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第三の波 後の雨運動の再来か? Archive

アセンションと二段階携挙説

ケイキョ に関しては 先に述べたように テサロニケにあるように キリストの再臨の時  に 行われる
再臨が2度 ケイキョが艱難前にあると いうのは 話がおかしい つじつまが合わず まともな 神学者 が このような ミス解釈をするとは 考えにくい 最近アセンションという 言葉 次元上昇 として 使われる   Ascension
は島の名前でしか 知られていないが アセンという 言葉の意味は 上るといういみである ラテン系では エレベーター を アスッチェンソーレ ともいう 上昇を表している どうやら 出所は 聖書から きているような 臭いがしてならない  このような トンデモ 話を 考え流布させ ている 存在 を強く 感じさせる

このような 根拠のない話に 乗せられている キリスト教会第三の波 は走りゴマ として 利用されているのである このサイトで 説明している ような 指導者は だまされている ことに 早く 築くべきで あります。
また クリスチャンも このような 滅びにいたる 教会や指導者に かかわると 永遠の命を 失い 神の怒りに触れることで あろう 自分の命を守るため 早く 逃れるべきである。

気がついている人も 多いとは 思いますが 速やかに行動すべき と 思います すぐに離れてください
 
時間がなさそうです。

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お●●みの● 牧師について

関西で第三の波を推奨している 牧師について 
ネットで メッセージを配信しているので 内容を確認してみました。

あまりにも事実とかけ離れた話が多いので 驚きました

彼の話によると インドネシアは キリスト教国で イスラムは総崩れで キリスト教になったそうだ。しかし 事実は以下のようでインドネシアは 世界最大のイスラム国です
話を誇張し事実でないことを語るのは 詭弁という他はない。

最新の統計(ブリタニカ国際年鑑2007年版)によると、イスラム教76.5%、キリスト教13.1%(プロテスタント5.7%、独立教会4.0%、カトリック2.7%、他)、ヒンドゥー教 3.4%、伝統信仰2.5%、無宗教1.9%、その他 2.6%となっている。
イスラム教徒の人口は、1億7000万人を超え、世界最大のイスラーム教徒(ムスリム)人口を抱える国となっている

又ある日本人はいきなり 雷にうたれたように なり 怖さのあまり イエス様を信じるように なった といっています
 福音の重要な所は イエスを救い主として
受け入れる事 十字架の 意味を理解してこそ クリスチャンといえるのであり
雷に打たれたような体験 により 怖さのあまり キリストを信じるというのは
体験主義でそれも恐怖の故というのは どうでしょうか。 これで クリスチャンというのは とても 危険であり この様なことで キリストを信じると見なすことは オカルト的であり 神どころか 悪魔的であると言えます。とても 危険で歴史を通じて このような 事は かつて あったでしょうか
目をさまし この様な 非聖書的なことが まかり通るのでしょうか。

彼等の聖霊に関する 議論の 差し替える 手口
日本の教会は 聖霊を受け入れるかどうか が リバイバルの鍵であるそうですが
私の知る限り 日本の教会で 聖霊を否定するような 教会など なく
トロントブレッシング のような 悪魔の働きを 受け入れなければ ならない というような 話はとんでも 無いことであります。


彼の証の中心 明らかに彼のメッセージの中には 金持ちだの 美人だの 肉的な価値を 大事としているのを 読み取れます。又キリストの話が中心ではなく悪霊の話などが 多い彼のいう福音とは 体験的なものが多く み言葉がほとんどない み言葉に関する理解や説明がほとんどない。

彼の関与する アン●●ケア神学校に行ったことがありますが 寄生をを上げ
うめき声 狂ったような仕草 とても 神の神聖 などなく 悪魔の沙汰であります
この様な危険な 信仰宗教 には くれぐれも 注意が必要です。

ビリーグラハム

この ビデオの中で ビリーグラハム が言っているのは エキュメニカル といい どんな 宗教 のひとでも キリストを知らないひとでも 救われ天国にいける と彼は いっています。 
しかし聖書には 


ヨハネ
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

この聖句は クリスチャンならずとも キリスト教文化の 国の人 なら だれでも 知っています。しかし 彼は クリスチャンでなくとも 他の宗教でも 救われると いっています。

クリスチャンの 皆さんは 御言葉 を 信じますか?
それとも 人 を信じますか?こういうと 多くの 聖書を知らない人から 賛同を得るため にいっていると 思われます
聖書では  
マタイ

16:23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている

イエスは サタン と さえ いっています。すなわち 悪霊の働き であると はっきり いっています。

世の キリスト教会は 彼のおかしな 言動 フリーメイソンである との 疑いがある中 彼を 否定すると 異端視 され 相手に されなく なるので わかっていても なにも いえません。
又盲目で そのこと が わからない 教会 ミニストリー にかかわる 人たち も サタンの 手下に なったのでしょうか。


フィジーリバイバルの V牧師  とクリスチャンビジネスマンの会

これは 私の 身の回りで起こった出来事なので 真実です 最初は 自分は本当にこんなことが あって いいのか リバイバルで有名な牧師が本当か と 思いましたが 事実は 事実なので 書くことにします 2005年に舞子に きたとき ある家族に
水と油と塩を混ぜて 家族で2週間祈れば なにか あなたたちを 新たに導く
 ことが 起こる と いいました それをそのまま 実行したこの家族に 2週間後に起こったのは この家族に関わっていた 知人の殺人事件と 近くの教会の 牧師婦人が持ってきたのは うさんくさい マルチ商法 ビジネスでした 

