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クリスチャン,キリスト教,への警告

アセンションと二段階携挙説

ケイキョ に関しては 先に述べたように テサロニケにあるように キリストの再臨の時  に 行われる
再臨が2度 ケイキョが艱難前にあると いうのは 話がおかしい つじつまが合わず まともな 神学者 が このような ミス解釈をするとは 考えにくい 最近アセンションという 言葉 次元上昇 として 使われる   Ascension
は島の名前でしか 知られていないが アセンという 言葉の意味は 上るといういみである ラテン系では エレベーター を アスッチェンソーレ ともいう 上昇を表している どうやら 出所は 聖書から きているような 臭いがしてならない  このような トンデモ 話を 考え流布させ ている 存在 を強く 感じさせる

このような 根拠のない話に 乗せられている キリスト教会第三の波 は走りゴマ として 利用されているのである このサイトで 説明している ような 指導者は だまされている ことに 早く 築くべきで あります。
また クリスチャンも このような 滅びにいたる 教会や指導者に かかわると 永遠の命を 失い 神の怒りに触れることで あろう 自分の命を守るため 早く 逃れるべきである。

気がついている人も 多いとは 思いますが 速やかに行動すべき と 思います すぐに離れてください
 
時間がなさそうです。

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お●●みの● 牧師について

関西で第三の波を推奨している 牧師について 
ネットで メッセージを配信しているので 内容を確認してみました。

あまりにも事実とかけ離れた話が多いので 驚きました

彼の話によると インドネシアは キリスト教国で イスラムは総崩れで キリスト教になったそうだ。しかし 事実は以下のようでインドネシアは 世界最大のイスラム国です
話を誇張し事実でないことを語るのは 詭弁という他はない。

最新の統計(ブリタニカ国際年鑑2007年版)によると、イスラム教76.5%、キリスト教13.1%(プロテスタント5.7%、独立教会4.0%、カトリック2.7%、他)、ヒンドゥー教 3.4%、伝統信仰2.5%、無宗教1.9%、その他 2.6%となっている。
イスラム教徒の人口は、1億7000万人を超え、世界最大のイスラーム教徒(ムスリム)人口を抱える国となっている

又ある日本人はいきなり 雷にうたれたように なり 怖さのあまり イエス様を信じるように なった といっています
 福音の重要な所は イエスを救い主として
受け入れる事 十字架の 意味を理解してこそ クリスチャンといえるのであり
雷に打たれたような体験 により 怖さのあまり キリストを信じるというのは
体験主義でそれも恐怖の故というのは どうでしょうか。 これで クリスチャンというのは とても 危険であり この様なことで キリストを信じると見なすことは オカルト的であり 神どころか 悪魔的であると言えます。とても 危険で歴史を通じて このような 事は かつて あったでしょうか
目をさまし この様な 非聖書的なことが まかり通るのでしょうか。

彼等の聖霊に関する 議論の 差し替える 手口
日本の教会は 聖霊を受け入れるかどうか が リバイバルの鍵であるそうですが
私の知る限り 日本の教会で 聖霊を否定するような 教会など なく
トロントブレッシング のような 悪魔の働きを 受け入れなければ ならない というような 話はとんでも 無いことであります。


彼の証の中心 明らかに彼のメッセージの中には 金持ちだの 美人だの 肉的な価値を 大事としているのを 読み取れます。又キリストの話が中心ではなく悪霊の話などが 多い彼のいう福音とは 体験的なものが多く み言葉がほとんどない み言葉に関する理解や説明がほとんどない。

彼の関与する アン●●ケア神学校に行ったことがありますが 寄生をを上げ
うめき声 狂ったような仕草 とても 神の神聖 などなく 悪魔の沙汰であります
この様な危険な 信仰宗教 には くれぐれも 注意が必要です。

ハリーポッター

ハリーポッターは知らない人が いないぐらい 有名なものがたりである
しかし 魔法を利用し キリスト教への 理解を 変えようと子供を利用している
物語の出所はオカルト傾倒者リチャード ポッターの書いた小説にある
彼はフェビアン協会の創設者ベアトリックスボッター の父親であり
子供に オカルトを吹き込んでいるのである。
どくろ なども良く出回っているが 子供に 縁起でもない このようなオカルト 話を 教えるのは明らかに もんだいである。

しかし罪びとはこれにつまずく

ホセア14:9 知恵のある者はだれか。その人にこれらのことを悟らせよ。悟りある者はだれか。その人にこれらのことを知らせよ。主の道は直く、正しき者はこれを歩む。しかし罪びとはこれにつまずく。
興味深い聖句である 主の道 は 御言葉であり 罪人はつまずく とは 何を意味するか一見 罪人は明らかに 反対でいかにも 悪い様には見えず 同じように 聖書を知っており その言葉の意味を正しく理解出来ずに つまずく という意味合いであろう パラダイムシフト などといい 御言葉を 正しく伝えず 少し違った意味合いに返る手法や 奇跡 があれば 神の働きであるといい 御言葉にかんしては チンプンカンプン タルムxxを参考にして聖書を読んでいると などという 罠には気をつけるべきである 

今この大不況時代に必要な事

3:1 さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、 3:2 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。 3:3 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。 3:4 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 3:5 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、 3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。 3:7 こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、 3:8 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。

3:2 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。
  ここは 罪を表します  罪のある人が連れてこられたということです


3:3 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
  彼は生活の糧 金銀 今で言うお金 経済的なこと の施しを受けようと期待した

3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
ペテロが与えたのは金ではなく キリストの祝福だったのです

3:8 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った
ここで 注目すべきは彼らと共に宮にはいって行った です 

何を聖書が言っているかというと 罪のある人が金が自分の惨めさを解決してくれる手段だと思っていましたが ペテロに キリストを伝えられ それにより 罪が許され 癒され今まで宮の入り口 門のところ まで きていたつまり 救いの 間近までにいたが求める事のポイントがずれていて 祝福に預かれなかった人が
キリストという真実の方の信じることにより 神の宮に入ることが出来るようになった ということです

今は大不況時代です 会社が倒産したり 株の下落などで 財産をなくしてしまったり 明日の解らぬ身で どうしようと不安でなりません
しかし 聖書は 真実なイエスキリストというお方を求めなければ 問題は解決しないといっています。つまり経済的な事が解決したとしても 次次 問題が 持ち上がり 幸福には なれない といっているのです

26聖人を思う

26聖人をご存じですか慶長元年(1596)12月19日、豊臣秀吉の命により、京都・大阪で捕らえられた キリスト教信者20人とバテレン6人が長崎で処刑されました。
日本で最初の殉教者です。 26聖人についてはhttp://isidatami.sakura.ne.jp/26seizin.htmlに詳しく書いてあります。純粋な信仰者でクリスチャンの鏡のような人たちである。秀吉は時の権力者で むごい事をしたものである 彼等を始め 後々むごたらしい 拷問に耐えながら 信仰を貫いた 人たちの信仰の勝利を たたえるべき であると 同時に 自分の信仰を確認したくなるのである。
この話で私は2つのことを 思うのです。2つの事柄は

1 殉教者はになるためには 根性があれば自分にその根性があるか よく再確認していましたが 彼等を見て思う事は 殉教するように選ばれし者であると言うことである、激しい拷問を受け尚信仰を貫けた のは 人の勇ましい 根性だけでは 無理なことで 弱音をはくのが 普通であろうこの様な状態で信仰を貫けるひとたちは紛れもなく選ばれた人たちで殉教のたまものというべきだろうか この事は 次の話に関係する。

2当時のカトリックは 植民地支配と 布教を セットで 各国に 宣教師たちを 送り出していました キリスト教を土台にして 権力者を 陥れ植民地にしようとするものです ですから これを見抜いた 秀吉はクリスチャンを迫害しました キリスト教は彼等の手先と 考えたからです。私はこのぎせいになった(26聖人のような純粋な信仰を持った人たち又後々の殉教者たち )この血の責任は カトリックにあり 罪重く 許されるものでは無いと思う。当時の棄教した神父たち この植民地支配の裏話を知って
いたがゆえに 信仰をつらぬけ なかったのでは ないかと 推測します。
神にふるいにかけられたのでは とおもうのです。


物事には裏というものがあり よく確認しないと とんでもない事になります。
秀吉は残忍な迫害者ですが もっと 残忍な 人たちが背後にいたことを知るべきです。

ビリーグラハム

この ビデオの中で ビリーグラハム が言っているのは エキュメニカル といい どんな 宗教 のひとでも キリストを知らないひとでも 救われ天国にいける と彼は いっています。 
しかし聖書には 


