Home > 他からの教会への警告 > 私達はその神が選んだ権威
ttp://philosophy.blogmura.com/">にほんブログ村
神がどの様な人を教会の権威として選ぶのか、また私達はその神が選んだ権威
に どう対応すべきか、接するべきかということを見ていきたいと 思います。
テキストに沿って見ます。
”1 そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ
人の女のことで彼を非難 した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。”
ここでモーセの姉であるミリヤムと兄アロンがモーセを非難しました。
彼等は兄、姉だから、当然モーセより年長であり、だから自分達にはモーセを
非難する 資格があると理解したのです。
今でいえば、自分が年上であるからといって、教会で神の働き人を非難する人
々とでもいえるでしょ うか。
年輩の役員、長老あたりが、「あんな若造の牧師より、俺の方がいくらでも社
会経験も知識もある」 というわけです。こんなパターンは、
往々にして教会であり得るパターンではありますが、
しかし、それが神の前で正しい態度かどうかは別です。
さらにミリアム、モーセ、彼等のいっているその非難の内容も妥当に思えます。
モーセがクシュ人の 女をめとっているのも客観的にもあまりよいことの様に
思えません。 ですから、彼等の非難は人間的に見て妥当の様に、思えます。
今でいえば、もっともなことをいって牧師や働き人をとっちめる人々というこ
とでしょうか。
箸の上げ下ろしから、費用の使い方、家族のこと、私生活のこまごましたこと
まで。 それらの非難には、妥当に見えるものもあるでしょうが、しかし、
神の前に正しいかどうかは別で す。
”2 彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちと
も話されたのではないで しょうか。」主はこれを聞かれた。”
アロン、ミリアム彼等には、モーセを非難する資格が神の前にもあると思えま
した。
何故なら、自分達は神の声を聞いているからです。
教会でもこんな類いの人がいます。「信仰にかけては、私だってうちの牧師く
らいの 信仰はあるわ。ちゃんと神の声をききわけているわよ」
もちろんそれはそうなのでしょうが、しかし、それだからといって、神の立て
られた権威に逆らうべ きかどうか、それが神の前に妥当かどうかは別です。
何故なら、神はその非難を聞かれるからです。「主はこれを聞かれた」と書か
れている通りです。
”3 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。
”
この時、神が選び立てた権威であるモーセに関して彼が「地上のだれにもまさ
って非常に謙遜」であ ったことが書かれています。
謙遜とは、でしゃばったり、角ばったり、自分がないがしろにされてもやみく
もに権威を主張しない 人だということでしょう。今でいえば、
自分を主張しない人、結果、今みたいな弱肉強食の時代にお
いては、ないがしろにされたり、すぐ楯つかれたりしやすい人です。
不思議なことですが、神が教会の権威として立てる人にはこういうタイプの人
が多い様に思えます。 結果、見えるところしか見ない人には、
すぐなめられたり、反抗されたりしがちです。
しかし、人間的にくみしやすい、いいやすいからといって、神の立てられた権
威に逆らうべきかどう かは別です。むしろその結果は重大なものとなることが
多いのです。
”4 そこで、主は突然、モーセとアロンとミリヤムに、「あなたがた三人は会
見の天幕の所へ出よ。」 と言われたので、彼ら三人は出て行った。
5 主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入口に立って、アロンとミリ
ヤムを呼ばれた。ふたり が出て行くと、
6 仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者
であるなら、主であるわ たしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、
夢の中でその者に語る。
7 しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて
忠実な者である。
8 彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしな
い。彼はまた、主の姿を 仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべ
モーセを恐れずに非難するのか。」”
さて、モーセへの非難に対して、神御自身が答えられました。
このパターン、法則を覚えてください。
ある人が神の家の権威に立てられたなら、そして、それが神の立てられた人な
ら、 彼への非難に対して、神御自身が答えられるのです。
子供どおしのケンカに対して親が出てくるのはよくありませんが、
しかし、教会におけるケンカ、神の立てられた権威に対しての反抗には神御自
身が対処を下す、 そのパターンを覚えてください。
そしてそれは、神御自身の対処なので、非常に厳しく、重大な結果をもたらし
ます。
この時、ミリアム、アロンの非難に対して、当事者であるモーセその人は何ら
の弁明も いいかえしもしていないことを覚えてください。
しかし、神御自身が対応されたのです。教会で牧師が気が弱そうだから、
いいたいことをいっても大丈夫だろうなどと考え違いをする人がいます。
確かに気の弱そうな牧師はいわれても何ら反論できないように見えるかもしれ
ませんが、 しかし、神御自身がいずれその人に反論するでしょう。
「7 しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じ
て忠実な者である。」
何故モーセが権威になったのか、彼が選ばれたその理由は何でしょう?