水と火と油を混ぜて 祈る のは 土着信仰で オカルト まがいと 思いますが
彼等は 誤解だといい (私は何の誤解か 未だに説明していただいていない )
V牧師  と クリスチャンビジネスマンの会 でトランスフォーメーションを 推奨しています。


黙示 22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

見事に まじないでもあり 殺人事件も起こっているし 偽りをも 好んでいる
黙示録の示す とおりであります。

注 この件につきまして まじない を 推奨したのは V氏で間違いないと思いますが 間違いであればお知らせください。彼でないにしても V氏 は奇跡を重んじる 体験型信仰 を強調していると おもいます。

エレミア氏のメルマガが 的を 射ていると おもいますので 
参考にしてください


NO.514たのみとする武具を奪い

”テキスト:ルカ11:
14 イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、
おしがものを言い始めたので、 群衆は驚いた。
15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊ど
もを追い出しているのだ。」と言 う者もいた。
16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。

17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪も
めしたら荒れすたれ、家にして も、内輪で争えばつぶれます。
18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くこ
とができましょう。それなのにあ なたがたは、わたしがベルゼブル
によって悪霊どもを追い出していると言います。
19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あ
なたがたの仲間は、だれによって 追い出すのですか。だから、
あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。
20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の
国はあなたがたに来ているので す。
21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全
です。
22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武
具を奪い、分捕り品を分けます。
23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない
者は散らす者です。”
====================================================================

本日は「たのみとする武具を奪い」という題でメッセージしたいと思います。

ルカ伝の記述から、「たのみとする武具を奪う」という記述の意味合いを見た
いと思います。 テキストに沿って見ていきます。

”14 イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行く
と、おしがものを言い始めたの で、群衆は驚いた。”

イエスは悪霊を追い出しました。それは尊い奉仕であり、
悪霊につかれた人は解放され、おしはものを言うことができるようになりまし
た。

”15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊
どもを追い出しているのだ。」と 言う者もいた。”

しかし思いもよらない非難がイエスに向かっていわれました。それは、
このイエスは、悪霊のかしら、ベルゼブルによって、悪霊どもを追い出してい
るという非難です。
ベルゼブルは蠅の王という名の悪霊です。
これはとんでもない冒涜であり、非難なのですが、しかし、事実、神の子であ
るイエスに向かって その様な非難がなされたのです。
このことは歴史的な事実であり、また預言的な意味合いがあります。
何をいっているのかというと、終わりの時にも主の聖霊を受ける人々が悪霊呼
ばわりされることが起きると思わ れるからです。


16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。”

イエスを信じない人々は、それが神から来たことを証明するべく、「しるし」
を要求しました。

しかし、それに応じてイエスが何らかのしるしを行ったとは書かれていません。

逆にこの姦淫の時代はしるしを求める、しかしその時代に対して、「ヨナのし
るし」の他は与えられないことを イエスは他の箇所で語ります。

ですから、終末においてもしるしに対して原則は同じであることを知りましょ
う。
今は悪い姦淫の時代であり、惑わされたクリスチャンは、カリスマ、ペンテコ
ステ派を始めとして、 「しるしと不思議」に傾倒しています。金粉が舞った、
歯が金歯になった、すばらしいというわけです。
これは、何か?聖書的にいうなら何と理解すべきなのか?聖書的にいうなら、
これは、 キリスト教会が「悪い姦淫の時代」に入ったことを語ります。

ピーターワグナーによれば、今の時代、もっとも信者を増や
しているのは、ペンテコステ系の
教会だということです。このことを聖書的にいうなら、「しるしと不思議偏重
系の教会」がもっとも 伸びている、すなわち、悪い姦淫の時代に入っ
たということでしょうか。

かつての日、イエスに対して「天からのしるしを求める者」がいました。同じ
ことが 終末の日にもイエスの弟子に対して行われるでしょう。

「お前らが本物なら、しるしを見せろ」というわけです。
しかし、この様な方法、要求は決して聖書の方法でもイエスの方法でもないこ
とだけは 覚えておきましょう。

逆に 悪霊のリバイバリスト、ベニーヒンなどが、ユダヤカバラの魔法か、練金術み
たいなしるしと不思議を 行うようになりますが、これは、マタイ伝で
いう「偽預言者がしるしとを行う」と記されたことの
成就です。しかし、聖書も知らず、神も知らない阿呆たれヘンテコ信者は、そ
んなしるしに引かれ、 悪霊の海に巻き込まれていきます。

彼らに真理を知らすべき牧師は同じくあほたれとなり、どぶ水みたいなものを
ガブ飲みしています。

キリスト教会の新聞も雑誌も
同じ様に盲人系、目の御不自由な方系となり、悪霊と聖霊の区別もつかないよ
うになっていきます。

”17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪
もめしたら荒れすたれ、家にして も、内輪で争えばつぶれます。”

ここで何故、どの様にして国がつぶれるのかということに関して書かれていま
す。 それは、内紛、内輪もめによるのであり、内紛で国がつぶれることが書かれて
います。

さて、それはサタンの国に関して書かれているようですが、しかし隠れた意味
合いがあります。 それは、今の世界の最大の国、20億人もの
人口を擁する大国、世界大のキリスト教会の
内紛そしてその結果による崩壊について書かれています。

”18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行く
ことができましょう。それなのに あなたがたは、わたしがベルゼブル
によって悪霊どもを追い出していると言います。”

さて、その起こらんとするキリスト教会の内紛、崩壊は何を契機に起きるので
しょう?