ヨハネ
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

この聖句は クリスチャンならずとも キリスト教文化の 国の人 なら だれでも 知っています。しかし 彼は クリスチャンでなくとも 他の宗教でも 救われると いっています。

クリスチャンの 皆さんは 御言葉 を 信じますか?
それとも 人 を信じますか?こういうと 多くの 聖書を知らない人から 賛同を得るため にいっていると 思われます
聖書では  
マタイ

16:23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている

イエスは サタン と さえ いっています。すなわち 悪霊の働き であると はっきり いっています。

世の キリスト教会は 彼のおかしな 言動 フリーメイソンである との 疑いがある中 彼を 否定すると 異端視 され 相手に されなく なるので わかっていても なにも いえません。
又盲目で そのこと が わからない 教会 ミニストリー にかかわる 人たち も サタンの 手下に なったのでしょうか。


フィジーリバイバルの V牧師  とクリスチャンビジネスマンの会

これは 私の 身の回りで起こった出来事なので 真実です 最初は 自分は本当にこんなことが あって いいのか リバイバルで有名な牧師が本当か と 思いましたが 事実は 事実なので 書くことにします 2005年に舞子に きたとき ある家族に
水と油と塩を混ぜて 家族で2週間祈れば なにか あなたたちを 新たに導く
 ことが 起こる と いいました それをそのまま 実行したこの家族に 2週間後に起こったのは この家族に関わっていた 知人の殺人事件と 近くの教会の 牧師婦人が持ってきたのは うさんくさい マルチ商法 ビジネスでした 

水と火と油を混ぜて 祈る のは 土着信仰で オカルト まがいと 思いますが
彼等は 誤解だといい (私は何の誤解か 未だに説明していただいていない )
V牧師  と クリスチャンビジネスマンの会 でトランスフォーメーションを 推奨しています。


黙示 22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。

見事に まじないでもあり 殺人事件も起こっているし 偽りをも 好んでいる
黙示録の示す とおりであります。

注 この件につきまして まじない を 推奨したのは V氏で間違いないと思いますが 間違いであればお知らせください。彼でないにしても V氏 は奇跡を重んじる 体験型信仰 を強調していると おもいます。

エレミア氏のメルマガが 的を 射ていると おもいますので 
参考にしてください


NO.514たのみとする武具を奪い

”テキスト:ルカ11:
14 イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、
おしがものを言い始めたので、 群衆は驚いた。
15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊ど
もを追い出しているのだ。」と言 う者もいた。
16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。

17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪も
めしたら荒れすたれ、家にして も、内輪で争えばつぶれます。
18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くこ
とができましょう。それなのにあ なたがたは、わたしがベルゼブル
によって悪霊どもを追い出していると言います。
19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あ
なたがたの仲間は、だれによって 追い出すのですか。だから、
あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。
20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の
国はあなたがたに来ているので す。
21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全
です。
22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武
具を奪い、分捕り品を分けます。
23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない
者は散らす者です。”
====================================================================

本日は「たのみとする武具を奪い」という題でメッセージしたいと思います。

ルカ伝の記述から、「たのみとする武具を奪う」という記述の意味合いを見た
いと思います。 テキストに沿って見ていきます。

”14 イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行く
と、おしがものを言い始めたの で、群衆は驚いた。”

イエスは悪霊を追い出しました。それは尊い奉仕であり、
悪霊につかれた人は解放され、おしはものを言うことができるようになりまし
た。

”15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊
どもを追い出しているのだ。」と 言う者もいた。”

しかし思いもよらない非難がイエスに向かっていわれました。それは、
このイエスは、悪霊のかしら、ベルゼブルによって、悪霊どもを追い出してい
るという非難です。
ベルゼブルは蠅の王という名の悪霊です。
これはとんでもない冒涜であり、非難なのですが、しかし、事実、神の子であ
るイエスに向かって その様な非難がなされたのです。
このことは歴史的な事実であり、また預言的な意味合いがあります。
何をいっているのかというと、終わりの時にも主の聖霊を受ける人々が悪霊呼
ばわりされることが起きると思わ れるからです。


16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。”

イエスを信じない人々は、それが神から来たことを証明するべく、「しるし」
を要求しました。

しかし、それに応じてイエスが何らかのしるしを行ったとは書かれていません。

逆にこの姦淫の時代はしるしを求める、しかしその時代に対して、「ヨナのし
るし」の他は与えられないことを イエスは他の箇所で語ります。

ですから、終末においてもしるしに対して原則は同じであることを知りましょ
う。
今は悪い姦淫の時代であり、惑わされたクリスチャンは、カリスマ、ペンテコ
ステ派を始めとして、 「しるしと不思議」に傾倒しています。金粉が舞った、
歯が金歯になった、すばらしいというわけです。
これは、何か?聖書的にいうなら何と理解すべきなのか?聖書的にいうなら、
これは、 キリスト教会が「悪い姦淫の時代」に入ったことを語ります。

ピーターワグナーによれば、今の時代、もっとも信者を増や
しているのは、ペンテコステ系の
教会だということです。このことを聖書的にいうなら、「しるしと不思議偏重
系の教会」がもっとも 伸びている、すなわち、悪い姦淫の時代に入っ
たということでしょうか。

かつての日、イエスに対して「天からのしるしを求める者」がいました。同じ
ことが 終末の日にもイエスの弟子に対して行われるでしょう。

「お前らが本物なら、しるしを見せろ」というわけです。
しかし、この様な方法、要求は決して聖書の方法でもイエスの方法でもないこ
とだけは 覚えておきましょう。

逆に 悪霊のリバイバリスト、ベニーヒンなどが、ユダヤカバラの魔法か、練金術み
たいなしるしと不思議を 行うようになりますが、これは、マタイ伝で
いう「偽預言者がしるしとを行う」と記されたことの
成就です。しかし、聖書も知らず、神も知らない阿呆たれヘンテコ信者は、そ
んなしるしに引かれ、 悪霊の海に巻き込まれていきます。

彼らに真理を知らすべき牧師は同じくあほたれとなり、どぶ水みたいなものを
ガブ飲みしています。

キリスト教会の新聞も雑誌も
同じ様に盲人系、目の御不自由な方系となり、悪霊と聖霊の区別もつかないよ
うになっていきます。

”17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪
もめしたら荒れすたれ、家にして も、内輪で争えばつぶれます。”

ここで何故、どの様にして国がつぶれるのかということに関して書かれていま
す。 それは、内紛、内輪もめによるのであり、内紛で国がつぶれることが書かれて
います。

さて、それはサタンの国に関して書かれているようですが、しかし隠れた意味
合いがあります。 それは、今の世界の最大の国、20億人もの
人口を擁する大国、世界大のキリスト教会の
内紛そしてその結果による崩壊について書かれています。

”18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行く
ことができましょう。それなのに あなたがたは、わたしがベルゼブル
によって悪霊どもを追い出していると言います。”

さて、その起こらんとするキリスト教会の内紛、崩壊は何を契機に起きるので
しょう?

ここにそのヒントが書かれているという風に読めます。それは、
イエスの霊、聖霊を悪霊呼ばわり、ベルゼブル呼ばわりすることをきっかけと
して起きることが想像できます。


”19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、
あなたがたの仲間は、だれによっ て追い出すのですか。だから、
あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。”

いいかたを変えるなら、この時イエスをベルゼブル扱いにすることにより、内
紛、混乱が、ユダの国、神の治め る国に起きたともいえます。
事実、エルサレムは分裂し、内紛したからです。

一方は神の霊により語り、 他方は、そのイエスをベルゼブル呼ばわりし、
内紛したのです。しかし、 どちらかが間違っていたのは明白です。
そして聖霊を悪霊した人々はいずれ、
裁かれることになります。

その裁きに関して、「だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人と
なるのです。」といわれていま
す。終末の日の神の国、教会の分裂も一方が他方を悪霊、ベルゼブル扱いする
ことにより起きるでしょうが、ど ちらが神の霊により語っているかは
明白となるでしょう。


”20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神
の国はあなたがたに来ているのです。”

ここでは神の国の定義が書かれていると理解できます。神の国とは何か?
聖書でいうその定義は何でしょうか?神の国とは、英語でいうとKingdom of G
od,神が統治する国という意味合い です。

そしてその神が統治する国とは、旧約では、イスラエル、ユダの国、新
約でいうなら、 いわゆる教会をさします。教会こそがこの世において、
唯一神が統治する国だからです。