それは、この箇所を見る限り、モーセが忠実なものだったからであることがわ
かります。
ある人が神により権威が与えられるか否かの違いはその人が神の前に忠実なク
リスチャンかどうかに よることを覚えてください。
神の働き人として歩みたい、神により用いられたいと志す時、それはよい志で
すが、 しかし、忠実な者が用いられることを知りましょう。
忠実とは、
具体的には、どういうことか?
要するに毎日きちんと祈り、聖書を読み、神のみこころを行っている人という
ことでしょうか。
今、小さな奉仕をまかされているなら、それを忠実にこなすかどうかが、
その後の働きを決めるでしょう。
小さなことに忠実でない人に神からの大きな奉仕が回ってくるはずがありませ
ん。 はっきりいいますが、神がよしとしない限り、私達には何の働きも回ってきま
せん。
”8 彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはし
ない。彼はまた、主の姿 を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべ
モーセを恐れずに非難するのか。」”
彼等はモーセ個人を非難したつもりであり、何ら、神に対して、不満や反抗を
した つもりはなかったのでしょうが、しかし、神はそう取り、そう反応しました。
”なぜ、あなたがたは、「わたし」のしもべモーセを恐れずに非難するのか。
”とのことばに 注目してください。彼等はそれと知らず、神のしもべを非難
しており、 神御自身からの怒りを買いました。
この反抗はミリアムに恐ろしい結果をもたらしました。
ですから、神のしもべへの非難には、よくよく注意が必要であることを知りま
しょう。
人間は結局見える人しか見ないのですが、しかし、
神のしもべへの非難は、見えない神の怒りをかう可能性があります。
このことを恐れましょう。
”9 主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。
10 雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムは、らい病にかかり、雪のよ
うに白くなった。アロ ンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はらい病
にかかっていた。”
モーセを非難したミリアムは結果として重大、深刻な結末を我が身にもたらし、
自らがらい病をわずらうようになったのです。
恐ろしい害を自らにもたらしたのです。
このことを他人ごととせず、我々はよくよく、教訓を学ぶべきです。
神のしもべを非難し、神の授けた権威をあなどる時、自らに
深刻な神の罰が下る、この原則は、このモーセの時、そして
今も同じなのです。
”11 アロンはモーセに言った。「わが主よ。私たちが愚かで犯しました罪の罰
をどうか、私たちに負 わせないでください。
12 どうか、彼女を、その肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしな
いでください。」”
アロンは、「私たちが愚かで犯しました罪」と語っています。
彼はミリアムや自分の語ったモーセへのことばが、これ程、深刻な罰、結果を
もたらすとは 思わなかったのです。彼らは神に逆らうつもりもなかったし、そうする
意図など全くなかったのかもしれません。しかし、弟モーセを非難することは、
そのまま神の権威を侵すことであると他ならぬ神御自身が判断されたのです。
アロン、ミリアムのことは、今の私達に対する教訓として書かれていることを
知りましょう。
そして、悲しいことは、このミリアム、アロンのことがらを知りながら、なお
かつ 勇敢にも神の権威に逆らう人々が多いのが今の教会の現状なのです。
今の教会においては、神が教会に建てられた権威に逆らう声は多く、牧師、教
師に逆らう声は 多いのです。
さて、少し話はずれますが、ペンテ、カリスマ教会で今さかんに行われている
霊の戦いとは、人々を惑わし、巧妙に神の立てた権威に逆らわせよう、反抗さ