ここにそのヒントが書かれているという風に読めます。それは、
イエスの霊、聖霊を悪霊呼ばわり、ベルゼブル呼ばわりすることをきっかけと
して起きることが想像できます。


”19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、
あなたがたの仲間は、だれによっ て追い出すのですか。だから、
あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。”

いいかたを変えるなら、この時イエスをベルゼブル扱いにすることにより、内
紛、混乱が、ユダの国、神の治め る国に起きたともいえます。
事実、エルサレムは分裂し、内紛したからです。

一方は神の霊により語り、 他方は、そのイエスをベルゼブル呼ばわりし、
内紛したのです。しかし、 どちらかが間違っていたのは明白です。
そして聖霊を悪霊した人々はいずれ、
裁かれることになります。

その裁きに関して、「だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人と
なるのです。」といわれていま
す。終末の日の神の国、教会の分裂も一方が他方を悪霊、ベルゼブル扱いする
ことにより起きるでしょうが、ど ちらが神の霊により語っているかは
明白となるでしょう。


”20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神
の国はあなたがたに来ているのです。”

ここでは神の国の定義が書かれていると理解できます。神の国とは何か?
聖書でいうその定義は何でしょうか?神の国とは、英語でいうとKingdom of G
od,神が統治する国という意味合い です。

そしてその神が統治する国とは、旧約では、イスラエル、ユダの国、新
約でいうなら、 いわゆる教会をさします。教会こそがこの世において、
唯一神が統治する国だからです。

そして、神の国とは、悪霊を追い出すことと関係します。

このことは、旧約の歴史を考えればわかります。旧約時代、イスラエルの民は
カナンの地に入り、 そこを自分達の相続地、神の国にしました。
しかし、その時、彼らがしなけれ
ばならないことがありました。そ
れは、先住民であるカナンの住民と戦いこれを追い出すことでした。

このことは新約のたとえであり、新約の教会も同じく戦いをし、悪霊を追い出
し、そこを 神の国とするのです。

福音書の中で、イエスが悪霊を追い出す記事が多くあります。ある時は、おし
の悪霊を追い出し、 ある時は、墓場に住む人から悪霊を追い出します。
そのイエスの行いはそのまま、ヨシュア(イエス)を先頭と
した イスラエルのカナン征服になぞらえられます。

イスラエルはカナンの住民を追い出し、領土を獲得しました。イエスは悪霊に
つかれた人から悪霊を 追い出し、その人を神の前に獲得しました。
これは、すなわち、神の国を広げたことであり、
悪霊を追い出すことは、カナン人を追い出すことと重なっているのです。


21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全
です。”

さて、その様にしてカナン人を追い出し、獲得した旧約の神の国、イスラエル
の国は しばらく安泰でした。強い人すなわち、ダビデ、ソロモンなどの
傑出した王により 守られていたからでした。外敵により悩まされることも
ありませんでした。

似た意味合いで、新約の教会もその初期は安泰でした。聖霊の守りがあり、助
けがあったのです。

”22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた
武具を奪い、分捕り品を分けます。”

しかし、その様に安泰だった、旧約の神の国ももっと強い者に破れ、奪われる
日が来ました。

旧約の北イスラエルの王は、強いもの、アッシリアに負け、その住民は捕囚と
なってしまったのです。

同じく南のユダの王は、強いもの、バビロンの王に負け、その住民は捕囚とな
ってしまったのです。

そして歴史は繰り返し、その未来は預言されています。
何をいっているのかというと、新約の神の国である教会も強いものに負け、そ
の住民が 捕囚となっていくということをいっているのです。

このことは現実を見れば成就しており、北の神の国なるカソリックは捕え移さ
れ、 かつての正しい教えを捨て、マリヤ教、偶像崇拝教、法皇教みたいなものにな
ってしまいました。

同じく、プロテスタントも負けており、悪霊のリバイバルが猛威をふるってい
ます。

「彼の頼みにしていた武具を奪い」

さて、このことばの意味合いを考えてみましょう。
武具を奪うとは、たとえば、ダビデ、ゴリアテの戦いを思い出せば、よく理解
できます。

ダビデはゴリアテに向かう時、小石以外武器らしいものを持っていませんでし
た。それで どうやって、ゴリアテの首を切り落としたのかというと、
ゴリアテの刀を使って切ったのです。
すなわち、「彼の頼みにしていた武具を奪い」、それを用いたのです。

ダビデの場合、勇ましいのですが、残念ながら、教会が破れる時、教会が、「
頼みにしていた武具」 が敵に奪われ、悪く用いられる、それを知りましょう。

教会の武具とは何でしょう?

聖書のことば、聖霊のリバイバル、宣教活動、信徒の忠実さ、そんなところで
しょうか。

残念ながら、これら全ての「武具」が敵に奪われ、悪く用いられる、そんな時
が来つつある、 それを知りましょう。

*聖書のことば:
聖書の翻訳やら、その神学、研究は、残念ながら、敵の手に渡され、私達の武
具は 奪われています。KJVは英語圏において、名訳、正確な訳と有名ですが、
最近の聖書訳はこのKJVから大きく逸れています。たとえば、よくきくNIV訳は、

KJVから約6万語もの単語を省きました。それらの中には、重要なことばも数多
いのですが、 すっかり省かれてしまいました。

それに限らず、最近の聖書訳には、おかしな訳が多いです。もちろん、日本の
聖書訳も 同じ道をたどっています。口語訳、新改訳などは、皆英語の底本となる
聖書があり、 それに基づいて訳されているので、要するに英語訳のおかしな
ところがそのまま、 日本語におきかわり、引き継がれています。たとえていえば、
アメリカの狂牛病の肉を日本へ輸入して食べている様なものです。