そして、神の国とは、悪霊を追い出すことと関係します。

このことは、旧約の歴史を考えればわかります。旧約時代、イスラエルの民は
カナンの地に入り、 そこを自分達の相続地、神の国にしました。
しかし、その時、彼らがしなけれ
ばならないことがありました。そ
れは、先住民であるカナンの住民と戦いこれを追い出すことでした。

このことは新約のたとえであり、新約の教会も同じく戦いをし、悪霊を追い出
し、そこを 神の国とするのです。

福音書の中で、イエスが悪霊を追い出す記事が多くあります。ある時は、おし
の悪霊を追い出し、 ある時は、墓場に住む人から悪霊を追い出します。
そのイエスの行いはそのまま、ヨシュア(イエス)を先頭と
した イスラエルのカナン征服になぞらえられます。

イスラエルはカナンの住民を追い出し、領土を獲得しました。イエスは悪霊に
つかれた人から悪霊を 追い出し、その人を神の前に獲得しました。
これは、すなわち、神の国を広げたことであり、
悪霊を追い出すことは、カナン人を追い出すことと重なっているのです。


21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全
です。”

さて、その様にしてカナン人を追い出し、獲得した旧約の神の国、イスラエル
の国は しばらく安泰でした。強い人すなわち、ダビデ、ソロモンなどの
傑出した王により 守られていたからでした。外敵により悩まされることも
ありませんでした。

似た意味合いで、新約の教会もその初期は安泰でした。聖霊の守りがあり、助
けがあったのです。

”22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた
武具を奪い、分捕り品を分けます。”

しかし、その様に安泰だった、旧約の神の国ももっと強い者に破れ、奪われる
日が来ました。

旧約の北イスラエルの王は、強いもの、アッシリアに負け、その住民は捕囚と
なってしまったのです。

同じく南のユダの王は、強いもの、バビロンの王に負け、その住民は捕囚とな
ってしまったのです。

そして歴史は繰り返し、その未来は預言されています。
何をいっているのかというと、新約の神の国である教会も強いものに負け、そ
の住民が 捕囚となっていくということをいっているのです。

このことは現実を見れば成就しており、北の神の国なるカソリックは捕え移さ
れ、 かつての正しい教えを捨て、マリヤ教、偶像崇拝教、法皇教みたいなものにな
ってしまいました。

同じく、プロテスタントも負けており、悪霊のリバイバルが猛威をふるってい
ます。

「彼の頼みにしていた武具を奪い」

さて、このことばの意味合いを考えてみましょう。
武具を奪うとは、たとえば、ダビデ、ゴリアテの戦いを思い出せば、よく理解
できます。

ダビデはゴリアテに向かう時、小石以外武器らしいものを持っていませんでし
た。それで どうやって、ゴリアテの首を切り落としたのかというと、
ゴリアテの刀を使って切ったのです。
すなわち、「彼の頼みにしていた武具を奪い」、それを用いたのです。

ダビデの場合、勇ましいのですが、残念ながら、教会が破れる時、教会が、「
頼みにしていた武具」 が敵に奪われ、悪く用いられる、それを知りましょう。

教会の武具とは何でしょう?

聖書のことば、聖霊のリバイバル、宣教活動、信徒の忠実さ、そんなところで
しょうか。

残念ながら、これら全ての「武具」が敵に奪われ、悪く用いられる、そんな時
が来つつある、 それを知りましょう。

*聖書のことば:
聖書の翻訳やら、その神学、研究は、残念ながら、敵の手に渡され、私達の武
具は 奪われています。KJVは英語圏において、名訳、正確な訳と有名ですが、
最近の聖書訳はこのKJVから大きく逸れています。たとえば、よくきくNIV訳は、

KJVから約6万語もの単語を省きました。それらの中には、重要なことばも数多
いのですが、 すっかり省かれてしまいました。

それに限らず、最近の聖書訳には、おかしな訳が多いです。もちろん、日本の
聖書訳も 同じ道をたどっています。口語訳、新改訳などは、皆英語の底本となる
聖書があり、 それに基づいて訳されているので、要するに英語訳のおかしな
ところがそのまま、 日本語におきかわり、引き継がれています。たとえていえば、
アメリカの狂牛病の肉を日本へ輸入して食べている様なものです。

何故、日本の聖書がそうなっているのか、何でこんなおかしなシステムなのか
を知っている人は 誰もいません。何はともあれ、
残念ながら、私達の武具である、神のことばは敵に奪われています。

*リバイバル:
神の恵みであり、私達の武具であるはずの聖会、リバイバル聖会なども残念な
がら、もう敵の手に あり、武具は奪われています。

トロント、ペンサコーラを起点とするリバイバル聖会は、異言で悪魔的なこと
ばが語られています。すなわ
ち、、
敵のものと変えられました。そんな聖会に集う人は悪霊の水を受けます。
たとえていえば、水源地や井戸が敵の手に渡った様なものです。奪った敵は喜
んで、井戸に毒を 撒き、その毒水を我々に渡しているのですが、
悲しいかな、そんな水を見分けることもできず、
毒水を腹一杯飲み込む愚かな牧師、信徒ばかりです。
悲しいかなこの武器ももう敵の手に渡っています。

*宣教活動
宣教、伝道は、神のことばを伝えることであり、人々を救うことなので、
何の問題があるのかと思う人もいるでしょうが、悲しいかなこのことさえ、
敵の手に渡され、武具は敵の手に渡っています。

クリスチャンの宣教、伝道に関する「本音と建て前」は敵に見すかされ、
教会を崩壊する方法が伝道、宣教の名目で教会内に入り込んでいます。
ビリーグラハム、ビルブライトなどは立派な伝道者という宣伝ではありますが、
彼らが 実際になしていることは、以下の様に教会内への毒麦の持ち込みです。
-カソリックを良いものであるかの様に宣伝し、カソリック異端教理やエキュメ
ニカルを プロテスタントに持ち込む。
ー自由主義神学を持ち込む。

しかし、何しろ、教会員の数さえ、増えれば良いと思う愚かな牧師はこれらの
偽り者を見分けることなく、追随しています。

最近では、ロバートシューラー積極性思考など、聖書的というより、心理学、
魔術に分類されるようなおかしな 教えも宣教、伝道を名目に
教会内に入り込んでいます。

かくのごとく、宣教、伝道さえ、敵の手に渡っています。

「分捕り品を分けます。」

武具を奪われる時、彼我の立場は一転し、敵に分捕り品を取られてしまします。


日本も戦争で負け、火事場泥棒みたいなソ連に北方の島を奪われ、また捕虜と
して人を奪われ、 シベリアで働かされました。負けたら、分捕り者を取られる、
残念ながら、それが敗戦国の宿命なのです

さて、世界一の大国、キリスト教会も敵に負け、結果、分捕り物を取られつつ
あることを 知りましょう。
分捕りものは、多くのクリスチャンであり、多くの人々が敵の霊、悪霊リバイ
バルのとりこになっています。




”23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めな
い者は散らす者です。”

キリストの味方は集めるものであり、散らす者は敵です。ここにある
集めるとのことばは、以下で使われています。

「マタイの福音書 13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきな
さい。収穫の時期になったら、私は 刈る人たちに、まず、毒麦を集め、
焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言い
ましょう。』」

ここを見る限り、集めるとは良い麦を倉に集めることです。ですから、散らす
とは、その反対に良い麦を 集めないことといえると思われます。

さて、まとめますが、かつての日、旧約の神の国、ユダ国の末路は、強い敵、
バビロンに侵入、蹂躙されること でした。結果、分捕り者として、
エルサレムの人々は、遠い地、バビロンへ連
れ去られました。同じことが、終
末の神の国、教会の末路として起きることを理解しましょう。
その日、多くの人々が、分捕り物として、バビロンへ移される、バビロン化す
ることを 知りましょう。

このことは預言されています。しかし、その中でもバビロン化せず、堅くみこ
とばに 立つ人々にみこころがあります。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー

チョーヨンギ という人

世界最大のアッセンブリー教会で 会員は役75万人という大変大きな教会です
 私も チョー氏
の本はよく読みましたし 以前に アッセンブリー教団に属しておりましたので
彼らについては よく 知っております。
彼の預言について 色々な話がありますがはっきりと直接把握できていません あたらなかったら特に公表したものは出回らなくなります 特に再臨の預言について
ご存じの方ありましたら教えてください

↓これも第三の波の提唱する 艱難前挙携説二段階再臨説 とほぼ 同じといえます。
聖書から乖離していると言えます。 
⑤天国と再臨の福音

イエス・キリストは空中再臨及び地上再臨されます。主が空中再臨される時、キリストにあって死んだ者と生きている者たちがともに空中で主に見え(Ⅰテサロニケ4:16-17)、その後7年間、子羊の婚宴にあずかります。それから主は地上再臨され、千年王国の後、白い御座の裁きが行われ、私たちは新しい天と新しい地で神と永遠に栄光の内に生きるようになります。

