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26聖人をご存じですか慶長元年(1596)12月19日、豊臣秀吉の命により、京都・大阪で捕らえられた キリスト教信者20人とバテレン6人が長崎で処刑されました。
日本で最初の殉教者です。 26聖人についてはhttp://isidatami.sakura.ne.jp/26seizin.htmlに詳しく書いてあります。純粋な信仰者でクリスチャンの鏡のような人たちである。秀吉は時の権力者で むごい事をしたものである 彼等を始め 後々むごたらしい 拷問に耐えながら 信仰を貫いた 人たちの信仰の勝利を たたえるべき であると 同時に 自分の信仰を確認したくなるのである。
この話で私は2つのことを 思うのです。2つの事柄は

1 殉教者はになるためには 根性があれば自分にその根性があるか よく再確認していましたが 彼等を見て思う事は 殉教するように選ばれし者であると言うことである、激しい拷問を受け尚信仰を貫けた のは 人の勇ましい 根性だけでは 無理なことで 弱音をはくのが 普通であろうこの様な状態で信仰を貫けるひとたちは紛れもなく選ばれた人たちで殉教のたまものというべきだろうか この事は 次の話に関係する。

2当時のカトリックは 植民地支配と 布教を セットで 各国に 宣教師たちを 送り出していました キリスト教を土台にして 権力者を 陥れ植民地にしようとするものです ですから これを見抜いた 秀吉はクリスチャンを迫害しました キリスト教は彼等の手先と 考えたからです。私はこのぎせいになった(26聖人のような純粋な信仰を持った人たち又後々の殉教者たち )この血の責任は カトリックにあり 罪重く 許されるものでは無いと思う。当時の棄教した神父たち この植民地支配の裏話を知って
いたがゆえに 信仰をつらぬけ なかったのでは ないかと 推測します。
神にふるいにかけられたのでは とおもうのです。


物事には裏というものがあり よく確認しないと とんでもない事になります。
秀吉は残忍な迫害者ですが もっと 残忍な 人たちが背後にいたことを知るべきです。

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