何故、日本の聖書がそうなっているのか、何でこんなおかしなシステムなのか
を知っている人は 誰もいません。何はともあれ、
残念ながら、私達の武具である、神のことばは敵に奪われています。

*リバイバル:
神の恵みであり、私達の武具であるはずの聖会、リバイバル聖会なども残念な
がら、もう敵の手に あり、武具は奪われています。

トロント、ペンサコーラを起点とするリバイバル聖会は、異言で悪魔的なこと
ばが語られています。すなわ
ち、、
敵のものと変えられました。そんな聖会に集う人は悪霊の水を受けます。
たとえていえば、水源地や井戸が敵の手に渡った様なものです。奪った敵は喜
んで、井戸に毒を 撒き、その毒水を我々に渡しているのですが、
悲しいかな、そんな水を見分けることもできず、
毒水を腹一杯飲み込む愚かな牧師、信徒ばかりです。
悲しいかなこの武器ももう敵の手に渡っています。

*宣教活動
宣教、伝道は、神のことばを伝えることであり、人々を救うことなので、
何の問題があるのかと思う人もいるでしょうが、悲しいかなこのことさえ、
敵の手に渡され、武具は敵の手に渡っています。

クリスチャンの宣教、伝道に関する「本音と建て前」は敵に見すかされ、
教会を崩壊する方法が伝道、宣教の名目で教会内に入り込んでいます。
ビリーグラハム、ビルブライトなどは立派な伝道者という宣伝ではありますが、
彼らが 実際になしていることは、以下の様に教会内への毒麦の持ち込みです。
-カソリックを良いものであるかの様に宣伝し、カソリック異端教理やエキュメ
ニカルを プロテスタントに持ち込む。
ー自由主義神学を持ち込む。

しかし、何しろ、教会員の数さえ、増えれば良いと思う愚かな牧師はこれらの
偽り者を見分けることなく、追随しています。

最近では、ロバートシューラー積極性思考など、聖書的というより、心理学、
魔術に分類されるようなおかしな 教えも宣教、伝道を名目に
教会内に入り込んでいます。

かくのごとく、宣教、伝道さえ、敵の手に渡っています。

「分捕り品を分けます。」

武具を奪われる時、彼我の立場は一転し、敵に分捕り品を取られてしまします。


日本も戦争で負け、火事場泥棒みたいなソ連に北方の島を奪われ、また捕虜と
して人を奪われ、 シベリアで働かされました。負けたら、分捕り者を取られる、
残念ながら、それが敗戦国の宿命なのです

さて、世界一の大国、キリスト教会も敵に負け、結果、分捕り物を取られつつ
あることを 知りましょう。
分捕りものは、多くのクリスチャンであり、多くの人々が敵の霊、悪霊リバイ
バルのとりこになっています。




”23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めな
い者は散らす者です。”

キリストの味方は集めるものであり、散らす者は敵です。ここにある
集めるとのことばは、以下で使われています。

「マタイの福音書 13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきな
さい。収穫の時期になったら、私は 刈る人たちに、まず、毒麦を集め、
焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言い
ましょう。』」

ここを見る限り、集めるとは良い麦を倉に集めることです。ですから、散らす
とは、その反対に良い麦を 集めないことといえると思われます。

さて、まとめますが、かつての日、旧約の神の国、ユダ国の末路は、強い敵、
バビロンに侵入、蹂躙されること でした。結果、分捕り者として、
エルサレムの人々は、遠い地、バビロンへ連
れ去られました。同じことが、終
末の神の国、教会の末路として起きることを理解しましょう。
その日、多くの人々が、分捕り物として、バビロンへ移される、バビロン化す
ることを 知りましょう。

このことは預言されています。しかし、その中でもバビロン化せず、堅くみこ
とばに 立つ人々にみこころがあります。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

チョーヨンギ という人

世界最大のアッセンブリー教会で 会員は役75万人という大変大きな教会です
 私も チョー氏
の本はよく読みましたし 以前に アッセンブリー教団に属しておりましたので
彼らについては よく 知っております。
彼の預言について 色々な話がありますがはっきりと直接把握できていません あたらなかったら特に公表したものは出回らなくなります 特に再臨の預言について
ご存じの方ありましたら教えてください

↓これも第三の波の提唱する 艱難前挙携説二段階再臨説 とほぼ 同じといえます。
聖書から乖離していると言えます。 
⑤天国と再臨の福音

イエス・キリストは空中再臨及び地上再臨されます。主が空中再臨される時、キリストにあって死んだ者と生きている者たちがともに空中で主に見え(Ⅰテサロニケ4:16-17)、その後7年間、子羊の婚宴にあずかります。それから主は地上再臨され、千年王国の後、白い御座の裁きが行われ、私たちは新しい天と新しい地で神と永遠に栄光の内に生きるようになります。

又彼の著書四次元の人 にある ハンカチに案手し そのハンカチを 病人の上に載せると」癒されたという
話がでてくるが 私の記憶では 物に案手したという 話は 聖書の中には見当たらない ハンカチに聖霊がやどる というのは 疑うべきである  私も この系列の教会にいたときは そう思っていたが
よくかんがええてみると 聖書的ではないように 思います。注意が必要です。又聖書をよく読み調べることです 彼らはハンカチだけではなく 物に 案手する のを 見かけます
使徒 19:12 たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。