又彼の著書四次元の人 にある ハンカチに案手し そのハンカチを 病人の上に載せると」癒されたという
話がでてくるが 私の記憶では 物に案手したという 話は 聖書の中には見当たらない ハンカチに聖霊がやどる というのは 疑うべきである  私も この系列の教会にいたときは そう思っていたが
よくかんがええてみると 聖書的ではないように 思います。注意が必要です。又聖書をよく読み調べることです 彼らはハンカチだけではなく 物に 案手する のを 見かけます
使徒 19:12 たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。

とあるがハンカチに案手することと と同意であるといえるのでしょうか  やや疑問がのこります

。聖書には 第一テモテ
5:22 軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい
とあります

以下資料
ダビデ・チョー・ヨンギ

世界アセンブリーズ・オブ・ゴッド議長、
セル教会運動の最も有力なリーダーはダビデ・ヨンギ・チョー博士(ヨイド純福音教会、評判によればソウル、韓国に置かれた世界で最も大きい教会の主任牧師)です。会衆は25,000を超える家庭のセルグループによって1997年に750,000人以上を数えました。
チョーは、1981年に出版された「成功した家庭のセルグループ」を含む多くの本の著者です。
チョー博士は、十代の時、仏教からキリスト教に回心し、1958年に、彼はソウルの郊外で礼拝を導きはじめました。
1967年に、セル・システムが導入された時に、それは7,750人の個人から成り、2,267の家族が125個のセルに組織されていました。
教会構成員が10,000人に達した時に、教会はヨイドに再配置されました。
現在のYFGC(ヨイド・フル・ゴスペル教会)の最初の礼拝は1973年8月19日に開始されました。
1976年に、彼の教会成長の原則を共有するために、チョー博士はフォーラムとして教会成長国際(CGI)を設立しました。

1992年の9月に、チョー・ヨンギ牧師は、世界の60ヶ国の間に30,000,000人のメンバーを持つ「世界アセンブリーズ・オブ・ゴッド」として現在知られている「世界ペンテコステ・アセンブリーズ・オブ・ゴッド」の実行委員会の会長に選ばれました。
CGM(セル・グループ運動)における他の関係者のように、チョーの強調は増加(数)でした:
「私達の教会は生きる有機体になりました。家庭のセルグループは生きている細胞(セル)で、彼らは人体の中の細胞のように多くの役目を果たします。生きる有機体の中で、セルは成長し、分裂します。かつて、1つのセルがあった所、それは、2になります。そして、4、そして8、そして16と次々に前に進みます。細胞は単に体に追加されていません;それらは等比数列式に増加させられます」  [65ページ成功した家のセルグループ]

調査員は書きます:
「チョーは、積極的な思考、積極的な話、および積極的な視覚化が成功へのキーであり、誰でも、各自の精神において鮮明なイメージを創出し、それに集中することによって物質的な現実を文字どおりに生み出し、産出することができる、と教えます。チョーは、視覚化が全然ないならば、教会成長は全然ないであろうと主張します。
 彼は、すべての聖職者が、視覚化を持つ必要があるとし、ビジョンの中で人の中のプロセスが何らかの図を通し、夢が奇跡と能力を引き起こすことを強く主張します。
 しかし、この方法は非聖書的であるだけでなく、それは数千年の間シャーマンと魔女診療によって行われ、知られている最も強力なオカルト・テクニックなのです:聖書的な洞察ミニストリーよる

 この記事の目的に関して、韓国の教会について知る上で重要なことは、それが牧師、階層的なリーダーシップ、および伝統的な賛美歌、聖歌隊、およびオーケストラによる毎週の礼拝に出席することを要求する1つの単一教会であり続けていることです。それは「家の教会」のネットワークではなくセルに分割された1つの教会です。
 教会は多くの組織と働きを主催し、チョーは、「純粋なセル」構造を作成するために決して「プログラム」を取り除きませんでした。
 彼の教会はラルフ・ネイバーのモデルよりもむしろカール・ジョージのメタ教会様式に分類されるが、しかし区別はしづらく、この教会はすべての種類の教会成長プログラムを歓迎し、それに関与しています。例えば、セル・ベースの奉仕会議と対照的に、チョーは年間を通しての教会成長コンファレンスを考えています。
 1997年の年間教会成長会議で、リック・ウォレンとビル・ハイベルズ(メタモデル)はラリー・ストックスチルとビリー・ジョードータリ(純粋なセル・モデル)とともに主講師でした。
 オフ・サイト・リンク:「デイビッド・ヨンギ・チョー:一般的な教え&活動」

私は以前この信仰を教えられていましたが
特徴は 御利益宗教であるということです
簡単に 言いますと キリストの教えでは 愛されること 祝福されること などより
他人や神を愛せよというのが 信仰の中心であります
この様に 自分の徳を得ようとすることが 信仰の中心であると することは
聖書とは逆であり シャーマン的な 土台をもつ 危険な信仰といえます。
私はこの信仰を持ち 実際ちがうと 自覚いたしました
又彼は 聞くところによると キリストの再臨の預言をし 外れたとのことです

著書4次元の人にある  ヘブル書のみ言葉の曲解であり自らの希望を イメージとして
持ちつずける とは 聖書的ではありません
又ハンカチに手を置き そのハンカチを 病人にかぶせると 癒されたともありますが
聖書で物に案手する箇所はどこにもなく 安易に人に案手してはならないと あります。

以上を御言葉と比較すると

2ヨハネ;7 なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス
・キリストが人として来られた(KJV:肉体をもってこられる=再臨する)こと
を告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であ
り、反キリストです。 ” 


以上のように 聖書の御言葉から照らし合わせると不可解であり注意が必要です 彼らの信仰は聞こえがよく魅力的ですが 私の体験から言えば
ほとんど 実現しません これは 彼らの教義 や信仰が 間違っているのか
神様のほうが まちがっているのか どちらか ということになり 当たり前のことですが
注意しなければなりません


今年5月にアッセンブリー教団が日本に招くそうですが
教団創設当時から 不可解な教義により 数々の惑わし を 持込
未だ スキャンダル が起こる 実を 見て 判断するべきではないか
(これは 私が目の前で見た こと なので 安易に批判しているのではない)

誠に申し上げますが 彼らが支持している トロントペンサコーラ リバイバルは はっきり インチキ
であると 申し上げます。
御言葉と 照らし合わせず 人の栄光しか見えぬ人は 盲目であります。 

インチキ国家イスラエルがしくんだ偽装ハマス

star.jpg写真はリチャードコシミズブログより拝借
この写真をみれば パレスチナ兵がイスラエルを攻撃し イスラエルが自国を守るため 戦争をしている 

そのように ニュースが伝えています。 しかし この兵隊の
軍服のはだけた 胸元に見える入れ墨は ダビデの星 といい イスルラエル の 印なのです。自国への攻撃を イスラエルが やっているのです 
いんちきです 普通のひとは 何のことかわからないでしょうが 自作自演で パレスチナに 戦争をしかける いちゃ門を 付けていると言うことです 
日本が満州事変で使った手口とおなじです。 マスメディアはこのように 誘導されており 私たちには 真実は伝えられていません。

又パレスチナという国はイスラム国家だと 思われていますが
半分以上がローマカトリックだと言うことをごぞんじでしょうか。
これも知らされていないことです。

イスラエルを いかにも 神に祝福された国として 宣教師や 牧師を派遣し
インチキ国家の思想を すりこまれている キリスト教会  伝道師がたくさんいます。

聖書には

3:9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
3:9 Behold, I will make them of the synagogue of Satan, which say they are Jews, and are not, but do lie; behold, I will make them to come and worship before thy feet, and to know that I have loved thee.

   kjvでは はっきり サタンのシナゴーグと書いてあります

日本語では キリスト教の腰抜け指導者たちが圧力により (サタンの会堂) この様に妥協した翻訳となっています。

私の以前属していた教会も 娘を イスラエルに派遣し その生活費を献金で求められたこと があります。彼女の話を聞けば パレスチナは 悪者で イスラエルは 神の国です。洗脳され真実を知らないとこの様に なってしまいます。