せようと する試みであることを知りましょう。
これは、神が御使いに与えた権威に対する反逆、反抗の試みです。
そして、この「霊の戦い」とかいう「仕組まれたわな」に踏み込んだ人々は、
皆深刻な 害、罰を受けています。ある人は、霊的におかしくなったり、
ある人は、けが、事故、頭痛を 含む肉体的な害、罰を受けています。
そればかりか、命を落とした人のことさえ聞いています。
愚かなこと、神の立てた権威にあえて逆らい、結果当然の罰を受けないように
しましょう。
たとえば、警察官は、日本の権威者として、権威を持ち、銃や警棒を持ちます。
あえて、警察官に殴り掛かったりする人は、反撃され、
警棒で殴られこぶをこしらえたり、もっと悪いときには、銃で撃たれて死亡し
たりします。
しかも撃たれて殺されても人からあまり同情されません。
「よりによって警察官に反抗したり、殴りかかったりするからそんな目に会う
んだ」 ということで、自業自得の様な扱いです。
愚かにも霊の戦いなどのインチキ教理に惑わされ、しきりにあちこち出かけて
は 御使いに戦いを挑み、その結果、深刻な害や、損害を受けている人はまさに
この警察官に殴り掛かる人と同じ愚かな愚行を行っていることに気付くべきな
のです。
ちなみに霊の戦いにいそしんでいる人々、グループ、団体、教会を見てみましょ
う。 大変失礼ですが、皆あまりまともな評判のない人々、グループではないでしょ
うか?
変なスキャンダルが起きたり、悪い噂が起きたり、訴訟はたまた異端扱いされ
ているところとか..。
もしかすると、多少例外があるかもしれませんが、あたらずとも遠からずでしょ
う。 彼らは自らの無知と聖書の基本を知らないその愚かさのゆえに神の権威を犯し、
結果深刻な害をその身に受けているのです。それにもこりず、自分のとこの信
者にそんな危険なこと を わざわざ勧めているのです。きわめつけおろかものです。
”13 それで、モーセは主に叫んで言った。「神よ。どうか、彼女をいやしてく
ださい。」
14 しかし主はモーセに言われた。「彼女の父が、彼女の顔につばきしてさえ、
彼女は七日間、恥をか かせられたことになるではないか。彼女を七日間、
宿営の外に締め出しておかなければならない。そ
の後に彼女を連れ戻すことができる。」
15 それでミリヤムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリヤムが連れ戻
されるまで、旅立たな かった。
16 その後、民はハツェロテから旅立ち、パランの荒野に宿営した。”
この時、集会の人としての長であるモーセはミリアムがすぐいやされる
様に祈りました。しかし、その祈りはすぐに聞かれず、ミリアムはしばらくの
間、らい病のまま、 宿営から追い出されてしまったのです。
このことは、今の教会においても同じ原則であることを知ってください。
私達は人のこと、見えることしか見ていません。
牧師に逆らおうと教会の権威に逆らおうと世間の人間関係と全く同じだと思っ
ているのです。
何かひどく牧師に反抗しても、あとで、悪いと思えば、一言あやまればそれで
終わり位に 思っているかもしれません。
確かに見える人である牧師や教会の権威を持っている人はそうかもしれません
が、 神にあってはそうも甘いものでないことをも知っておきましょう。
この時、あえてモーセに逆らったミリアムが思いもかけない深刻な罰を受けた
様に 今も神の権威に対する対処は同じなのであることを知りましょう。
教会はこの世と全く違うところであり、この世と違う、法則、原則があること
をしっかりと 知らなければなりません。あえて、神の権威に逆らう時、深刻な害
をその 身に受けるようになります。
私はその様にして、自らの信仰を破滅させた何人かの人を知っています。
神を恐れましょう。
終末における主のみこころを行いましょう。
- Newer: キリスト教会での偽預言者の見分け方
- Older: クリスチャンビジネスマンの会
Home > 他からの教会への警告 > 私達はその神が選んだ権威