とあるがハンカチに案手することと と同意であるといえるのでしょうか  やや疑問がのこります

。聖書には 第一テモテ
5:22 軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい
とあります

以下資料
ダビデ・チョー・ヨンギ

世界アセンブリーズ・オブ・ゴッド議長、
セル教会運動の最も有力なリーダーはダビデ・ヨンギ・チョー博士(ヨイド純福音教会、評判によればソウル、韓国に置かれた世界で最も大きい教会の主任牧師)です。会衆は25,000を超える家庭のセルグループによって1997年に750,000人以上を数えました。
チョーは、1981年に出版された「成功した家庭のセルグループ」を含む多くの本の著者です。
チョー博士は、十代の時、仏教からキリスト教に回心し、1958年に、彼はソウルの郊外で礼拝を導きはじめました。
1967年に、セル・システムが導入された時に、それは7,750人の個人から成り、2,267の家族が125個のセルに組織されていました。
教会構成員が10,000人に達した時に、教会はヨイドに再配置されました。
現在のYFGC(ヨイド・フル・ゴスペル教会)の最初の礼拝は1973年8月19日に開始されました。
1976年に、彼の教会成長の原則を共有するために、チョー博士はフォーラムとして教会成長国際(CGI)を設立しました。

1992年の9月に、チョー・ヨンギ牧師は、世界の60ヶ国の間に30,000,000人のメンバーを持つ「世界アセンブリーズ・オブ・ゴッド」として現在知られている「世界ペンテコステ・アセンブリーズ・オブ・ゴッド」の実行委員会の会長に選ばれました。
CGM(セル・グループ運動)における他の関係者のように、チョーの強調は増加(数)でした:
「私達の教会は生きる有機体になりました。家庭のセルグループは生きている細胞(セル)で、彼らは人体の中の細胞のように多くの役目を果たします。生きる有機体の中で、セルは成長し、分裂します。かつて、1つのセルがあった所、それは、2になります。そして、4、そして8、そして16と次々に前に進みます。細胞は単に体に追加されていません;それらは等比数列式に増加させられます」  [65ページ成功した家のセルグループ]

調査員は書きます:
「チョーは、積極的な思考、積極的な話、および積極的な視覚化が成功へのキーであり、誰でも、各自の精神において鮮明なイメージを創出し、それに集中することによって物質的な現実を文字どおりに生み出し、産出することができる、と教えます。チョーは、視覚化が全然ないならば、教会成長は全然ないであろうと主張します。
 彼は、すべての聖職者が、視覚化を持つ必要があるとし、ビジョンの中で人の中のプロセスが何らかの図を通し、夢が奇跡と能力を引き起こすことを強く主張します。
 しかし、この方法は非聖書的であるだけでなく、それは数千年の間シャーマンと魔女診療によって行われ、知られている最も強力なオカルト・テクニックなのです:聖書的な洞察ミニストリーよる

 この記事の目的に関して、韓国の教会について知る上で重要なことは、それが牧師、階層的なリーダーシップ、および伝統的な賛美歌、聖歌隊、およびオーケストラによる毎週の礼拝に出席することを要求する1つの単一教会であり続けていることです。それは「家の教会」のネットワークではなくセルに分割された1つの教会です。
 教会は多くの組織と働きを主催し、チョーは、「純粋なセル」構造を作成するために決して「プログラム」を取り除きませんでした。
 彼の教会はラルフ・ネイバーのモデルよりもむしろカール・ジョージのメタ教会様式に分類されるが、しかし区別はしづらく、この教会はすべての種類の教会成長プログラムを歓迎し、それに関与しています。例えば、セル・ベースの奉仕会議と対照的に、チョーは年間を通しての教会成長コンファレンスを考えています。
 1997年の年間教会成長会議で、リック・ウォレンとビル・ハイベルズ(メタモデル)はラリー・ストックスチルとビリー・ジョードータリ(純粋なセル・モデル)とともに主講師でした。
 オフ・サイト・リンク:「デイビッド・ヨンギ・チョー:一般的な教え&活動」

私は以前この信仰を教えられていましたが
特徴は 御利益宗教であるということです
簡単に 言いますと キリストの教えでは 愛されること 祝福されること などより
他人や神を愛せよというのが 信仰の中心であります
この様に 自分の徳を得ようとすることが 信仰の中心であると することは
聖書とは逆であり シャーマン的な 土台をもつ 危険な信仰といえます。
私はこの信仰を持ち 実際ちがうと 自覚いたしました
又彼は 聞くところによると キリストの再臨の預言をし 外れたとのことです

著書4次元の人にある  ヘブル書のみ言葉の曲解であり自らの希望を イメージとして
持ちつずける とは 聖書的ではありません
又ハンカチに手を置き そのハンカチを 病人にかぶせると 癒されたともありますが
聖書で物に案手する箇所はどこにもなく 安易に人に案手してはならないと あります。

以上を御言葉と比較すると

2ヨハネ;7 なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス
・キリストが人として来られた(KJV:肉体をもってこられる=再臨する)こと
を告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であ
り、反キリストです。 ” 


以上のように 聖書の御言葉から照らし合わせると不可解であり注意が必要です 彼らの信仰は聞こえがよく魅力的ですが 私の体験から言えば
ほとんど 実現しません これは 彼らの教義 や信仰が 間違っているのか
神様のほうが まちがっているのか どちらか ということになり 当たり前のことですが
注意しなければなりません


今年5月にアッセンブリー教団が日本に招くそうですが
教団創設当時から 不可解な教義により 数々の惑わし を 持込
未だ スキャンダル が起こる 実を 見て 判断するべきではないか
(これは 私が目の前で見た こと なので 安易に批判しているのではない)

誠に申し上げますが 彼らが支持している トロントペンサコーラ リバイバルは はっきり インチキ
であると 申し上げます。
御言葉と 照らし合わせず 人の栄光しか見えぬ人は 盲目であります。 