キリスト教系新聞やその他の出版物 キリスト教系テレビも同様に イスラエル擁護主義 で いとも簡単に 情報操作されています。

氾濫するサタンの指サイン ダイゴ

最近だいごという ひとが ウイッシュといい 指サインをしているが どんな 意味があるか ご存じでしょうか これは サタンの儀式のサインです
このような きけんな 魔術の指サインを普通の人にわからないように させているのです 又最近スカル 骸骨のデザインもよく見かけますがこれも 同様に 大衆に サタンの影響力を忍び込ませる 手段のひとつですこのサイトでも 同様にベニーヒムというひとが 同じサインをして 奇跡を起こしています これはまさに サタンの力です

 

あるクリスチャンの集まりのリーダーはこれは 手の癖 だといいました が このような 自然にはしにくい サインを わざわざ するには 無理があるように 思います

又御言葉を重んじない人は このような警告をしたにもかかわらず 見下した言い方で  調べもせず 否定してきます
自分は リーダーであり みんなを導く責任があるにも かかわらず
調べもせず サタンのみちへと 導く死への案内人であると言えます

このサイトで説明しているように 御言葉から あきらかであります
このような真実を知るなら このようなアホを 招くのを やめさせることです。

ではどうして このような 者を主は放置されるのでしょうか それは↓を参照すれば わかることであります。かれらによれば 主にたてられたので 主が裁かれると言うが
そのとおりである しかし そのままでは彼らが 裁かれる 対象に なりかねない。

13:28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。 13:29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。


聖書の正しい読み方の例

12:1 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 12:2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 黙示録12:3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 12:4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた
12:1の意味をお解かりでしょうか この 星の意味は 紛れも無く創世記のヨセフの夢と同じです。 12:3の七つの頭と十の角は 同じ黙示録内で解説してある↓ 17:9 ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである

このように七はここでは黙示録に出てくる7つの教会ということになります↓

1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

ここで何が 読み取れるのでしょうか? 赤いはこのケースでは 罪をあらわす 赤のように思います。

12の霊的イスラエル つまり 今の教会の3分の1がこの
獣 (教会と世界各国の王たちと 同調し)に地に投げ落とされる(霊的に殺される)という意味になります。

又これを 確認するかのように

12:18 そして、海の砂の上に立った。
 海辺の砂はアブラハムが祝福を受けたとき
に出てくる話で 海の砂の上に立つは 教会クリスチャンを支配すると 書いてあります。

つまり 統治主義 をいうキリスト教はピーターワグナー率いる第三の波である まさに クリスチャンを 異なった偽りの福音でクリスチャンを惑わせ地に投げ落とそうとしているのです。
もしあなたの 言っている教会が このサイトの動画に似た教会であれば 命にかかわります 地に投げ落とされないように
離れてください。

新しい聖書の読み方(正しい)前書き

このタイトルだと 何か やばい 宗教団体でも創設されるのか と 思われますが。
そうではありません この話をする前に この説が 正しいといえる 前提を 示してゆきたいと 思います。
キーポイントになるのは 

ペテロの手紙第二 1:20
"それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
"
私的解釈とのことですが この役は原文から見ると 正しい訳とはいえません
原文では それ自身の解釈を施してはならない と 言うのが正しい訳です。

私的解釈をしては ならない ーーーー  それ自身の解釈を施してはならない
は逆の意味になります。
私的解釈をしては ならないでは意味は一つだけか決まったことだけ と言うことに
なります。が それ自身の解釈を施してはならない では 他のところを参照して
意味を吟味して 解釈せよ と言うことになります。

原文
1:20 touto prwton ginwskontes oti pasa profhteia grafhs idias epilusews ou ginetai

1. 「私的」と訳されているギリシャ語idiosの第一義的な訳は「~自身」という意味である。
2. 英語聖書の中ではもっとも忠実な訳といわれるJ.N.Darby訳でもこの箇所は「それ自身の解釈を施してはならない」と訳されている。

さて、上記点をもう少し詳しく見ていきたいと思います。

1.について:

このidiosというギリシャ語の意味は辞書によると以下の通りです。

AV - his own 48, their own 13, privately 8, apart 7, your own 6,
his 5, own 5, not tr 1, misc 20; 113

この語は新約聖書の中で合計113回使用されています。その中でもhis own(彼自身)48回、their own 13回、 your own 6回、 own5回のように「~自身」という用法が多いことがわかります。
privately 「私的」という用法も8回ありますが、第一義的な意味ではないことがわかります。ですから、この単語の原語の意味を正しく反映させるつもりなら、「~自身」という意味あいを全くいれないのはおかしなことになるのです。

2.について:

私はOnline Bibleという英語の聖書ソフトを使っています。そこにいくつか英語訳の聖書が入っています。その中のJ.N.Darby訳についてこのOnline Bibleは「英語訳の聖書としてはもっとも忠実な訳。KJV訳以上に忠実に訳されている」と紹介しています。そしてこのJ.N.Darby訳にはこの箇所が、「すなわち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳されているのです。

ですから、この箇所を「私的解釈」という訳でのみ、きめつけるべきではありません。少なくとも、「それ自身の解釈」と訳すことも可能であることを認めるべきだと思います。

"idios"という語の使用箇所

さて、この原語、idiosということばが実際に聖書の中でどのように使われているか、見てみましょう。これらを見ていくなかで、この原語の意味あいが判明してくると思います。例として、マタイ伝で使われているこの原語を全てあげてみます。

1. And he entered into a ship, and passed over, and came into his own <2398> city.(Mt 9:1)

イエスは舟に乗って湖を渡り、自分(自分自身) の町に帰られた。(マタイの福音書 9:1)

2. When Jesus heard of it, he departed thence by ship into a desert place apart <2398>: and when the people had heard thereof, they followed him on foot out of the cities.(Mt 14:13)

イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。(マタイの福音書 14:13)

3. And when he had sent the multitudes away, he went up into a mountain apart <2398> to pray: and when the evening was come, he was there alone.(Mt 14:23)

群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで(離れて)山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。 (マタイの福音書 14:23)

4. And after six days Jesus taketh Peter, James, and John his brother, and bringeth them up into an high mountain apart <2398>,(Mt 17:1)

それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に(離れて)導いて行かれた。(マタイの福音書 17:1)

5. Then came the disciples to Jesus apart <2398>, and said, Why could not we cast him out?(Mt 17:19)

そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに(離れて )来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」(マタイの福音書 17:19)

6. And Jesus going up to Jerusalem took the twelve disciples apart <2398> in the way,and said unto them,(Mt 20:17)

さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。(マタイの福音書 20:17)

7. But they made light of it, and went their ways, one to his<2398> farm, another to his merchandise:(Mt 22:5)

ところが、彼らは気にもかけず、ある者は(自分自身の)畑に、別の者は商売に出て行き、(マタイの福音書 22:5)

8. And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately <2398>, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?(Mt 24:3)

イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイの福音書 24:3)

9. For the kingdom of heaven is as a man travelling into a far country, who called his own <2398> servants, and delivered unto them his goods.(Mt 25:14)

天の御国は、(自分の)しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。(マタイの福音書 25:14)

10. And unto one he gave five talents, to another two, and to another one; to every man according to his several <2398> ability; and straightway took his journey.(Mt 25:15)

彼は、おのおのその(自分の)能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。(マタイの福音書 25:15)

(*上記の英訳の引用箇所で、<2398>とあるのは、"Strong's Exhaustive Concordance of The BIBLE"のギリシャ語 Word Numberです)

上記のように、このidiosということばには、「自分自身」「それ自身」「(他と離れて)自分で」という用法が多いことがわかります。このことばはそもそもそういうニュアンスのことばなのです。上記マタイ伝の箇所で一箇所だけprivately(私的)と訳されている箇所があります。以下の箇所です。

Mt 24:3 And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately <2398>, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?

