた民イスラエルをおゆるしください。罪のない者の血を流したとがを、あなたの民イスラエルのうちにとどめないでください。そして血を流したとがをおゆるしください』。

27:24 ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
27:25 すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

2つの聖句 を比べてみると手を洗うことの 意味がよくわかる なので 使途心信条 で ポンテオピラトにより 十字架の上で苦しみを 受け は不自然で では ないでしょうか?ポンテオピラトは何もしていない それどころか 

この人の血について、わたしには責任がない といったのである  の血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい と言っている。 だから 明らかに ユダヤ人 が十字架につけたと言うのが
本当であろう

使途信条を 認めなければ キリスト教徒 ではない と 権力筋は言うであろうが それで結構
偽キリスト教徒になる必要など ないのです。

手を洗うことの 意味は この罪は 自分と関係ないという意味です。

パン 麦 の意味

【新改訳改訂第3版】 アモ 8:4 聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地の悩む者たちを絶やす者よ

8:5 あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。
8:6 弱い者を金で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」
8:7 【主】はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない

8:11 見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、【主】のことばを聞くことのききんである

これは 何を表すか?おそらく  

私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したい

穀物 麦は パンなどは 神の言葉を指す。8:11で 証明済みである

ですから ここでは 御言葉を 不当な 偽りの 秤にかけ  重荷を 信徒に 負わせている 
と書いてあるのである。

偽りの教会のことである。御言葉を 正しく教えず 自分たちの利益のため 捻じ曲げて いるのです。

信徒に 献金をせよ セルチャーチシステムで 他の信徒を 監視せよ  偽予言 第三の波 

ベビーヒム 艱難前携挙 セカンドチャンス など例を あげれば きりが無い

まともでない 見言葉を 撒き散らし 自分たちの 利益や名誉のために 信徒を 利用しているのである


穀物を 不当な値段で 売るなと アモスを とおして 主は 語られるのである。

みなさん 不当な値段で 穀物は買わないでください。

まともな お店で 正規 の値段で 買いましょう

大阪でも  御言葉 だけは 値切らないでください!


8:10 あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。


ひとり子を失ったときの喪のようにし

は一人子 イエスを 失った 神の 気持ち の様に なるということです
人間に耐えられる 悲しみでは ないのでは と思います

警告を 聞きましょう

ペテロ 3回

21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」 21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

イエス様は3回ペテロにお尋ねになった
これは 推測ですが おそらくペテロが 3回知らないと言ったからではないでしょうか。
おそらく 主があなたに 何度も 同じ事をお尋ねになることが あれば 気にしているのも 良いのでしょうか?三回という意味は 念を押して確かめる と言う意味があるのかもしれない
1回目で 普通に答えて 2回目で 確認し 3回目で 念を押す 
という意味で3回なのでは と思う

自分の思っていることが なかなか うまくいかなかったり  忍耐が必要なとき 3回  念を押すまで
確認してみるの が 必要 と語られています・

小さな群れよ。恐れることはない。

12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。 12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』 12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』


12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。
12:32 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

ここでは 人が「多く集まるとか 経済的に豊かに 成ることをよしとしていません。
むしろ 真実を 貫くと お金も 儲からず のけ者にされること が多いようです。

私も今まで 儲かりそうな 話を 何度かいただきましたが 御心ではないと思いましたので
断りました 真実を貫けば この世から は見放され さびしい 思いをします。
そういう ところには あまり 人は 寄ってきません。

しかし キリストと共に 儀の十字架を背負うものは 真実の祝福を得ます。

この様な世の富に 惑わされず 神の国を求めましょう

重婚問題や 牧師の淫乱行為 リバイバルを 唱える 大教会 ペンテコステ派に 多いです

気をつけてください

バルイエス

使徒行伝 / 13章 6節 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。


バルイエスと言う言葉を ご存知でしょうか 直訳すると イエスは主と言う意味である 

今も 教会 はイエスは主といっているのです ですから その中でも すべてが イエスを主としているのかと言えば そうではありません 奇跡を 強調し 聖霊といいながら 濃い酒に酔う クリスチャンが多いことは 知って いなければ 成りません 。

彼らは 重婚問題 離婚問題 わいせつ罪 など 様々な 罪を 犯しています
隠していますが 今や 多くの人が知る 事実と なってしまいました。

彼らにだまされないように するには 聖書を よく読むことです。
彼らは御言葉 にそぐわない事を 言いますから よく 吟味しなければ なりません。

又この様な信仰を持つ人たちは注意が必要です

早く 離れるべきです

あなたにショックを与える証拠とビデオクリップ。この記事はオーストラリアの兄弟により、なされた真面目なものである。彼はケネスクープランド、ロドニーハワードブラウン、及び他の有名な説教者が実際は牧師のふりをしたサタニストであるとの証拠を示している。この証拠とは、彼ら自身のの唇から出た異言をよく分析した時、サタンを呼び、讃美していることが判明したのである。私はこのビデオテープを聞き、見て、これらの以下の報告はみな真実であると申し上げる。彼らが多くの(クリスチャン)聴衆の前でサタンを讃美する方法とは、彼らの異言の中に讃美を混ぜるという方法である。多くの人々にとっては、信じられないことであろうが、しかし、私たちはこのビデオを見た上でのみ正確な判断が下せるであろう



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