第三の波は危険 毒麦のたとえ

第三の波は教会やクリスチャンのグループに潜んでいます。私たちは仲間だと思い込んでいますが、実は異端教理(証拠は このサイトで山ほど説明)
クリスチャンを死へと導く サタンの 手先です。
彼ら自身も自覚してないことが多く完全に 惑わされています。
このような 教理は 第三の波と言われ、ピーターワグナー
ベニーヒーン ロドニーハワード などをはじめ 人を陥れるような教理を まき散らしています。 気おつけなければなりません。
特徴として 預言がはずれる 癒されないいやし 又偽りの癒しなどを、信徒集めにに利用などです。又聖書には このような 偽りものにも 大いなる印が 伴うともあります。
神様が終わりの時に 、忠実なクリスチャンを より分けるため そのまま 生かしておられるのです。珍奇な奇跡などにより 多くの人を引きつけ彼らは成長し
大教会に成長し 真実を持って 神につかえる クリスチャンを迫害
すると 聖書によげんしてあります(ヨエルの軍隊

13:24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。

13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。 13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。 13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。 13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう

これが 本当に聖霊の働き?


レイクランドリバイバルって又もや!!!

以下のビデオは同じ霊のように見えますが
クリスチャンが惑わされないように 
レイクランドリバイバルのもの

トロントのもの

クンダリーニのビデオ 驚くほど にている
霊の出所はここかも

力の伝導とは いかに

ヨハネ4:48 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。
前提として 申し上げますが 私は 奇跡や異言 予言など 信じないわけでは ありません。
あくまで 出所を 確認する 必要があることを 言っているのです。
力の伝導 というと 物理学のようで ありますが そうでは ありません ジョンウイーバーという人が
提唱した言葉ですこれには疑問を感じていますが 最後に述べます。


使徒行伝 の中でもしばしば 奇跡が起こっています。

2:43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。

5:12 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた

4:30 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。

5:12 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた

6:8 さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
6:9 すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、
6:10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。


8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた

14:3 それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。

第二コリント
12:12 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた


前後の文章から読み取れることは どこにも 奇跡が伝導の主体とは なっていない ということである。 キリストの奇跡を紹介したり 奇跡によって 謙虚にみなが 一致したり 奇跡とともに 聖霊の働きがあり みなが そてにより 満たされたり と言うことが主体に なっているのであります。

むしろ 奇跡は 10人の人のうち  1人しか 信じなかった事がかいてあります。伝導の主体は
キリストを神の一人子救い主 として 伝えることであり 奇跡は 伝導の主体では 無いことを
あらわしています。

ルカ17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。 17:17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 17:18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。

以前私の所属していました ビジネスマンの会の会長は この 力の伝導という 言葉をよく
口にしていました。
 これは 第三の波の教理であり 聖書的ではなく  そのまま信じることは危険であります。
ほんとうに 主が癒されたのであれば 結構な事でありますが、 そうでなければ 極めて
危険であります。
聖会などで 癒された人たちが その後 どうなったのか 調べて見る必要があります。

 ベンサコーラージャーナルが彼らの 嘘を暴いたように それら が 欺瞞に満ちた物であれば 大変危険であります。

参考文献
後の雨信仰をアセンブリーズ・オブ・ゴッドの中に働かせることにおいて有力であった二人の人物はジョン・ウィンバーとC.ピーター・ワグナーです。
彼らは教会成長コンサルタントとして国中いたるところで私達の教会のにおいて歓迎されています。
以前クエーカー教徒でありロックギターリスト、ビンヤード運動の創立者、ウィンバーは、西洋的ロジックで考えることから離れて、東洋的考察のもっぱら経験的な方法へのパラダイムシフトを公然と主張します。
彼はまた、最初の世紀におけるセム系の人々は仮定から結論に至る議論をしなかったと主張します;
彼らは合理主義によってコントロールされていないというのです。

これは非常な誤りであり、有害な論述です。
歴史的に不正確であるだけではなく、それは論理を中傷し、奇跡の否定と聖霊の超自然な働きを冒涜する(不健康な)合理主義とクリスチャンにとって必要な洞察を行使する(健康的な)合理主義との違いを識別することに失敗しているカリスマ運動の中の典型的な重要な混乱を示しています。
最初の世紀における究極のセム人はおそらく主イエス・キリストでした。
それでも、彼の敵対者を粉砕するために、彼は継続的に最も破壊的なロジック(論理)を使いました。
今日ほど、健全な精神が教会の生活において必要な日はありません。

ジョン・ウィンバーは、彼の最近の死まで、どのように奇跡をするか、そしてどのように予言するかを教えて、そのようなセミナーへの出席に対して料金を請求しました。
そして、ビンヤードはいまだに、テクニックのいくつかを使っています。たとえば、神がどこで働かれるかがわかるように、体が熱を持つ部分を感じるべく、その人の手をゆっくり前後に数インチずつ移動させる、あるいは、その人の心を空白にさせ、起きて来るどのような考えでも話させて、オカルトにドアを開きます。しかし、聖書における預言者は決してテクニックを学びはしませんでした。

イエス再臨の事に関する偽りの教え

エレミア氏からの引用

ここでは、イエスの肉体が昇天したことが書かれ、また
さらに再臨の時のキリストは同じさま、すなわち、肉体をもって
来ることが書かれています。したがって、肉体を持たずに
再臨するイエスについていう人々は、異端であり、反キリストなのです。
以下の様に書かれています。

”2ヨハネ;7 なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス
・キリストが人として来られた(KJV:肉体をもってこられる=再臨する)こと
を告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であ
り、反キリストです。 ”         

ピーターワグナーを始めとする第3の波系の偽りものどもは、
霊として来られるキリストすなわち肉体を持たないキリストについて
語っており彼等こそ、ここでいう反キリストの教えを持ってきた人々なのです。

コメント
この 御言葉から この様に霊により キリストが再臨される という 説を 言う人たち は 惑わす者とはっきり書いてあります。 この 惑わす者を 日本に呼び 証拠のビデオを見せても まだ 解らないのです
惑わされるという 領域を 越え まさに 反キリストに加担しようと している人たち も 早く 気づく べきです。 この様な罠にかかる 事は クリスチャンとして 心痛むものです。

聖霊により 倒される ?