マタイの福音書 24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

ここでは「弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った」のです。そして、この箇所の用法にも「~自身」というニュアンスが含まれていることがわかります。

結論として、くり返すようですが、このidiosということばのもっとも基本的な意味あいは「~自身」という意味です。

ですから、この原語が使われている上記ペテロの手紙のテキストは「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳すのがもっとも、妥当と思えます。

「私的解釈」と訳すのが間違いではないにしても、第2義、第3義的な意味あいです。まして、「私的解釈」以外の訳を認めないというのは、聖書をねじ曲げることになります。

新解約の問題点 メシヤとキリスト


1ヨハネ2:22 「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」

TNIV訳聖書とキリスト
Terry Watkins Dial-the-Truth Ministries

マタイ27:22「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」

他の計画的、かつ混乱した誤訳聖書のことばは、ギリシャ語でいう「Christos」ということばである。
ギリシャ語の"Christos"は、常にキリストと翻訳(というより、現実には文字を移し替えただけの訳)される。
実際に主イエスキリストは、説教者、教師、クリスチャン、世界中の人々により、主またはイエスというよりは、「キリスト」と呼ばれる。
主イエスキリストに従う人々は、クリスチャンと
呼ばれる。これは、主イエスキリストとそれに従う人々にとっては、
全く常識、標準である。

「弟子達はアンテオケで始めてクリスチャンと呼ばれた。」
使徒11:26

TNIV訳の翻訳者は、意図的に"christos"というギリシャ語を「メシヤ」と69回も、
誤訳した。

興味深いことは、ウルトラ自由主義的であり、エキュメニカル、ローマカソリク、
(外典を支持する)、NCCが著作権を持つ、フェミニストにより是認され、両性を含む、NRSV
(N ew Revised Standard Version )もまた、キリストとメシヤとを66回誤訳しているのである。

アモス3:3「ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。」とのことばの通りなのか。

Zondervan出版社が、フェミニスト、性包含である、New Revised Standard Version (NRSV).をも
出版したからといって、もはや誰も驚かないであろう。

一体どうして、TNIV 翻訳者は、明白でかつ正確な「キリスト」の代わりに
「メシヤ」を使用したのだろうか?
TNIV訳聖書の序文には、以下の理由が書かれている。

「TNIV訳における2つの変更に関する注意事項は、伝統的なキリストの代わりに
メシヤということばを頻繁に
代替させていることである。
ユダヤ人が期待しているところへ、
神が送られたという意味あいでことばが明確に使用されているところでは、
. .(特に福音書、使徒行伝)メシヤということばを使用することが望ましいと判断した。
しかしながら、この感覚があまり顕著でない場合、(特に
書簡)ギリシャ語からの字訳(キリスト)を残した。

(TNIV, 序文, p. viiより)

この記述の中でまず始めに、「さらに伝統的なキリスト」のくだりは、
誤導するものである。このことには、「伝統」は関係ない。
単純な事実は、ギリシャ語のことばはキリストスもしくはキリストであるということである。
平易かつ単純な話である。
正しい翻訳(字訳)はキリストなのである。
2つ目に、TNIV訳翻訳者は、明確なギリシャ語の本文がキリストであるにもかかわらず、
「メシヤを使用するのが、より妥当である」と判断したのか?
それは意図的に道を外すことである。
TNIV翻訳者は、ギリシャ語テキストを捨て去り、それをさしかえることを「風がどう吹こうと」
すでに決定しているのである。

2つの単語、キリスト及びメシヤは、ともに新約に現れる。そして、
メシヤということばは、たった2箇所にしか出てこない。
. ヨハネ1:41と4:25である。
このことは、KJB, NIV, RSV, NCV, NASB, 等の翻訳においては事実である。
これらの訳では2箇所にしかメシヤが出てこない。何故か?
単純なことである。ギリシャ語の単語が、"messias:メシヤと書いてあるからである。

ただ、これらの箇所のみが新約聖書において、messias:メシヤが使用されている、
箇所である。それらの箇所、
ヨハネ1:41とヨハネ4:25の箇所を見ることは、
大変示唆的である。
思い出して下さい。ヨハネ1:41とヨハネ4:25とは、新約聖書中、
「実際に」ギリシャ語のmessias:メシヤということばを含む、唯一の箇所であることを。

John 1:41, KJB
He first findeth his own brother Simon, and saith unto him, We have
found the Messias, which is, being interpreted, the Christ.
John 4:25, KJB
The woman saith unto him, I know that Messias cometh, which is called
Christ: when he is come, he will tell us all things.

これら2つの箇所においてギリシャ語のメシヤ:messiasは、ギリシャ語のキリスト
と同質であると明確に語られている。 神は明らかにそえらの相違を説明しているのである。
新約の用語は、メシヤでなくキリストなのである。
主はこれを平易にされたのか?単純な事実は、キングジェームス訳新約聖書において、
555回キリストが使われていることである。
何故なら、対応するギリシャ語の単語が、全てChristosであるからである。
そして、約400年もの間、全ての英語聖書は、この単語を正しく「キリスト」と訳してきたのである。それは、伝統とは何ら関係がない。そうではなく、
それは、「主がそういわれた」ことと関係あるのである。
彼らのwebページ「現代英語における明確さ」の、サブタイトル「広がる理解:イエスとメシヤ」
の中で、TNIV翻訳者は以下の理由を述べている;

「イエスに対してメシヤニックな称号を使う時、特にマタイ、ヨハネ、使徒行伝においては、
翻訳者は、メシヤという称号を使った。他の箇所で、
称号が、特別メシヤの色彩を帯びていない時は、翻訳者は、ギリシャ語のキリストを使用した。」
(TNIV: Clarity in Contemporary English, www.tniv.info/story/clarity.php)

メシヤという称号は、メシヤニックジュー用語であり、それは、
主にユダヤ人により認識される。
多くの人々、特に現代の聖書の知識のない世代にとっては、メシヤが、誰であり、それが
何を意味するのか何らの知識もない。
TNIV翻訳者は、TNIV訳の使命は;
「聖書原文の意味に明確に通じる、間違いなく正確な聖書翻訳を現在の世代に
与えること」と言っている。

しかし、これらは、「原文の意味に明確に通じて」はいない。
原文は、明らかに「Christos:キリスト」と
語っているからである。

現在の世代の圧倒的多数は、メシヤが誰であり何を意味するのかその最小の知識も
持っていない。
しかし、もしあるとするなら、大変少ないが、キリストとは、誰か知らない者もいるだろう。

翻訳者は、さらに
「Christosがイエスへのメシヤ的称号として使用されるとき
特にマタイ、ヨハネ、使徒行伝においては、
翻訳者は、メシヤという称号を使った。」
と語っている。
しかし、それは違う。

というのは、69回、「メシヤ」ということばが使われている中で、
私は、少なくとも18の箇所で、明確に正確なキリストという
ことばの代わりにユダヤ的なメシヤを誤って適用していると箇所を見つけた。
たとえば、TNIV訳は、有名なルカ2:11を不正確に訳している。

ルカ2:11,
TNIV訳「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主なるメシヤ
です。」

"Today in the town of David a Savior has been born to you; he is the
Messiah, the Lord." (Luke 2:11, TNIV)

KJV訳は正しく訳している。
ルカ2:11,KJV訳
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

"For unto you is born this day in the city of David a Saviour, which is
Christ the Lord." (Luke 2:11, KJB)

ルカ2:11は、主イエスキリストを救い主として、語っている。
救い主とは、ユダヤのメシヤについて語ったものではない。

神に感謝すべきは、救い主はただにユダヤ人のみでなく、全世界のための方である。
みことばがさし示すものこそ、もっとも明白である。

以下の節は、「世界の救い主」、「全ての人の救い主」を積極的に語っていることに
注目してください。

ヨハネ4:42「そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がキリストであり、ほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

John 4:42, KJB:
And said unto the woman, Now we believe, not because of thy saying: for
we have heard him ourselves, and know that this is indeed the Christ,
the Saviour of the world.

1テモテ4:10「私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。」

1 Timothy 4:10, KJB:
For therefore we both labour and suffer reproach, because we trust in
the living God, who is the Saviour of all men, specially of those that
believe. (1 Timothy 4:10, KJB)

マルコ1:1においては、メシヤに関する別の誤った適用がある。
マルコ1:1のTNIV訳は、
「神の子イエス・メシヤの福音のはじめ。」

KJVは正しく訳している。

Mark 1:1 The beginning of the gospel of Jesus Christ, the Son of God;
(Mark 1:1, KJB)

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」

注目すべきことは、マルコ1:1の意味あいは、「福音の始め」であることである。
イエスキリストの福音は、
決してメシヤ的呼称ではない。彼らは、
. いかに、真理から外れてしまったことであろうか。

イエスキリストの福音は全世界のためのものである!
さらに注目すべきことは、TNIV訳は、「神の子」ということばを削除することにより、
主イエスキリストの神性を急速に消し去ろうとしていることです。

神に感謝すべきことには、TNIV訳は誤っており、
福音は全ての造られたもののためであり、単にユダヤ人だけのものではないのです。
.
Mark 16:15, KJB
And he said unto them, Go ye into all the world, and preach the gospel
to EVERY creature. [not the Jewish, Messianic, etc.]

「マルコ16:15それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

エペソ3:6は、特に「キリストの福音」は、ユダヤ人メシヤではなく、
異邦人のためのものであることを述べている。

Ephesians 3:6, KJB
That the Gentiles should be fellowheirs, and of the same body, and
partakers of his promise in Christ by the gospel:

エペソ3:6「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」

福音が、ユダヤ的メシヤ王国の用語であるのか、決してそうではありません、
神はその様なことを禁じています。
イエスキリストの福音は、
「望むもの全て」に向けられたものであり、
ヨハネ3:16は、福音の神髄を
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と語っている。

私はききたい、聖書の主要な教理にこの様な無礼な否定をするとは、
TNIV訳のスタッフは、
本当に聖書を読んだことがあるのか?

私は冗談でなく、真面目にきいているのである。

彼等はただ座って、ギリシャ語やヘブル語をひねくり回しているのにすぎないのではないか、そしてただ、単純にKJV訳聖書を取り、それを読むことは決してしなかったのではないのか。
彼等にとっては主イエスのマタイ24:15のみことばに耳を傾ける
ことが非常に必要である。

マタイ24:15「読者よさとれ。」

また、恐らく、マタイ16:16(マルコ8:29、ルカ9:20も)は、
もっともでたらめな「メシヤ」
の誤訳を含むといえるだろう。

KJB  Matthew 16:13-18:
13 When Jesus came into the coasts of Caesarea Philippi, he asked his
disciples, saying, Whom do men [notice the inclusive plural MEN ・not
Jews] say that I the Son of man am?
14 And they said, Some say that thou art John the Baptist: some, Elias;
and others, Jeremias, or one of the prophets.
15 He saith unto them, But whom say ye that I am?
16 And Simon Peter answered and said, Thou art the Christ, the Son of
the living God.
17 And Jesus answered and said unto him, Blessed art thou, Simon
Barjona: for flesh and blood hath not revealed it unto thee, but my
Father which is in heaven.
18 And I say also unto thee, That thou art Peter, and upon this rock I
will build my church; and the gates of hell shall not prevail against
it.

マタイ16:13-18(新改訳)
13 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

TNIV 訳のマタイ 16:16 は、

13 When Jesus came to the region of Caesarea Philippi, he asked his
disciples, "Who do people say the Son of Man is?"
14 They replied, "Some say John the Baptist; others say Elijah; and
still others, Jeremiah or one of the prophets."
15 "But what about you?" he asked. "Who do you say I am?"
16 Simon Peter answered, "You are the Messiah, the Son of the living
God."

(シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子メシヤです。」)
17 Jesus replied, "Blessed are you, Simon son of Jonah, for this was not
revealed to you by flesh and blood, but by my Father in heaven.
18 And I tell you that you are Peter, and on this rock I will build my
church, and the gates of death will not overcome it.

マタイ16:13-18のテキストと内容は非常に明確である。
18節を見てみましょう。参照されているのは、ユダヤ人のメシヤ王国ではなく、
「教会」である。全く彼らは間違えているのである。

この様に重大なミスがあるというのに、
一体全体誰が、だらしなく、いいかげんなTNIVの翻訳を真面目に考えるだろうか?

さらに、18節の目立つ誤訳にも注意ください。「地獄の門:the gates of hell」が今や、
「死の門:the gates of death」になっている、これは、自由主義的なRSV, NCV 訳と同調した翻訳である。しかし、教会は「死の門」と戦っているのではなく、「地獄の門」と戦っているのである。
馬鹿げたことである。

思いおこしてください。これらのいいかげんな方法が、NIV訳聖書及び、アメリカで禁止されたNIVI(NIV Inclusive version)訳聖書を翻訳したのと同じグループ、同じ手法によるものだということを。
以下は、TNIV訳のwebサイトからの直接の引用;

「評判の高いNIV訳を翻訳した完全に独立したグループは、
TNIV訳の仕事を請け負ったのと同じ、有名なグループである。
NIV訳の学問性を高めた広く尊敬される翻訳方法は、TNIV訳の発展のためにも用いられた。」

(Faithfully Produced by CBT, www.tniv.info/story/cbt.php)

TNIV翻訳者自身によれば、
「TNIV訳は、NIV訳よりさらに正確」なのである。

「NIV訳は、非常に正確な聖書テキストであり、1984年迄にCBTが造りだせる最良のものだった。TNIV訳は、それより、更に少し正確な聖書訳であり、
それは、2001年までにCBTが製作したものの中でベストである。」
(TNIV FAQS, www.tniv.info/QandA.php)

驚愕の結論:
誤った、計画的な「キリスト」の削除は、1
ヨハネ2:22で前もって語られている
反キリストのしるし、指紋である。

1ヨハネ2:22 kJV訳「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」

1 John 2:22, KJB:
Who is a liar but he that denieth that Jesus is the CHRIST? He is
antichrist, that denieth the Father and the Son.

TNIV訳の翻訳者は、この警告に対してどのように答えたのか?
簡単である、彼らはそのみことばを変えたのである!
その通り、彼らはその節を変え、彼らの証拠の指紋を消しさり、訴える証拠を
隠したのである。
私は思うには、反キリストとは、
ユダヤ人のメシヤ王国に関することではないのか。

1
ヨハネ2:22 TNIV訳
「偽り者とは誰か。
イエスがメシヤであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」

1 John 2:22, TNIV:
Who is the liar? It is whoever denies that Jesus is the Messiah. Such a
person is the antichrist ・denying the Father and the Son.

女性の反キリスト?

さらに注意して下さい。
1ヨハネ2:22において、TNIV-NIV訳グループは反キリストに関連して、
「彼:he」という男性代名詞を、中性的な「人:person」に変えています。
ギリシャ語のテキストは、特にそして男性一人称である、outosすなわち、
heが使われています。
女性の反キリスト?、ヒラリークリントンや、Virginia Mollenkott
が大喜びしそうなことばです。

TNIV訳は以下の箇所で、69回も、キリストとうことばをメシヤと変えています。

Matthew: (16 回)
1:1, 1:16, 1:17, 2:4, 11:2, 16:16, 16:20, 22:42, 23:10, 24:5, 24:23,
24:24, 26:63, 26:68, 27:17, 27:22
Mark: (8 回)
1:1, 8:29, 9:41, 12:35, 13:21, 13:22, 14:61, 15:32
Luke (12 回)
2:11, 2:26, 3:15, 4:41, 9:20, 20:41, 22:67, 23:2, 23:35, 23:39, 24:26,
24:46
John (16 回)
1:20, 1:24, 3:28, 4:29, 7:26, 7:27, 7:31, 7:41(2), 7:42, 9:22, 10:24,
11:27, 12:34, 20:31, 21:31
Acts (12 回)
2:36, 3:18, 3:20, 5:42, 8:5, 9:22, 17:2, 17:3(2), 18:5, 18:28, 19:23
Romans (1 times)
9:5
1 John (2 回)
2:22, 5:1
Revelation (2 回)
11:15, 12:10,

コメント 全くそのとおり で あきれて 物もいえません 



新改訳の翻訳の問題点

新改訳の翻訳の問題点

あなたは血により洗われますか?

テリーワトキンスの真理にダイアルミニストリー

あなたは清める力のためにイエスにいましたか?
あなたは、小羊の血で清められましたか?
あなたはこの時、彼の恵みに十分に信頼していますか?
あなたは小羊の血の中で清められましたか?

(これらに関して)新しい聖書の曲解訳の版ではそうでないことになっています!

New International Version (NIV)ではそうでないことになっているのです、
そして New American
Standard Version (NASV), New Living Bible, New Revised Standard Versions
(NRSV), Revised Standard Version (RSV), The Living Bible (TLB), Today's
English Version, Contemporary English Version (CEV), International
Standard Version: (ISV) 及びその他の曲解訳においてそうでないことになっています!