ガラテア
1:6 あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。
1:7 それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。
1:8 しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
1:9 わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。
1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

以前ある 教会に行ったときのことである 雑誌にでてくる 有名な牧師が 聖会のあとで 一人づつ おでこに手を置き みんな 順番に 倒されてゆくのである  茶番である それは 私のところに 来て解った
 押し倒しているのである。 その場で イチャモン をつけるのは さすがに しなかった が 
みんな このような 事を信じたくて しょうがない のでしょう   洗脳されている のです もはや 新興宗教と変わりが無いところまできているのです。
又礼拝の途中や賛美の時 奇声を発する ひとや わめく 人などがいて どうみても 異常 である 例のトロントブレッシング と 同じである 又 だれも 意義を唱えない  祝福だけを強調し狭き門を 勝手に広げる 行為は 下の聖句のことと思います。

1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

何も恐れる事はない おかしい 事は おかしい と言えば すむ事である 

この様な教えにまどわされることは トテモ危険です 注意してください 惑わされず本当の奇跡 や 御言葉の深さを吟味するべきです。

御言葉を歪曲し滅びに導く教会指導者たち

前もって注意していただきたく思います 神から建てられた 献身者を非難する事は確かに注意が必要だエレミア氏は次のように述べている 長いですが是非読んでみてください。 教会の指導者に抗議する場合は必ず祈り どう対応するか よく 吟味してから  してください  しかし おかしなことを曖昧にする事は 自分自身にも間違いが 降りかかります

私は以前所属していた アッセンブリー系の教会の牧師婦人は、陶酔した異言の祈りや、
みんなに はい 手を 上げて     私は~です と言いましょう と 
この様な 新興宗教のような 事をさせるのが 好きでした、 
この教会に 所属していた間 何度も 悪い肉の思い
が湧き上がってきたり  聖霊に満たされているとは 思えないようなことが 多くありました。
聖霊の働きとは 神様の働きであるべきです。 聖霊派によくスキャンダラスな事が 起こるのは
聖霊の働きでは無いことが多いのです。 これらを 勘違いすると 危険で 永遠の命どころか
サタンに 刻印を押されることに なりかねません、 

アッセンブリー教会は 創設のときから
ジョンアレクサンダードウイ    マリア・ベウラ・ウッドワースーエサー   チャールス・パーム
フランク サンフオード   セイモウール
などにより いんちき 紛いの 教理を 打ち立てており 創設時から 異端をかかえ おかしな
教えがいりまっじっています。 

私はこの教団から 脱退し てからは とても 真実の神様を感じられるようになりました。
肉の思いも あまり もたげてきません。悪い霊的な影響から 放たれ 生活しています。

聖書を長年読んでみてどんな感想を持つだろう 確かに救いは広く深い

だがそれなりの 生活をしていないと 天国には 入れないし裁き似合うと 言っている ある 教会の牧師は人を100人殺してもキリストを信じるなら 天国へ行ける と 言っ たそうだ 私はキリストを信じている人は人を殺すことはできない と思う

クリスチャンが人を殺しても許される?

善悪の木の 実を取って食べても死ぬことは無い 

はサタンの上等手段である

祝福だの 恵みがあるだの献金をすれば 金持ちになれるなど  都合の良い事 だけを 並べ

狭き門を勝手に広げ信者を増やすことだけを考えている 新興宗教とは変わらないのです

聖書の内容とは全く違う事を言っているのである!! 

聞いているほうも 牧師だから 偉い先生だからとこの世的にそのままにする

御言葉を尊ばない人は 裁きの時主の前に出て 耐え切れないであろう

腐敗 背信行為であることに 気つくべきだ。 この様におかしい 事事態 おかしい と言わなければ 背信に 向かうだけであります。

以下に後の雨運動、第三の波の教会の特徴が
書いてあります。
後の雨預言者の特有な教義は簡単にリストすることはできますが、それらには多種多様な変異があるため、若干困難を伴いはしますが、今日の数百に及ぶカリスマ的なグループを追跡研究することはできます。
これらは以下を含みます:

1. 後の雨理論そのもの。
2. エペソ書4章の「五職の働き」の回復。
3. 神の顕示された息子。
4. 「王国は今」終末論(最近「再建主義」による影響も受けてきている)
5. 道案内の弟子訓練の方法。
6. 積極的な言葉の告白、「創造的な話された言葉」。
7. 按手による「賜物の分与」。
8. 他の教会を抱き込もうとするために長老チームの巡回旅行をする。
9. 統一を促進するための反教義主義
10. 種の信仰テクニック。
11. 個人と教会の両方をコントロールし、影響する指示的預言。

(訳注:すなわち、以下のリストに示された教理を強調、教示する教団、教会は
皆、後の雨運動にその根を持っている、影響されているといえる。)

以下は、後の雨教義を構成しているものの簡潔なアウトラインです:

置換神学 - 教会はイスラエルにとって代わります。
例えば、神が彼の聖霊を与えられたゆえ、「後の雨」はエゼキエル37章の死んだ渇いた骨を、教会、すなわち新しいイスラエルと考えます。
その結果、イスラエルはもう果たすべき主要な役割を終わりの時のシナリオの中に持っていません。

前の雨 - 後の雨教義は、新約のペンテコステは「前の雨」であり、まだ来るべき「後の雨」を残している、と教えます。

「後の雨」:
- 後の雨教義:
ペンテコステが「前の雨」と考えられるので、幕屋の宴会という教会の後のお祝いにおいてのみ後の雨は成就するのです。それはヨエル2:23の「後の雨」としてペンテコステに取って代わります。

幕屋:
- 後の雨は、この宴会のお祝いは以下の段階を成就すると言います:
統一、「後の雨」リバイバル、収穫、教会の敵の打ち破り、王国の設立。
幕屋は喜びと楽しみの収穫感謝祭として霊的に理解されています。従って、それは現在の笑い現象にたとえられます。またそれは、キリストが個人に内住された時のペンテコステと対比され、統合体に内住するためのキリストの不可視的、霊的再臨と考えられます。
統合体に内住するためのキリストのこの到来は、現在「新しい真理」を通して表現されています。神は、ヨエルの軍隊を「引き起こす」彼の教会を、神の国を導き入れるための手段として満たしています。

回復:
- 後の雨は使徒3:21の回復の概念に基礎を置きます:
すべての物が回復されるまで、イエスは戻ることができません。大きな必要は五職の働き人(エペソ4:11-12)の回復であり、特に使徒と預言者の職。
これらは聖徒の完成をもたらすでしょう。

啓示:
- 後の雨の使徒と預言者の新しい進歩的な啓示により、聖徒が罪のない完全の状態に到達する。聖書は寓話化された理解とするか、霊的に解釈されます。
教会の進む方向は、これら「新しい、神聖な真理」を通して供給されます。

不死、不滅:
- 後の雨は、聖徒が完全にきよい状態に到達する時に、死が滅ぼされると教えます。
彼らは、キリストが戻る前に、受肉するキリストによって不滅を達成する顕現された息子(ローマ8:19)です。しるしと奇跡は、神の顕現された息子によって実現され、栄光ある世界的な終末の収穫を引き起こすでしょう。

統一:
- 神の顕願された息子、という団体的な人々はヨエルの軍隊として知られています。
キリストは分割された「からだ」の中に受肉することはできないので、グローバルな教会の統一は、後の雨教義にとって絶対に必須事項です。

終末論:
- 後の雨教義においては、教会が諸々の天における悪魔のような軍勢の能力を剥ぎ取り、それに取って代わるまで、イエスは肉体をもって戻ることはできません。
戦闘は事実上領土です。
死に打ち勝ち、最後の敵である死を含むすべての神の敵が破壊され、地球が彼の足のための足台にされるその時まで、ヨエルの軍隊のメンバーは君臨するでしょう。
艱難時代とは、神の国を設立するために、顕現した息子が神の審判を実行し、悪から地球を浄化する期間であるとして置き換えられます。

(訳注:このあたりは終末に関する聖書の健全な教えを全く変質させたものとなっている。
聖書は、明らかに終末の日にみことばについたため、艱難を受ける、小数の聖徒達について語る。
黙示録を書いたヨハネがみことばの為パトモス島へ流されたことは、その象徴である。
しかし、後の雨教理はこの艱難時代に関する聖書のみことばを全く書きかえて、怪しいリバイバルに浮かれ、霊の戦いなどというたわごとにだまされた、
圧倒的多数のクリスチャン達が、「みことばに最後迄忠実な小数の人々を」頑固な古い世代、反キリストの霊にやられた人と罵倒し、攻撃する日のことだと言い換えている)

後の雨はキリストの再臨、ミレニアム、およびミレニアム以前の携挙教義についての古典的な理解を割引きます。(変質させます)

表面的な信仰:
-宗教的「古い世代」である「古い道」を固守し新しい教えを拒絶する教団のクリスチャンは、「土地を所有するために」に中に入ることはできず、また「(聖徒の)完成」にも到達しません。

後の雨によると、ヨエルの軍隊がこの時代に諸々の天から君臨する一方、これらの人間は「艱難時代」の期間に滅ぼされることになります。現在進行中のキリストの受肉化をした、顕現した息子は、「悔い改めること」を拒絶するすべての人を滅ぼすことによって神の敵を審き、教会を浄化する力を持つでしょう。

(訳注:ここでいわれている教理は、キリストの2度にわたる再臨のうち、最初の時は、目に見えない
霊として、再臨する。そのキリストの霊を受肉する顕現した息子とは、現代売り出し中のピーターワグナー、ベニーヒン等の使徒、預言者のことであり、彼等は地上におけるキリストそのものの様な権威を帯びる。
彼等に従わない者は反キリストであり、滅ぼされる:というトンデモ教理)

進化:
- 後の雨教義は、キリストの肉体的な再臨の前には、地上において彼の王国が設立され、彼の霊を受肉化できるポイントにまで、教会が円熟する様進歩しなければならないと仮定します。
しかし、聖書は、キリスト教徒は「キリストにあって、満ち満ちている」コロサイ書2:10と語ります。それは、私達が彼の中で完全であることを意味しています。
私達は、新しい人生に歩き始めることだけが必要なのです。
(Compiled By Ed Tarkowski http://www.ncinter.net/~ejt/LatterRain1.htm)

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