黙示録1:5節をKJV訳で読むと;
「 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から清め」

(日本語訳は訳者の私訳:以下みな同じ。正しくは英語訳を参照ください)

しかしながら、新しい曲解訳によるなら、私達は「血によって清められる」のではない。
(訳者参考:新改訳も「罪から解き放ち」と訳されている)



American Standard Version (ASV) によれば、この箇所は以下のとおり;

and from Jesus Christ, [who is] the faithful witness, the firstborn of
the dead, and the ruler of the kings of the earth. Unto him that loveth
us, and loosed us from our sins by his blood;
「彼の血により、私達を罪から解き放った」


Amplified Bible 訳によれば、同じ箇所は;

and from Jesus Christ the faithful and trustworthy Witness, the
First-born of the dead [first to be brought back to life] and the Prince
(Ruler) of the kings of the earth. To Him Who ever loves us, and has
once [for all] loosed and freed us from our sins by His own blood.
「彼の血により私達を解き放ち、自由にした」

Contemporary English Version (CEV) 訳によれば;

May kindness and peace be yours from Jesus Christ, the faithful witness.
Jesus was the first to conquer death, and he is the ruler of all earthly
kings. Christ loves us, and by his blood he set us free from our sins.
「彼の血により、私達を罪から自由にした」



Good News for Modern Man 訳によれば;

and from Jesus Christ, the faithful witness, the firstborn Son who was
raised from death, who is also the ruler of the kings of the earth. He
loves us, and by his death he has freed us from our sins
「彼の死により、私達を罪から自由にした」


International Standard Version (ISV) 訳によれば;

and from Jesus Christ, the witness, the faithful one, the firstborn from
the dead, and the ruler over the kings of the earth. To the one who
loves us and has freed us from our sins by his blood;
「彼の血により私達を罪から自由にした」

Living Bible (TLB) 訳によれば;

and from Jesus Christ who faithfully reveals all truth to us. He was the
first to rise from death, to die no more. He is far greater than any
king in all the earth. All praise to him who always loves us and who set
us free from our sins by pouring out his lifeblood for us.
「彼の命の血を私達に注ぐことにより、私達を罪から自由にした」

New American Standard Version (NASV) 訳によれば;

and from Jesus Christ, the faithful witness, the firstborn of the dead,
and the ruler of the kings of the earth. To Him who loves us and
released us from our sins by His blood
「彼の血により私達を罪から自由にした」



New Century Version (NCV) 訳によれば、
and from Jesus Christ, Jesus is the faithful witness, the first among
those raised from the dead. He is the ruler of the kings of the earth.
He is the One who loves us, who made us free from our sins with the
blood of his death.
「彼の死の血により、私達を罪から自由にした」


New International Version (NIV) によれば;

and from Jesus Christ, who is the faithful witness, the firstborn from
the dead, and the ruler of the kings of the earth. To him who loves us
and has freed us from our sins by his blood,
「彼の血により、私達を罪から自由にした」

New Living Bible 訳によれば;
and from Jesus Christ, who is the faithful witness to these things, the
first to rise from the dead, and the commander of all the rulers of the
world. All praise to him who loves us and has freed us from our sins by
shedding his blood for us.
「彼の血を私達に注ぐことにより、私達を罪から自由にした」

New Revised Standard Version (NRSV) 訳によれば;
and from Jesus Christ, the faithful witness, the firstborn of the dead,
and the ruler of the kings of the earth. To him who loves us and freed
us from our sins by his blood
「彼の血により私達を罪から自由にした」

New Testament in Modern English (J.B. Phillips) によれば;
and from Jesus Christ the faithful witness, firstborn of the dead, and
ruler of kings upon earth. To him who loves us and has set us free from
our sins through his own blood
「彼自身の血により私達を罪から自由にした」

Revised Standard Version (RSV) によれば;

and from Jesus Christ the faithful witness, the first-born of the dead,
and the ruler of kings on earth. To him who loves us and has freed us
from our sins by his blood
「彼の血により私達を罪から自由にした」

Today's English Version によれば;
and from Jesus Christ, the faithful witness, the first to be raised from
death and who is also the ruler of the kings of the world. He loves us,
and by his sacrificial death he has freed us from our sins
「彼の犠牲的な死により、私達を罪から自由にした」

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ショッキングな事実は、新しい曲解訳のどれも決して「あなたは血によって清められる」とは訳していないということです!

第三の波は危険 毒麦のたとえ

第三の波は教会やクリスチャンのグループに潜んでいます。私たちは仲間だと思い込んでいますが、実は異端教理(証拠は このサイトで山ほど説明)
クリスチャンを死へと導く サタンの 手先です。
彼ら自身も自覚してないことが多く完全に 惑わされています。
このような 教理は 第三の波と言われ、ピーターワグナー
ベニーヒーン ロドニーハワード などをはじめ 人を陥れるような教理を まき散らしています。 気おつけなければなりません。
特徴として 預言がはずれる 癒されないいやし 又偽りの癒しなどを、信徒集めにに利用などです。又聖書には このような 偽りものにも 大いなる印が 伴うともあります。
神様が終わりの時に 、忠実なクリスチャンを より分けるため そのまま 生かしておられるのです。珍奇な奇跡などにより 多くの人を引きつけ彼らは成長し
大教会に成長し 真実を持って 神につかえる クリスチャンを迫害
すると 聖書によげんしてあります(ヨエルの軍隊

13:24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。

13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。 13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。 13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。 13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう

携挙が語られている理由

小石牧師という方が 説明されています。
リンク先を見ていただければ よくわかります この様に 異質な物を 自然に受け入れているのは
恐ろしいことです。

これが 本当に聖霊の働き?


レイクランドリバイバルって又もや!!!

以下のビデオは同じ霊のように見えますが
クリスチャンが惑わされないように 
レイクランドリバイバルのもの

トロントのもの

クンダリーニのビデオ 驚くほど にている
霊の出所はここかも

力の伝導とは いかに

ヨハネ4:48 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。
前提として 申し上げますが 私は 奇跡や異言 予言など 信じないわけでは ありません。
あくまで 出所を 確認する 必要があることを 言っているのです。
力の伝導 というと 物理学のようで ありますが そうでは ありません ジョンウイーバーという人が
提唱した言葉ですこれには疑問を感じていますが 最後に述べます。


使徒行伝 の中でもしばしば 奇跡が起こっています。

2:43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。

5:12 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた

4:30 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。

5:12 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた

6:8 さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
6:9 すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、
6:10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。


8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた

14:3 それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。

第二コリント
12:12 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた


前後の文章から読み取れることは どこにも 奇跡が伝導の主体とは なっていない ということである。 キリストの奇跡を紹介したり 奇跡によって 謙虚にみなが 一致したり 奇跡とともに 聖霊の働きがあり みなが そてにより 満たされたり と言うことが主体に なっているのであります。

むしろ 奇跡は 10人の人のうち  1人しか 信じなかった事がかいてあります。伝導の主体は
キリストを神の一人子救い主 として 伝えることであり 奇跡は 伝導の主体では 無いことを
あらわしています。

ルカ17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。 17:17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 17:18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。

以前私の所属していました ビジネスマンの会の会長は この 力の伝導という 言葉をよく
口にしていました。
 これは 第三の波の教理であり 聖書的ではなく  そのまま信じることは危険であります。
ほんとうに 主が癒されたのであれば 結構な事でありますが、 そうでなければ 極めて
危険であります。
聖会などで 癒された人たちが その後 どうなったのか 調べて見る必要があります。

 ベンサコーラージャーナルが彼らの 嘘を暴いたように それら が 欺瞞に満ちた物であれば 大変危険であります。

参考文献
後の雨信仰をアセンブリーズ・オブ・ゴッドの中に働かせることにおいて有力であった二人の人物はジョン・ウィンバーとC.ピーター・ワグナーです。
彼らは教会成長コンサルタントとして国中いたるところで私達の教会のにおいて歓迎されています。
以前クエーカー教徒でありロックギターリスト、ビンヤード運動の創立者、ウィンバーは、西洋的ロジックで考えることから離れて、東洋的考察のもっぱら経験的な方法へのパラダイムシフトを公然と主張します。
彼はまた、最初の世紀におけるセム系の人々は仮定から結論に至る議論をしなかったと主張します;
彼らは合理主義によってコントロールされていないというのです。

これは非常な誤りであり、有害な論述です。
歴史的に不正確であるだけではなく、それは論理を中傷し、奇跡の否定と聖霊の超自然な働きを冒涜する(不健康な)合理主義とクリスチャンにとって必要な洞察を行使する(健康的な)合理主義との違いを識別することに失敗しているカリスマ運動の中の典型的な重要な混乱を示しています。
最初の世紀における究極のセム人はおそらく主イエス・キリストでした。
それでも、彼の敵対者を粉砕するために、彼は継続的に最も破壊的なロジック(論理)を使いました。
今日ほど、健全な精神が教会の生活において必要な日はありません。

ジョン・ウィンバーは、彼の最近の死まで、どのように奇跡をするか、そしてどのように予言するかを教えて、そのようなセミナーへの出席に対して料金を請求しました。
そして、ビンヤードはいまだに、テクニックのいくつかを使っています。たとえば、神がどこで働かれるかがわかるように、体が熱を持つ部分を感じるべく、その人の手をゆっくり前後に数インチずつ移動させる、あるいは、その人の心を空白にさせ、起きて来るどのような考えでも話させて、オカルトにドアを開きます。しかし、聖書における預言者は決してテクニックを学びはしませんでした。

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